人間の役割は、知と血を繋げていくこと
ブランディングの会社MUSBの代表取締役。青山学院大学経済学部卒業後、外資系広告代理店JWTに勤務され、ハーゲンダッツ、キットカット、NOVA英会話学校などのブランドを担当。コピーライターとして、また副社長として働かれ、ギャラクシー賞やACC賞など、数々の賞を獲得されました。キットカットでは、AME(アジア・マーケティング・イフェクティブ)賞グランプリを2年連続で受賞。キットメールではカンヌ国際広告祭メディア部門で日本初のグランプリ受賞し、その名が広く知られることとなりました。著書には、『マーケティングはつまらない?』『YESのスイッチ』『ブランド再生工場 間違いだらけのブランディングを正す』などがあります。現在はクリエイティブ・コンサルタント、東北芸術工科大学企画構想学科・教授としてもご活躍されています。関橋さんに子どもの頃のエピソードや、今まで経験された仕事、影響を受けた本や電子書籍についてお聞きしました。
街・町の活性化を目指して、実際に活動
――MUSBでの仕事、大学での講師のほかにも、山形でも活動をされているとお聞きしましたが…
関橋英作氏: 山形のかみのやま温泉という場所があるのですが、面白い町なのにさびれている。それで、ゼミの学生と一緒に、町を活性化させるための取り組みをやり始めました。1月に、商工会議所や市役所の観光物産課や商店街の人などが集まる中、大プレゼン。結構気に入ってもらえて「実際にやりましょう」という話になりました。私が教えている、東北芸術工科大学には、小山薫堂さんがつくった企画構想学科という日本でも他にない学科があります。その学科では、かみのやまのプロジェクトのように、1年時からリアルな取り組みをしています。地元の酒屋など、実際にクライアントさんがオリエンテーション。その課題を、学生たちが考えてプレゼンし、良ければ実行するという形です。企画構想学科ができて丸5年になりますが、就職率は約90%と、とても高いのですが、社会とつながる企画をしているせいなのでしょう。ですから芸術系大学ですが、アーティストやデザイナーだけではなく、卒業生はあらゆる職業に就いており、中には「企画する警察官」になった人もいます。
――プライベートでは、お祭りが好きとお聞きしました。
関橋英作氏: そうなんです(笑)。かみのやま温泉にも、カセ鳥という五穀豊穣を願って行うお祭りがあります。これは390年前から行われており、裸に蓑のカンダイを着て練り歩く人に水をかけるというもの。それを見るために、全国から人が集まってきます。
夏にお祭りをするのは、単に都合が良いからで、元々お祭りというのは冬の方がオリジナルなのです。冬になると太陽の角度が低くなり、光量が減る。縄文時代など大昔は、今のように情報がないので、その光景を「この世の最後か」と思っていたようです。死ぬかもしれないので「皆で霊のエネルギーをもっと活発にさせよう」というのがお祭りの起源だったのです。
本、映画、カメラ。父親譲りの好奇心
――青森県の八戸がご出身地ですよね。どのような環境で過ごされていたのでしょうか?
関橋英作氏: 父が網元の親方なので、荒くれがたくさんいる中で育ちました。でも、小学生の時は今の私からは想像がつかないくらい、とてもシャイで、女の子が前にいると顔が赤くなっているような子ども。あまり人とワイワイする方ではなかったので、昔からの知り合いに久しぶりに会うと、「半ズボンをはいておとなしく隅に座っている子だったのに、どうしたの」と言われます。根本的な部分は変わらないかもしれませんが、外的な要因で人はもの凄く変わっていくのではないでしょうか。仕事を始めてから喋る機会が多くなったので、昔とは変わったのだと思います。今では「口から生まれてきたような奴なのに」と言われることも多い。自分ではそんなことはないと思っていますが(笑)。
――お父様のお話が出ましたが、どういう方だったのでしょうか?
関橋英作氏: 父は、近所にある本屋さんで一番多く本を買う人でした。好奇心が強く、写真を撮ったり、8ミリを撮ったり、マンドリンを弾いたりなどしていて、僕も、小さい頃から簡単なカメラを買い与えられていました。また、近所に東映の映画館があったので、そこで父と歌舞伎揚を食べながら、しょっちゅう映画を観ていました。本好きの父の影響で、僕もよく本を読んでいました。「怪人二十面相」シリーズがちょうど出版されていた時で、いつも新しい巻が出るのが待ち遠しかったです。学校の図書館では、少年少女冒険シリーズのようなものを、図書館の右から左まで読破しようともしましたね。
――当時から、クリエイティブな仕事に就こうと思ってらっしゃったのでしょうか?
関橋英作氏: 想像もしていませんでしたね。当時は、総理大臣や卓球選手というように、僕も色々な夢を持っていました。その頃は卓球が好きで、よく練習していました。その時々で好きだったものになろうと考えていたのかもしれません。
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