小沼純一

Profile

1959年、東京都生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。製薬会社に勤務しながら、文学、美術、音楽についての文章を多数発表し、流通経済大学・国立音楽院等での非常勤講師を経て、現職。1998年には第8回出光音楽賞(学術・研究部門)を受賞。「音楽文化」の視点から、音楽、映画、文学、舞台、美術など幅広い著述活動を展開する。 著書に『映画に耳を: 聴覚からはじめる新しい映画の話』(DU BOOKS)、『オーケストラ再入門』(平凡社新書)、『無伴奏──イザイ、バッハ、そしてフィドルの記憶へ』(アルテスパブリッシング)、『発端は、中森明菜一ひとつを選びつづける生き方』(実務教育出版)など多数。

Book Information

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自分は少し違うものが書きたい


――執筆のヒストリーも伺いたいと思います。


小沼純一氏: 学生時代から文章は書いていて、最初の頃はフランス文学のことなどを書いていました。また、ちょっとしたコラムとか、レコード紹介といったものを書店のパンフレットなどに書かせてもらう機会が何度かありました。同人誌もありましたしね。そして、大学を出て2年ぐらい経った時に、浅田彰さんや四方田犬彦さんが作っていた『GS』から原稿の依頼があったんです。1回は翻訳で、1回はある詩人について書くというものでした。たまたま大学のゼミに聴講に来ていた東大の大学院の人などのつながりからそういった話がきたりして「商業誌にも書けるんだ」とすごくうれしかったです。そうやって少しずつ文章を書くようになりました。89年には詩集を出して、『現代詩手帖』という雑誌を中心に、詩のことや文学のことなどを書いていました。90年代の初めぐらいには翻訳本『廊下で座っているおとこ』を出しましたが、それと並行して音楽についてもムック本のようなものに文章を書くようになりました。クラシックの話が多かったのですけれども、どこか飽き足らない感じがして、勝手に書こうかなと思いました(笑)。そういったことを話したら編集者が話に乗ってくれて、『音楽探し』という本を出すことになったのです。

――違うものが書きたいという思いが強くなったのですね。


小沼純一氏: 60年代から70年代にかけての武満徹や高橋悠治など、日本の現代音楽の作曲家たちは文章をよく書いていました。そういう人の文章に慣れていたので、音楽批評などを私はほとんど読んだことがありません。批評家の本やガイドブックのようなものをつかって音楽を聴いたことはないのです。クラシックや現代音楽などを中心に聴いていましたが、小学校の時には歌謡曲、それから母親が聴いていたシャンソンやジャズ。中高になれば周りはロックを聴いていましたし、ディスコに行ったりもしましたので「どれも別々にあるものではなくて、一緒にあるものだ」という発想が常にあり、そういう本が書けないかなという思いはずっとありました。「自分はちょっと違うぞ」と思ったし、変なくくりも嫌だったので、『GS』という雑誌をとても好ましく思っていました。その頃お付き合いはありませんでしたけれども、坂本龍一さんのように、芸大に行って、クラシック的な西洋音楽の素養がありつつポップスをやるというスタンスは面白いなと思っていました。

――自分自身の思いが活字になるというのは、どのようなお気持ちなのでしょうか?


小沼純一氏: 89年に最初に本ができあがりましたが、やっぱりうれしかったです(笑)。「自分はこういうことをしています」と人に見せられるものなので、本はある種、名刺みたいなものではないでしょうか。それを見ると少しだし、断片的だけれど、何をやっているか、何を考えているのかなというのを垣間見ることができます。
最初の頃は手書きで、それが活字になると全然違ってしまう。見え方が違う。紙や字の大きさ、あるいは「こんなところで改行されちゃうんだ」と、活字になって初めて「文章がどこか変だな」などと客観的に見えるようになる。そういう段階の踏み方というか、どういう風にすれば客観的に見られるのかということは、手書き/活字組み/校正というプロセスで学んだような気がします。80年代半ばにはワープロを使うようになりました。同じ文章なのに自分でプリントアウトしたものと活字で組まれたもの、さらにそれが雑誌に出たものとでは、全然見え方が違います。それも経験的に分かってきました。80年代からの杉浦康平さんや戸田ツトムさんのレイアウトに刺激も受けました。海外の小説なども、アルファベットの中に漢字がボンと入っていたりしているものも見たりもし、やっぱり見え方で違うんだなということを感じましたね。

音楽家について書かれた文章は、小説だと思っている。


――どのような思いで執筆をされていますか?


小沼純一氏: その内容によっても違うと思いますが、私は「こういうのをやりませんか?」と言われて書いたことはほとんどないのです。「あれがやりたい」と思ったら、まず、書く。そして編集者に見せる。そういうことが多い。まずは自分が「やりたい」と思うものでしょうか。「こういうのをやらない?」と提案をされて計画をすることもありますけど、途中で飽きてしまったり、「やっぱりちょっと違うかな」といった感じで、なかなか計画は進まない。でもね、10年くらい経つと、もしかしたら形になるかもしれないというものもあるんです。編著など、誰かに頼んでという形のものは割とスムーズにできるのですが、不器用なのか、頼まれて1冊全部を自分でやるのは苦手なのです。その中でできたものが、武満徹について最初に書いた『武満徹 音・ことば・イメージ』でしょうか。

――そのやりたいもの、面白いと思うものはどのような時に思い浮かぶのでしょうか?


小沼純一氏: 色々なものに触れている中で「そういえばこういうこともあるかもしれない」という気づきが、執筆に繋がっていくのかもしれません。『無伴奏』は、ヴァイオリン1本で書かれている作品を中心に書いています。ベルギーのヴァイオリニストだった(ウジェーヌ・)イザイという人を中心に書きたかったのですが、ある時「ヴァイオリンはだいたい伴奏が付くけれどなんでだろう。でも、確かに伴奏がないのもあるよね」と思ったのです。実際にそういった曲を探してみても、それほど多くはありませんでした。それで「1人でヴァイオリンを弾くというのは、ピアノを弾くというのとはちょっと違うスタンスだな」というようなことを考えました。しばらく経ってから、『オーケストラ再入門』を書きました。大勢でやるという意味では独奏に対立するものですよね。同じ音楽というのをどういう風にとらえるかという点で、これらは全く別の本だけど、実はすごく重なっている本だったりします。書く時は意識してはいないけれど、どこかでリンクしているという形になることが多いかもしれませんね。

――「書く」という行為はどのような意味を持つのでしょうか?


小沼純一氏: その時に考えたことを書く、というのもありますが、もう1つはものを忘れないために書きます(笑)。「これが発表されたのはいつだ」ということをすぐに忘れてしまうので、自分の本の中に入れておけば、どこに書いてあるかがすぐに分かります。そういった意味でも、1回まとめておくと便利なのです。でも、今言ったことと矛盾するのですが、「何年に、どこで、どういうの」ということは実はそれほど重要だと私は思っていなくて、音楽、そして音楽家について書いている文章は実は小説なんじゃないかと思っているんですね。実在の人物が扱われていたりはします。でも、その人物を通してあぶり出されてできる小説だと思っているのです。柄谷行人が『遊動論』という柳田国男についての本を書いていますが、「何年に柳田が何をした」などということを読みたいと思っているわけではなく、書かれていることが刺激的で面白いから読むんですよね。柄谷さんの本は小説だと私は思っていますし、私も小説を書いている、と。柄谷さんには怒られるかもしれないけど(笑)。それを読む人がいて、その人なりの出会いがあったり、何か刺激となればいいのです。

――音楽業界への働きかけにもなるかもしれませんね。


小沼純一氏: だといいのですが……。でも、それはなかなか難しい。
現在の音楽業界では録音ものを「コンテンツ」などと呼ぶ人がいます。でも私は、音楽、あるいは文学をコンテンツと呼ぶのはすごく失礼なように感じていて、それに対して「それは違うんじゃないの?」と言わなくてはいけないような気がしています。「コンテンツ」と言うことによって商品になってしまいますが、音楽や文学は、商品や消費というのとは少し違うものか、と。

著書一覧『 小沼純一

この著者のタグ: 『音楽』 『アナログ』 『古本屋』 『デジタル』

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