自分の“知”を、つなぎ合わせて本にする
――時は進み、大学では都市工学を学ばれています。
松原隆一郎氏: 街を歩くのが好きだったこともあって、大学3、4年生の時は都市工学科に進学しました。本郷から駒込に帰るのに、谷中や根津などを通っていたのですが、あの頃は東京がめまぐるしく変化していた時期で、森まゆみさんが“この景観を残そう”という運動を、ちょうど始めた時期でもありました。みるみる街が壊れていくのを見ていると、自分の体が壊れていくような嫌な感じを受けました。僕の偏見かもしれませんが、当時の都市工学は、クライアントからお金をもらって言われた通りに街を作り変えているという感じを受けました。でも僕は、むしろ街の中に残り続けているものに関心があったし、それを探すために街歩きをしていたのです。
月島に行くのも好きで、長屋のような建物の前の路地に、たくさんの植木を置いていました。今ではほとんど見かけなくなりましたが、僕は、公と私の間の空間にこそ下町の歴史があったのだと思うのです。そうした景観が崩壊するのを見るに見かねて、都市の景観が失われていく様子についての本を書きました。「日本の街が壊れたのは、経済が主な理由だ」と感じていたので、経済学者がそういう本を書かないといけないと思いました。
編集者は触媒。想いを社会に届けてくれる存在
――先ほど建築家との関係性を「書き手と編集者のようなもの」と例えられました。
松原隆一郎氏: 私は自分が体で感じている感覚を言葉にするために、本を書いているのですが、それを社会とつなぎあわせる触媒の役割を編集者は担っていると思います。ですから、僕が頼まれて書いた原稿に対して、なにもコメントをつけない編集者だと困ります。立派なコメントが欲しいとか、褒めてほしいということではなくて、何か言われたらそれからの連想で草稿をブラッシュアップさせる。意にそぐわないことを言われたら喧嘩になることもありますが、それはそれでいい、と僕は思う。そういう風にコミュニケートしながら本を作っていくので、建築家と家を建てたように共同作業だと思っています。
一人でも十分なものを作れるという優秀な方も中にはおられると思いますが、「編集者を介したら、もっとタイトでいい文章になるはずなのに」と思うものもたくさんあります。自由に書いた文章は、人の言葉に対して反射していないから、他人が読んでも、あまり面白くないのかもしれませんね。編集者の言うことを全部聞けと言っているわけでもありませんし、拒絶してもいいのですが、その拒絶するというプロセスが1つ入るだけでも、全然違うものになるはずです。
文末が3種類ABC、ABCというように、必ずある順番で出てくる人もいますが、それだとリズム感が文章には生まれませんよね。やっぱり文末や文脈は重要だと僕は思います。読者は旬のある情報にお金を払って読んでいるわけですから、書く時にはマーケットで売れる文章にします。僕の場合は、読者、相手方をしっかりと意識して書くようにしています。
『書庫を建てる―1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト―』の元となったWEB上の阿佐ヶ谷書庫プロジェクトの時の文章は、家族との葛藤の話など、もっと赤裸々に書いていましたが、それはあえて親族に読ませようと思ったのです。読んだ人には「あれはあれで面白かった」と言う人もいて、分からないなとも思いました。みんなが抱えている悩みなのかもしれませんね。ただ、親族の何人かには「こんな恥ずかしいことを書いて!あんたとは縁を切る!」と言われそうです(笑)。