コミュニケーションを生み出すためのツールである「本」
――そういった過去の記録媒体としての役割も、本の大きな魅力の一つですね。
安冨歩氏: まだ生きている人間の書いていたものは、基本的にくだらない(笑)。ジャンクメールみたいなものです。例えば学術雑誌は、16世紀以来、雑誌のタイトル数が幾何級数で増えているんです。雑誌の中に入っている論文の数はさらに増えている。20世紀初めの何百倍何千倍も書かれていると思います。そんなにたくさん書かれるのはおかしいのです。本屋に行けば分かりますが、読む気のする本はほとんどない。ほとんどがジャンク品のような本なのです。時間という厳しいフィルターをくぐり抜けて古典として生き残っている本は凄いですよ、やっぱり。
――そういった中で、一人の書き手として本を書く意義とは。
安冨歩氏: 不易流行という芭蕉の芸術論があります。不易は古典ですね。流行は流行ですよね。古典を書こうと思っても書けない。人間は時代の中にしかいないし、その時代の中で時代に向かって書くしかない。それが時間というフィルターを生き延びて不易になる。ですから私も、この状況下で書くしかない。
私が本を書いているのはつながりを作るためです。ツイッターは大事だと思っていて、読者とコネクションを作るのに役立っています。コミュニケーションを生み出すためのツールとして本を出すことには意味があるけれど、情報の洪水の中に水を一滴加えるということには、なんの意味も無いと思っています。
紙の本はとても大事。電子の中に入っている本に、人は愛着を感じない。モノになった本、美しい本に愛着を感じる。それはコミュニケーションを起こす場になり得ると思います。今、電子出版も出ていますが、たぶん電子出版で私の本を読んで人生が変わった人はいないと思います。ネットやツイッターを通じてリアルな本を買ってそれを読んで。やはり、その行程を踏んだ人が大きな影響を受けているみたいです。
――むしろ読む前後の読書ツールとして、そういった技術は活用できると。
安冨歩氏: ツイッターがなければ読んで終わりなんです。ツイッターがあると読者とコンタクトできるから、講演を開催したら来てくれたりなど、二次的三次的なコミュニケーションが生まれます。確かなつながりへの効果を生む為には、現時点ではツイッターが効果的なのです。
欠乏しているのは「受け取る」行為。枠を超えてイノベーションを起こしたい。
――身の回りの情報が増えていく中で、受け手の姿勢も変化が必要なのですね。
安冨歩氏: ピーター・ドラッカーが言っていますが、「人類はずっと情報が不足している状態にあった。かつては情報を投げ込めばみんなが飛びついた。ところがある日突然、情報が爆発するようになった。それはコンピュータのせいだ。コンピュータの出現によって、今や我々は情報の洪水の中にいる。これから必要なのは、インフォメーションではなくコミュニケーションである」と。これを彼は1970年代に言ったんです。今、私たちが直面している状況は、情報の洪水どころか、もはや津波です。
グレゴリー・ベイトソンの定義(「情報とは、違いを生む違いである。」)では、誰かが受け取って、それがその人の行動の変化として現れたとき、初めて情報になる。ピーター・ドラッカーは、同じ事をコミュニケーションという形で議論しています。人々が情報を受け取って自分の行動の変化に変える事がコミュニケーションの本質。「これが起きた時に、はじめてそこに情報が生成する」とドラッカーは考えています。情報の洪水の中で欠乏するのは、実は「受け取る」という行為です。違いの中から意味を見出す行為、これが欠乏してしまうんです。
――そのような中で、先生の「つながり」はどのように広がっていくのでしょうか。
安冨歩氏: 音楽とか芸術とかファッションとか、そういうものも総合的にやっていきたいと思います。とにかく色々なボーダーを越えていきたい。コミュニケーションを引き起こす事をやっていくしかないと思いますね。同じ事を繰り返してもしょうがないので、分野を越えたり国境を越えたり男女の壁を越えたり、色々なボーダーを越えていく。今までつながる事の無かったものとコミュニケーションを引き起こすのがイノベーションの本質だから。
(聞き手:沖中幸太郎)
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