福澤英弘

Profile

1963年生まれ。上智大学経済学部卒業、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了、ストックホルム商科大学国際経営プログラム修了。(株)富士銀行、(株)コーポレイト ディレクションを経て、(株)グロービスの設立に参加。創業時より企業研修部門の責任者を務める。2007年、戦略実行のための人材・組織能力開発を支援する(株)アダットを設立。 著書に『図解で学ぶビジネス理論 戦略編』(日本能率協会マネジメントセンター)、『不確実性分析 実践講座』(共著。ファーストプレス)、『人材開発マネジメントブック 学習が企業を強くする』(日本経済新聞出版社)、『定量分析 実践講座』(ファーストプレス)など。

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人を動かすための方法


――その後、富士銀行へ入られましたね。


福澤英弘氏: バブル直前の86年に入りました。バブル時代の銀行では、富士銀行ですらおかしなことをやっていたりもしましたし、しがらみなども色々あったようで「もうこれはしょうがないんだよ」というような雰囲気もありました。でも、私は入ったばかりだから、「なんでこんなことをやっているんだろう」という疑問が生じるわけです。「自分が未熟だからそう思うんじゃないか?」と考え、しばらくは疑問にフタをして仕事を続けていました。でもやっぱり「周りがおかしいんじゃないか?どんなに一生懸命やったって、やっぱり違う。もう1回出直そう」と思って、二年目の冬、慶応のビジネススクールを受験しました。合格するとは思っていなかかったのですが合格してしまい、さあ大変。勇気を振り絞って「大学院に行きたいから、3月いっぱいで辞めたい」という話を支店長にしましたが、やはりその後が大変でした。それが24歳の時でしたね。当時の富士銀行というのは、メインストリーム。私はメジャーよりかはマイナー指向というか、今思えば、自分には合っていなかったという感じもあります。でも、働いていた人たちとは今でも仲が良くて、今度、同期会があります。同期には役員クラスの人もいますが、その時の繋がりはずっと続いています。

――なぜビジネススクールを選ばれたのでしょうか?


福澤英弘氏: 当時、日本で一番良いと世間で言われていた富士銀行でしたが、そんな組織ですらおかしなことをやっていました。だったら「他の企業はもっとひどいんじゃないか。こんなことで日本はどうなるんだ」というような、義務感、正義感を抱いたのです。若気のいたりですね。日本の組織を、会社を良くしたい。そのために自分は勉強しなきゃいけない。でも自分には武器が何もないと気が付いたのです。海外のビジネススクールが有名だったのですが、英語の勉強をする時間がすごく勿体ないと感じ、それで慶応のビジネススクールに行くことにしました。2年目は、交換留学で半年ほどストックホルムに行ったので、日本との違い、日本がいかにおかしなことをやっているかといったことがわかりました。そういった経験により、外から見る目も養われたのではないかと思います。そして、コンサルタントならば日本の企業を良くすることができるのではないかということで、コーポレイトディレクション(CDI)という会社にたまたま縁があって、今は経営共創基盤CEOになっている冨山和彦さんらと一緒に仕事をしました。

――株式会社グロービスを立ち上げようと思った動機はなんでしょうか?


福澤英弘氏: いくら良い戦略をクライアントに提示しても、絵に描いた餅というか、現実問題として動かないということもありました。それで漠然と「やっぱり、人だ」という意識が芽生えていったんです。あるプロジェクトで、企業の新規事業の立ち上げをやったのが、直接的なきっかけとなりました。戦略を提示するだけではなく、向こうのメンバーと日夜行動を共にして、一緒に考えて議論して、ということを続けていたら、クライアント側のメンバーも「動いた」という手応えがあったのです。何か刺激を与えるというか、そこまでしないと人は動かないと感じました。そんなとき、たまたま堀義人氏(グロービス 代表)と会う機会があって、「そういうアプローチで、企業を強くするのがいいんじゃないか」と話したら、大きな方向性は同じだと意気投合して、93年にはグロービスの立ち上げに着手しました。グロービスというのは個人を対象とした大学院や学校のイメージがあるかもしれませんが、私の問題意識としては、BtoBで、企業をどうやって変えていくかということ。当時は研修というような形で企業に行って、相談しながらプログラムを提供していくというようなことをしていました。企業研修の世界ではずぶの素人でしたが、いいお客さんや講師に恵まれ、鍛えていただきました。



数字を押さえた論理思考をしないと、意味がない


――一般向けに本を出すことになったきっかけというのは?


福澤英弘氏: 95年に出版したMBAシリーズの最初の本、『グロービスMBAマネジメント・ブック』の著者側のとりまとめと編集と一部の執筆を担当しました。科目ごとに専門家、といっても皆同じような世代でビジネススクールから帰ってきたばかりの人たちでしたが、彼らと議論しながらまとめていきました。当時、そもそもMBAという概念があまり知られていなかったので、役に立つ経営学の知識を一冊に纏めて、みんなに読んで勉強してほしいと思いました。そういう新しいジャンル、カテゴリーを作る面白さを感じました。それから、論理思考系に関わることになったのは、バーバラ・ミントの『考える技術・書く技術』という本が元々のきっかけでした。あれは、マッキンゼーのコンサルタントのトレーニング用にあったやつで、私もCDIに入った時に原書で勉強させられました。内容も英語も難しいので苦労しましたが、良い本だなと感じました。グロービス創業間もない頃に、「すごくこれはいい本で、勉強になるから日本でも出したい」と、それを翻訳して山崎康司さんが持ち込んでこられたのです。そうやって、ダイヤモンド社から95年に『考える技術・書く技術』が出て、ロングセラーとなっていますね。山崎さんの存在がすごく大きかったのですが、グロービス側の私としても、新しいカテゴリー、分野を作れるんじゃないかというのがあったので「是非一緒にやりましょう」と。あれは戦略コンサルタントのノウハウを一般向けに初めて開示した本で、その後、齋藤嘉則さんの『問題解決プロフェッショナル』なども出ましたね。

――2007年には『定量分析実践講座』を書かれましたが、もともと定量分析を専門とされていたのでしょうか?


福澤英弘氏: いえ、まったく専門ではありません。グロービスを辞めた後、しばらく昔の知り合いから研修の相談を受けていて、講師を紹介したりしていたのですが、その人が「定量分析の研修をやりたい」と言ってきたのです。でも紹介できる人もおらず、どうしようかなと考えていたところ、しばらくしてその人から、「社内で案が通っちゃった」などと言われたので、驚きました。その人と親しい関係だったのもあって、2日間の定量分析の研修プログラムの講師を私が引き受けざるをえなくなりました。資料が何もない状態から、2、3ヶ月後の研修を担当することになったのです。私はグロービス時代に、論理思考やクリティカル・シンキングなども売っていたけれど、実はちょっと虚しさのようなものも感じていたのです。帰納法や演繹法、MECEなども大事なのですが、地に足が着いていないというか空中戦のように感じていました。私は銀行にいたこともあり、数字に対してかなりこだわりがあって「きちんと数字を押さえた論理思考をやらないと、意味がない」という問題意識が以前からありました。それがその研修へと繋がっていき、たくさんの本を買って勉強しまくり、2日間の研修プログラムを作りました。研修を終えて、なんとかお客さんに評価もいただけて、ホッと一息つくことができましたね。

――研修のために作り上げたものが、本となっていったのですね。


福澤英弘氏: 上坂伸一さんは、MBAシリーズを一緒に作った人で、ダイヤモンド社内でも有名な人だったのですが、その後、株式会社ファーストプレスという出版社を自分で起こされました。上坂さんと一緒に仕事をしたいなと思っていたので、上坂さんに、「こういう研修のプログラムのパッケージを作ったんですが、これを本にしませんか」と声を掛けました。グロービス時代からの信頼関係もあったので、上坂さんも「ぜひ」と言ってくれて、そこから2ヶ月ぐらいで文字に落として、すぐに出版することになりました。理論だけではなくて、リアルなビジネスに使えるようなショートケースを使っていたので、上坂さんが「実践講座」というタイトルを考えてくれました。

著書一覧『 福澤英弘

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