働く人々の気持ちに寄り添って
現実的な解決策提示を行う現場派社会保険労務士として活躍する内海正人さん。金融業界での経験や知識を活かし、人事、経営コンサルタントとして幅広く活躍しています。「お客様との意識の共有が喜び」という内海さんに、独立のきっかけ、仕事哲学、伝えたい想いを伺ってきました。
「架け橋」をキーワードに
――「生きた制度作り」を標榜されています。
内海正人氏: 人事制度というのは、時代によって変化しています。例えば20年ぐらい前までは、職能資格制度を大企業が採用しており、中小企業もそれに倣った制度を採っていました。2000年初頭に、外資が日本に参入してから、成果主義が導入されはじめました。そこから、昔の制度がほころび始め、それと同時に終身雇用も崩れ始めました。
混沌とした状態の中で、さらに迎えたのが転職の時代です。「どんな人材が望まれるのか」会社として社員の評価制度に独自性のある中小企業が出始めてきましたが、まだまだ昔の制度を引きずっている企業も多いのです。「時代の趨勢と会社の状況に合わせた人事考課を」とアドバイスしていくのが、この「生きた制度作り」なのです。
会社で積むキャリアのもろさを実感
内海正人氏: 私が大学を卒業した頃はバブルの終わり頃でしたが、今のように「就活」という言葉もなく、一つの会社にずっと普通に勤めていくのだろうなと思っていました。私はある商社に入社したのですが、研修後すぐに子会社へと出向になりました。グループ採用というようなものが、昔は結構あったんです。それで、金融関係の仕事につきました。子会社は上場するもすぐに倒産。「会社って、意外にもろいな」と思いました。その後、親会社に戻ったのですが、せっかく今まで身につけた金融の知識は、その会社でのステップアップには役立ちませんでした。そういう経験から、「食べられる資格」を考えるようになり、社会保険労務士の資格を取りました。
――危機感を感じていたのでしょうか。
内海正人氏: いろいろな事を考えざるを得ない状況でした。そういう意味では、出向できてよかったのかもしれません。子会社での出向時、私は新卒に毛が生えたような身分でしたが、融資の仕事で対面する顧客は皆、私より年上の経験豊富な方々ばかり。若造という事もあり、気を許してくれたのか、けっこう会社の愚痴をこぼされていました。そういう愚痴を聞いていると、次第に誰にも相談できない社長の孤独さを感じました。当時は大した意見を言えませんでしたが、相談役の必要性を感じました。
――自然と、経営というものに興味がわく環境にいたのですね。
内海正人氏: ええ。経営者の思考回路を垣間見た気がしました。どのようにして人を使ったり、お金を集めたり、事業を成り立たせるのか。特に、会社内の人材という問題の複雑さを感じました。どの会社に行っても、優秀な人、普通の人もいれば、お荷物になる人もいる(笑)。業種業態は様々ですが、中身は結構似ている。「組織って面白いな」と思いました。その後、社労士の資格を生かして色んな場所で働く事になりました。