友野詳

Profile

1964年生まれ、大阪府出身。大阪府立大学総合科学部日本文化コース卒業。 1990年、ゲーム・デザイナー集団「グループSNE」に参加。テーブルトークRPGを中心とするアナログゲームデザインや、そのリプレイやノベライズを含む小説執筆とを並行して行う。 主な作品に『ルナル・サーガ』をはじめとする『ルナル』シリーズ、『コクーン・ワールド』をはじめとする『ファイブリア』シリーズ(以上、角川スニーカー文庫)。 近著に『あやかし秘帖千槍組』(廣済堂出版)、『からくり隠密影成敗 弧兵衛、推参る』(KADOKAWA/富士見書房)、など。 『魔界王子レオン 猫色の月と歌えないウサギ』(角川つばさ文庫)等、児童小説も手掛ける。

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一緒に楽しい夢を見よう



ゲームとストーリーの融合を中心として活動するクリエイター集団、グループSNE所属のゲームデザイナーであり小説家である友野詳さん。『ルナル・サーガ』、「ファイブリア」シリーズなど、ゲーム・小説を中心に活躍されています。執筆活動25周年を記念し、2大ファンタジー『ルナル・サーガ』『コクーン・ワールド』が新装版で同時に発売されました。「やってることはずっと変わらない」という友野さんの、エンターテインメントの作り手としての想いを伺ってきました。

“人前で喋って、ウケる”という快感


――初期の代表作である『ルナル・サーガ』と『コクーン・ワールド』が新装版となり、さらにドラマCDも発売されました。


友野詳氏: ぼくは91年に『コクーン・ワールド』でデビューしていますので、足かけ24年。 20年以上も前の作品が、ドラマCD化というのは、ライトノベルの世界では稀なケースで、自分でも驚いています。当時、中高生だった読者が今、現場の最前線で編集や営業、企画をする立場になって、自分たちが読んで面白かったものは、現代でも共感を得られるだろうといったご意見をいただいたのです。「自分たちが面白いと思ったものの作品の力を信じて、もう一度世に出したい」と言っていただいて、復刊に至りました。ただ、好きなものは昔から変わっていませんし、自分ではそんなに年月が経った気はしませんね。

――好きなことを仕事にしてこられたのですね。


友野詳氏: ぼくは大阪の下町生まれ、下町育ち。子どもの頃から特撮ヒーローものが大好きで、スーパーヒーローがモンスターを退治するという紙芝居を作ったことがありました。遊び友達の都合がつかない時は、家で漫画を読んだり、自分の考えた怪獣をノートに延々と描き続けていました。当時のノートを4~5年前に見つけたのですが、「今とやっていることが、変わらないな」と思いましたよ(笑)。

「自分のことは、自分で決める」が家風で、両親が僕の進路に口出しをすることはありませんでした。父親は高校生の頃までイラストレーター志望でしたが、家業の工場を継がなければならず、諦めざるを得なかったのです。結局、その工場はぼくが小学生の時に閉めてしまいましたので、両親は「好きなことをすればいい、飯さえ食えるんならいいだろう」という態度でいてくれました。

――恵まれた環境の中でのびのびと創作を。


友野詳氏: 子どもの頃から漠然と「何かを作る人になりたい」と思っていました。小学校の頃には、自分の怪獣図鑑を作ったり、オリジナルのスゴロクゲームを作ったりしていました。
中学ではいじめられた時期があって、図書館に逃げこんで、本を読むことで救われていました。それで図書委員会に入ったのですが、その委員会で学期に一回、発表会があったんです。面白い本を紹介したり、図書室の本で調べたテーマを発表するというものだったのですが、その時に、“人前で喋って、ウケる”という快感に目覚めました。それで、高校では演劇部と文芸部に所属して、文芸部では当時、出始めたアニメのパロディーものを書いていました。

「ウン、なるわ」で作家に


――大学進学先も、大好きな小説の影響で決めたということですが。


友野詳氏: 僕が特に好きだった『宇宙船ビーグル号』というSFの傑作があるのですが、その中で、あらゆる科学を総合して学際的に考えるという架空の学問「総合科学」が出てきます。その総合学部が大阪府立学に、当時は存在したので行くことを決めました。大学3、4年の時、会誌にライトノベル的な小説を書き始めたんです。何気なく友人と雑談していた時に「お前はプロを目指すの?」と聞かれて、「ウン、なるわ」と返事をした瞬間に、作家になろうという決意が固まりました。



その友人が、僕に作家になるための大きなきっかけをくれました。大学の就職担当の方には「作家を目指すので、就職はなしでいきます」と言って、書いては投稿するという生活を4~5年ほど続けました。当時はバブル真っ盛りでしたので、「就職しなくても生きていける」という空気が、大学生には蔓延していました。そういう意味では恵まれた時代でしたね。親には「30になる時にはきちんとします」という話をして、卒業後はアルバイトをしてしのいでいました。

――テーブルトークRPGとの出会いも。


友野詳氏: ボードゲームやカードゲーム、テーブルトークRPGなどが日本に紹介され始めたのはぼくらの高校時代で、日本語で読めて遊べるようになったのが大学時代。その頃の僕は、人前で喋るのが好き、お話を作るのが好き、怪獣や怪人といったこの世にあらざる者の設定を作るのが大好きという感じだったので、テーブルトークRPGに出会って、「これは、世界がぼくのために用意してくれたエンターテイメントだ。これが天職だ」と思ったのです(笑)。ただ最初は、グループSNEでやっているゲームやテーブルトークRPGが仕事になるとはあまり思っていませんでした。たまたまグループSNEが人員を募集していて、それに応募したら採用されたんです。300人ぐらいの応募があったそうで、結構な倍率でした。

著書一覧『 友野詳

この著者のタグ: 『ゲーム』 『クリエイター』 『エンターテインメント』 『アイディア』 『漫画』 『コミュニケーション』 『科学』 『可能性』 『紙』 『歴史』 『イラストレーター』 『宇宙』 『子ども』 『人生』 『日本語』 『才能』 『アルバイト』 『現場』 『書き方』 『バブル』 『ルール』 『ライトノベル』

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