杉田敏

Profile

1944年、東京都生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、「朝日イブニングニュース」の記者となる。1971年にオハイオ州立大学で修士号(ジャーナリズム)を取得。「シンシナチ・ポスト」経済記者から1973年、PR会社バーソン・マーステラのニューヨーク本社に入社、1985年に日本ゼネラルエレクトリック(GE)に取締役副社長(人事・広報担当)として移籍。1987年からバーソン・マーステラ(ジャパン)社長、電通バーソン・マーステラ取締役執行副社長を歴任。2007年より現職。 著書に『人生を考える英語』(プレジデント社)、『人を動かす! 話す技術』(PHP新書)など。NHKラジオ「実践ビジネス英語」の講師も務める。

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神田の江戸っ子、コメディアンを目指す



杉田敏氏: 私は、記憶力だけは凄く良くて、単語を一回見ると意味だけではなく、見た日付や載っていた教科書のページまで覚えてしまいます。書店や図書館で本を読み、知識を吸収しては、先生に難しい質問をして困る顔を見て面白がっていました。のちに大学教授になった先生に再会したとき、思わず声をかけたらギクッっとされていました。ずいぶんと、いじめたんだなと思いましたよ(笑)。

もう一人、のちに神主になった岡本先生は演劇部の顧問だったこともあり、卒業後も親しくお付き合いさせていただきました。『ロンドン―東京5万キロ 国産車ドライブ記』という、おすすめの本を貸したこともありました。この本は、朝日新聞で辻豊さんという方が連載していたもので、トヨタの車で、ロンドンから東京までのドライブの模様が書かれたものでした。僕はこの連載をいつも楽しみにしていました。船で数ヶ月かけて、スタート地点であるロンドンまで車を運び、そこからドーバー海峡を船で渡り、中近東を経て帰ってくる旅です。家庭教師の先生は、その後医者になり、東京女子医大の理事を務められましたが、胃がんで亡くなった父と母を診てもらっていたので、長い間お付き合いしていましたね。色んな良い先生に巡り会いました。

――先生とは、密接すぎる(?)くらいの距離感ですね。


杉田敏氏: 下町だったからでしょうか。先生に「お前たちはみんな商人の息子だから、お金に換算したほうが飲み込みやすいだろう。だから遅刻のバツは、一回につき十円の罰金とする」と言われて、教室にある大きな花瓶に没収されていました。でもその十円はちゃんと、運動会でのみんなのお菓子代にあてられるんですね。良い時代でした。

――杉田さんのご実家は東京の……。


杉田敏氏: 神田よぅ!

――おぉ、ちゃきちゃきの江戸っ子なんですね。


杉田敏氏: ……なんだけど、グリム童話に出てくるようなちっちゃい靴屋で(笑)。演劇部にいましたし、NHKの東京放送児童劇団にも所属していたので、家業を継ぐつもりはなく、テレビで活躍するコメディアンになりたいと思っていました。結局才能がないと諦めましたが、今でも同窓会で劇団の方が集まると、「君は下手だったねぇ」とか言われています(笑)。小学校の学芸会で落語をやったり、末広亭という寄席がまだ人形町にあったのですが、そこへ行って落語を聞いたりしていましたね。そしてクラスで落語をやったり、それから英語で漫才をしたりもしました。

いつの間にか英字新聞の正社員に!?



杉田敏氏: 大学ではESSに入って英語でディベートをしたり楽しい時間を過ごしました。学友とは、未だに毎年会っています。大学四年生の時には、先輩に誘われた「朝日イブニング・ニュース」で週三、四ほど働いていました。「よく来るから」と、気付かないうちに、正社員になっていて、ボーナスももらいました。インタビューや取材にも随分と行きました。そこに六年いましたね。この頃は、あまり物事を考えていませんでした(笑)。

ただ、それまで一度も外国に行ったことがないのはもったいないと考え、オハイオ州立大学でジャーナリズムとPRを学びました。PRも学んだのは、ニュースを自分で書くのもいいけれど、書いてもらうのも面白いと感じたからです。ジャーナリズム学科の中で、PR、ジャーナリズム、広告と、三つに分かれていました。さらにジャーナリズムの中でもテレビと新聞に分かれていました。

アメリカ人の中でもさらに文章にこだわる部類が集まる訳ですから、彼らと英語力で競争して単位を獲得するのは容易ではありませんでした。さらに、BやCの成績では奨学金がストップしてしまうので、もう必死でした。いったん学校から寮に帰ったあとは疲れ果てて眠るのですが、膨大な宿題をこなす為、夜中の二時に起きるんです。そのまま博士課程に進むには収入がなかったので、また新聞社に入ります。そこでも、PRの重要性を感じ、ニューヨークのバーソン・マーステラという会社に移ります。「優秀さが背広を着ている」と評されるほど、プロのPRマンや広告マンが集まっている世界でした。名文家で、しゃべりも上手い人がたくさんいました。私のPRの道はそこから始まりました。

深い雑談力で、本物のコミュニケーションを


――代表を務めるこちら(株式会社プラップジャパン)では、プラップ大学と呼ばれる社員教育制度があります。


杉田敏氏: 社員に望むことの一つがソフトスキルです。英検やTOEICなどの資格といったハードスキルと違って、コミュニケーション力や、交渉力、雑談力、ファシリテーション力などなかなか可視化出来ないスキルです。これを社員一人ひとりが互いに努力し、向上させる制度です。コミュニケーションというのはなかなか難しいもので、ビル・マーステラ氏の著作には「コミュニケーションが病気でなくてよかった。私たちはそれについてあまりにも知らなすぎる」とも書かれています。奥が深く、これで極めたということはありません。

その素養を培い、磨く有効な手段が読書です。物を書くためには読まなきゃならない。読むためには書かなきゃならない。私もそろそろ年なのか、最近はあまり読書に時間を費やすことも昔ほどではなくなりましたが、このあいだお会いした池井戸潤さんや、桐野夏生さんの本は読んでみました。どちらもとても面白くて、『サラバ!』も買いましたよ。私は自分のことを、日本語や英語の現代用語を研究するアマチュア言語学者だと思っていて、ここにも、家の本棚にもそれに関連する本がたくさんあります。辞書は、新しい版が出るたびに買い足しています。そこで得た発見を本にまとめています。私の経験や知識を多くの人に伝えシェアすることで、皆さんの役に立てれば嬉しいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 杉田敏

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