十年早かった、SNSづくり
小川浩氏: 僕がマレーシアにいた頃は、アジアの通貨危機もあって、色々と考えさせられました。当時、アキアの他に、GatewayとDellという二つの通販型コンピューターのメーカーがマレーシアに工場を持っており、そこで日本向けに輸出していました。日本人は、香港も含め東南アジアに10万人ほどいました。10万人の日本人が、日本語仕様のコンピューターを手に入れようとすると、日本から持ってくるしかない。現地の英語のコンピューターに日本のOSを入れるという方法もありましたが、不具合が多かったのです。「10万人という市場があるから、やりましょう」とDellさんにお話したところ、快諾頂けました。今度はFedExではなく、DHLを使いました。Gatewayさんにも同様にお声掛けさせて頂きました。
――DellとGatewayを並べて売っていたんですか。
小川浩氏: オンラインショップを作って販売していましたが、当時、DellとGatewayを同時に売っていたのは他になかったように思います(笑)。それから、次に東南アジアの人間と日本人が一緒に喋れるようなコミュニティ、SNSを作ろうと動き始めました。ところが、資金集めの方が思うように運ばず、そのうちバブルがはじけてしまいました。結局止めることになってしまいましたが、まだFacebookやmixiが出る前だったので、あれが上手くいっていたら、もしかしたら世界初のSNSになっていたかもしれませんね。
その後、日立でネットビジネスの経験者募集があり応募しました。起業経験がある人というのは、それほど多くはありませんので、「すぐ来てほしい」と言われました。でもバブルがはじけてしまって、コンシューマービジネスは、1年もしないうちに解散になってしまいます。それからは法人向けに切り替えようということで、企業内SNSというような方向に向かいました。そして、チームごと引き取ってくれる部署を探し、そこで企業向けのビジネスをしようとなったのです。そこから実は本を書くことに繋がるんです。
最初はコミュニティという、クローズドで何かやろうという世界だったのが、ブログによって、オープンな世界が登場し始めたのです。「ホームページは、こんなにも簡単に作ることができる」ということがブログによって一般化しました。ブログという形でウェブサイトを簡単に作ることができるし、情報も更新できますよね。それを求めているのは個人だけでなく、絶対に企業も必要なはず。そういったビジネス・ブログが必要なのではないかということで本にまとめる事になりました。
“本”で伝える事の意味 ネットの可能性
――『ビジネスブログブック』ですね。
小川浩氏: 当時あった、株式会社カレンというネット広告会社で働いていた四家さんに、「ビジネスブログというコンセプトを、何とか広めたいね」という話をしたら、「それなら本を書こうよ」と言われたのです。それで、僕と四家さんと、当時のブログの中心だったMovable Typeを使える知り合いのWEBデザイナーの方と作ることになりました。その企画を持って行った先が、マイコミ(現マイナビ)さんでした。それがヒットして、結果的にビジネスブログシリーズは3部作出ています。
――発信手段として、“本”を選ばれたのは。
小川浩氏: 伝える手段としては、本に限らず様々な選択肢がありますが、まとまった情報という点に本の良さがあります。それは新聞も一緒で「ここまで」というピリオドが読み手にとってわかりやすさを与えます。またブログにはない、編集者という存在も大きいですね。編集者によっては、原稿をやり取りするなかで、順番などについて意見をくれたりとシャッフルが始まります。何もしないで一冊の本になるということはありません。大変ではありますが、編集者さんの指摘によって良い本になっていきますし、編集者さんと一緒になって本を作るというのが楽しみでもあります。
日本の発信手段を「場」をつくりたい
――『Web2.0 BOOK』ではウェブの成り立ちから書かれています。
小川浩氏: 僕らは、Mosaicなどブラウザの初めの方のものを見ていて、そこの世界から始まっているという思いが強かったので、全体を俯瞰するような歴史を書きたかったのです。僕は概念化されていなバラバラの情報を、繋いでまとめ、伝えることが得意だと思っています。いつかまた“Web2.0”のようなキーワードが出てきた時には、それをまとめることになるかもしれません。
――あの本で、Web2.0という言葉が一般化したのではないでしょうか。
小川浩氏: その時と同じように、自分の名前ではなく、会社やビジネスモデルそのものが認知されていく流れが理想ですね。「あれを考えたのは、あの人だったのね」ぐらいで(笑)。
ビジネスブログというものができた時に、Webに自分たちのコンテンツをアップするという入り口が開かれました。しかし、多くの企業はいまだにそれをきちんと活かしきれていません。
日本の企業が世界に対して情報を発信する時の、大きなゲートウェイに僕はなりたいのです。昔マレーシアでは、日本のバイクは高嶺の花でしたが、今はヨーロッパ勢が伸びてきています。やっぱり日本のプレゼンスを上げるためにも、もっとPRしなくてはいけません。PRするための道具としてのゲートウェイを、僕たちで作っていきたいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 小川浩 』