Always thinking “why”で進む
――選手を引退されてからは、日本代表のコーチに就任されます。
田中ウルヴェ京氏: 88年ソウルオリンピックの翌年に引退して、そのままコーチになりました。理由は特になく、恩師の先生に「コーチとして選手を育成することが、あなたは上手でしょう」と言われて、「はい」と。正直、指導は楽しかったです。ただ、指導者としての勉強は怠っていたかもしれません。メダルも獲得したので、技術も戦術も教え方も、シンクロ選手の身体トレーニングも、医者よりもわかっているから学ぶ必要がないと思っていました。でも実際は、自分の体をどうすればいいかを知っているだけで、運動生理学や機能解剖学、さらに、身体機能にも影響する心理学など、学問的アプローチの仕方をわかっていないので、色々な性格や体質、筋肉や骨格の子を見た時に、適切な指導ができていなかったのだと、今は思います。ただそういう反省って、「自分はわかっている」と思っている時は、しませんからね。(笑)
3年くらいコーチを続けていると「自分は人間として何なんだろう?」と思うようになりました。当時、電話でも「シンクロの田中です」と言っていましたが「シンクロ以外、なくていいんだろうか」と。シンクロ界の人に聞いても「それが物事を極めるということだ」と言われましたが、「極めるって何だろう?」と、さらに色々考えるようになりました。
24歳の時にJOCコーチ留学で2年間、アメリカに行く機会があって、大学院で色々なことを学びました。そして、その時に出会った、ウルヴェさんというフランス人(現在のご主人)から哲学を学びました。「“なぜ”を、いつも考える」ということを教えられて、それ以降は「なぜ、私はこうなんだ?」とか「なぜ、今日は楽しいのか?」ということをやりながら、十二単を一枚ずつ外すかのように、あるべき自分という鎧を少しずつ剥がして、結果的に心理学に興味を持つようになったのです。
――Always thinking “why”と。
田中ウルヴェ京氏: そう、常に「なぜだろう?」という疑問を、本当に小さなことから考え始めました。例えば「今日はなぜ運転することに決めたのか?」とか「なぜ、今赤信号で止まっているのか?」とか、そういう本当に些細な事柄も意識的に考えるようにしました。
留学当初はサンフランシスコ郊外のウォールナットクリークというところに住んで、セント・メリーズ・カレッジ・オブ・カリフォルニアの大学院に通っていました。計6年半のアメリカ留学のうち最初の4年半を過ごし、最初に修士を取得した学校です。その後、96年のアトランタオリンピックでコーチをして、98年まで代表チームのコーチをやって、99年に息子が生まれてから専業主婦になりましたが、その年から2001年まで、アリゾナのアーゴジー心理専門大学院で認知行動理論を勉強しました。その時は、子育ても充実していて楽しくできました。息子が寝た後、夜の9時半から朝の3~4時までが学習タイムでしたが、まったく苦にはなりませんでした。
自身の悩みを社会に活かす
――帰国後の2001年に、株式会社ポリゴンを起業されます。
田中ウルヴェ京氏: そうですね。帰国してから、テレビの解説などでシンクロには関わっていましたが、スポーツ心理学を学んできたので、メンタルトレーナーとして、シンクロ以外の自分を作りたくて、事業化したのが最初です。14年前は「怪しい」とか「ああ!集中力ね」などと、ネガティブなイメージや、限定的な捉えられ方しかなかったように思います。「メンタルトレーニング=宗教」のようなイメージで「メンタルトレーニングを信じていればメンタルは強くなりますか?」と聞かれたりもしました。「メンタルトレーニングはトレーニングですから、あなたがトレーニング法を学び、日々鍛えるんです。私は、あなたの状態にあわせて、様々なトレーニングを提示しますが、選んで行動継続するのはあなたです」と言ったりしました。日本では今でも、メンタルトレーニングについて説明を丁寧にしていく必要があると思っています。
アメリカ時代の自分の専門は、「競技引退後の選手のキャリアプランニング」でした。これを14年前に日本で色々な競技団体で説明した時は、ほとんどの人に「ダメだ」と言われました。「引退なんてネガティブな言葉を選手に使うな」とか「選手は引退後のことなんか考えたら、やる気をなくすだろう」と言われましたが、それは逆です。いつかは必ずくる競技引退のイメージの具体化が、今日の集中力を高めることは先行研究で明らかです。ようやく今では、「選手のセカンドキャリア」について、選手が現役時代から考えることの重要性も広まってきました。
――競技引退後の選手のセカンドキャリアの問題は、私たちには見えにくい部分でもあります。
田中ウルヴェ京氏: 「自分はオリンピックのメダリストだけど、こんなに次のキャリア選択で悩んだ。オリンピック選手や一流の選手であればあるほど、アイデンティティの葛藤があります」と言っても、「選手として成功した人、例えばメダリストとかに必要なわけがない」とか、「引退した後に、どこかに就職の世話をすればいい」というような風潮でした。でも、2002年にJリーグが「田中さん、キャリアプログラムを一緒にやりましょう」と言ってくれたのです。それで、Jリーグで始まり、そこからJOCでも普及していきました。今考えると「時期が早かったのかな」とも思います。私の言いたかったことを、解釈してくれて実践する方々がいたおかげですね。
専門分野であればあるほど、知らない人にそれを伝えることの難しさを感じます。私はその点で本当に自分のことがイヤになります (笑)。コーピングにしてもメンタルトレーニングにしてもシステマティックに自分が理解しておくこと、そして端的に説明できることが必要です。このあたりは、テレビのコメンテーターとして仕事をさせてもらうなかで、すごく勉強になっています。