苦労は“次”に進むための糧になる
佐藤人材・サーチ株式会社代表を務める人材コンサルタント、ヘッドハンターの佐藤文男さん。様々な経験を通して、人材を見抜く審美眼を培われてきました。「自分の経験を世のために伝えたい」と願う佐藤さんの、仕事にかける情熱、生きることへの感謝の気持ち、次へと進み続けるチャレンジ精神を伺ってきました。
受け継がれる生涯現役DNA
――このほど、日本に戻られたそうですね。
佐藤文男氏: 昨年シンガポールから帰国し、今年の4月に会社を再開しました。約一年間半弱滞在したシンガポールでは、一旦また組織に戻って仕事をするという経験を積みました。こういった経験を、世のため人のために出版や講演を通じて届けています。評論家やエコノミストはたくさんいますが、私は自分の経験を語っていくこと、実体験を伝播していくことが持ち味だと思っています。
私は、東京の下町で育ったのですが、公立の小、中、高、親に迷惑がかからないようにという、低価格路線でした(笑)。昔はやんちゃで。わがままで自分勝手な人間だったかもしれません。私の父方も母方も、祖父は事業家でした。父方の祖父は商売人で、地元で事業を大きく展開していました。母方の祖父も、もともと漁師の出でしたが、東京に出てきて事業を起こしました。
私の父はというと、ずっと勤め人で、82歳まで現役で仕事をしていました。戦争も生き抜き、転職も経験しつつ、ずっと組織にいました。私も、父親の影響で生涯現役イノベーターなんて言っているんです(笑)。
一橋大学を卒業後、私はいったん就職をして、組織に属した働き方を経験しましたが、組織に迎合することなく、「自分という人間はいかに生きるべきか」を常に考えて生きてきました。「粗にして野だが卑ではない」という言葉があります。私も、下町出身ということもあり、生き方は荒削りかもしれないけれど、一人で何かをやっていこうと、だけど卑屈にはなるまいという思いで、転職、起業とステージを変化させつつ、変わらぬ想いで働いてきました。
「佐藤文男」をナレッジ・トランスファー(知識移転)する
佐藤文男氏: 人の生き方というのは色々あると思います。私の母校である一橋大学を出た人間は、ほとんどが大企業に入ってそのまま役職を務める方が一般的です。我々の世代、今50代の人間は多様性よりは一つの組織で上を目指すということを求めてきた世代です。滅私奉公という考え方を私は否定するものではないし、一つの企業にずっと勤めるというのも、とても重要です。ただ、それだけの選択肢ではなく、企業に寄らば大樹ではない生き方もある。フィフティ・フィフティの関係の中で色々な生き方が見えてきました。
――『転職でキャリアをつくる!』を皮切りに、多くの経験を発信されています。
佐藤文男氏: あるビジネスパーソンを対象とした倶楽部で、人材に関する講演を頼まれたのがきっかけでした。事務局の方が、「佐藤さんの話、非常に面白いので本になったらいいね」と、編集者さんを紹介して下さり、その方の働きかけで、最初の出版に至りました。そのご縁が続き、今までに色んな出版社の方とおつきあいさせて頂きました。
――どんな想いを込めて、書かれていますか。
佐藤文男氏: 自分の体験から、時流にあったもので、尚且つ読者の役立つものを届ける気持ちで書いています。実体験で語るということに意味があると思います。コメンテーターもいいですが、本当の生きた情報発信というのは自らの経験からしかあり得ません。『転職でキャリアをつくる!』も、自分自身の転職経験を書いていますし『ヘッドハンティング・バイブル』も、人材紹介業の経験が生きた本です。さらには、その失敗談から『なぜあなたは、間違った人を採ってしまったのか?』を書きました。『人を見抜く力』への寄稿内容も、同じです。転職も起業も、自分自身が経験したからこそ伝えられることがあります。
――色々な編集者の方と、本作りをしてこられたんですね。
佐藤文男氏: 私にとって編集者は、良きアドバイザーであり、パートナーであると思います。担当編集者には、いつも感謝しています。編集者と一体感を持って情報交換をしていかなければ、良い本はできないと思っているので、コミュニケーションは密にとっています。同じ目線で、良い方向へ行けるよう、常に一緒に追い求めています。車座になって一緒に話をするということは大事だという思いを、社会人になった頃、20代からずっと持ち続けています。
正直言うと、自分をさらけ出すというのはとても恥ずかしいことです(笑)。格好いい話もありませんし。上手くいくこともあれば失敗もありますが、恐れることなく「佐藤文男」という生き方を、伝え続けようと思っています。すでに、海外経験や、日本に戻って会社を再開させるまでの苦労話などを本にまとめたいと思っているんですよ。