本の世界観を自由に楽しむ
――自由に読書を楽しまれています。
南場智子氏: 私は、伏線を最後に全部回収して、きちんと終わるような本というか、「この本は、こう楽しむ」というように決められているような印象を受ける本はあまり好きではありません。『カラマーゾフの兄弟』にも伏線がたくさん落としてありますが、回収しないで終わっています。でも、あれこそが“リアリズム”ではないかと私は思います。作家さんが伏線を回収し忘れているというものも、結構いいと思っていて、そういう息づかいや場面を一緒に楽しめるのが読書の素敵な所だと思います。
私がなぜだかとても大好きな本に、村上龍さんの『走れ!タカハシ』があります。広島東洋カープの高橋慶彦選手が走っている、という短編集です。単に「彼女のお父さんに責められている」というものから、「こうなったらおしまいだ。命を取られる」というような色々なレベルの絶体絶命の場面が出てくるのですが、その時も、いつも高橋選手が走っています。そうすると何か元気をもらって、なぜだか知らないけれど状況が好転したりします。
それにすごく似た経験を私もしました。主人が病気で一度手術をして、「再発したら終わり」と言われている状況での再発。その当時は、まるで死刑宣告されたような気持ちでした。そんな時に、私はどうしても新潟で野球を観なくてはいけない予定があり、野球観戦を楽しんでいる周りで、ひとり “絶体絶命”という気分を味わっていました。そんな時、中村紀洋選手がさよならホームランを打って、私は自然と笑顔になりました。気がつけば、足の悪い父親も一緒に立ち上がって、喜んで笑っていました。自分が笑っていられることがすごく不思議でしたが、なんとなく『走れ!タカハシ』と重なっているように感じました。
実生活において、日々忙しさに追われてしまうと、そうした素敵な体験やエピソードを感じることは容易ではありません。けれども本は、ページを開いた瞬間にいつでも、それを楽しむことが出来、また元気を貰えます。これからも、そうした魅力のある本に触れて、忙しさに流されないようにしていきたいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 南場智子 』