科学者志望から税理士へ 学びを深める挑戦の軌跡
――税理士の道へはどのようにして。
須田邦裕氏: 父親は税務署に勤めたあと独立して、税理士として一家を支えていました。事務所を構えていたので私も跡継ぎに……という話になりがちなのですが、私自身はまったく別の道を考えていました。高校生の頃は化学者になりたくて有機化学の本と格闘していましたよ(笑)。
京大の理学部に進もうとしていましたが、ちょうど学園紛争末期の頃で、下見に行ったキャンパスの立て看板や白ペンキの落書きにガッカリして……理系から文系へ、あっさりと進路を変え一橋大学の商学部に入学しました。しかし商学部に進んだものの、まだ税理士になることは考えておらず、また絵も好きだったので本郷の画廊を見て回ったり、進むべき将来は定まっていませんでした。
そんな心持ちでしたから、就職活動の時期になっても、学友が次々と金融界や商社に進んでいくのを横目に、就職活動はせずに、法学部への学士入学を考えました。専門課程を学びながら在学中に税理士試験に合格したところで「せっかくだしやってみようか……」と、そんな心持ちで私の社会人としてのキャリアはスタートしました。
大学を卒業して仕事を始めてからも、夜間や週末には大原簿記学校やほかの予備校で税法の講師をやっていました。自分自身もさらに学びを深めたいと思うようになり、指導教授であった大学の先生に相談したところ、大学院で学ぶように勧められました。修士2年、博士2年半と勉強しました。そののち、やはり実務をと開業して今に至ります。
時空を超える「魅力のタイムマシーン」に想いをのせて
――開業から30余年、数々の経験を本にまとめられています。
須田邦裕氏: この『会計事務所の仕事がわかる本』は、事務所を継ぐ息子への遺言(笑)のつもりで書きました。ある時、編集者の方から会計事務所の仕事について書いてほしいとオファーがあったのですが、他の連載も抱えていたため、はじめは断っていました。ところが、だんだんと伝えなければならないという思いにかられ、半年かけて書き上げました。
若者が描く自分の未来、素敵な職業のイメージと現実は全然違います。税理士や公認会計士になりたい人も、会計事務所がどんな仕事をしているか、ほとんど知らない。この世界を目指す人たちに最初の扉を開いてもらおうと思いながら書いたこの本は、おかげさまで好評を得て、出版からしばらく経ちますが今でも売れています。
――『本当はもっとこわい相続税』は、小説形式で書かれています。
須田邦裕氏: 税理士として、あちこちの家庭で、相当数の相続の現場に立ち会いました。どれもテーマ、登場人物そして問題となることは違うけれど、実は同じことを繰り返しているわけです。それを何度も見てきて、私の中に蓄積されたものを、ひとつの形にしてまとめ、世の中に役立てたいという想いで書きました。
――読み手としてはいかがですか。
須田邦裕氏: 幕末維新に興味があり、日本中の歴史のあるところを毎月一回“縦断”していますが、昨年は福岡の太宰府天満宮や広島、高知、京都などを訪ねました。高知城もとても立派なところですが、高知市からさらに西に1時間弱行ったところに佐川(さかわ)町がありまして、そこにある有名な日本酒の酒蔵「司牡丹」を訪れました。
また佐川は、植物学者である牧野富太郎の出身地でもあります。徹底的に日本中の野山を歩き回って、植物を分類体系化された方で、彼の自叙伝と植物学の本を買い求めて、同氏の記念館が併設されている牧野植物園を直接見ることが出来ました。
牧野富太郎に想いを馳せ、現地の空気を感じて読む。読書は先人の生き様を追体験し、時空を超えて共有することができます。本は、まるでタイムマシーンのように、過去の偉人に会いに行ける素晴らしいものです。私の家の本棚にも、そうしたタイムマシーンがズラーッと並んでいます(笑)。そろそろ事務所は後継者である息子に任せて、本棚にある本を携えて、全国を旅したいですね。
「左様なら」の前に
――まだまだ引退には早いと思われますが。
須田邦裕氏: 私は今59歳で、サラリーマンでいうと定年間近です。職種上定年はありませんが、やはり適切な判断ができる時に、綺麗に「店じまい」することが必要だと思っています。十返舎一九の「この世をばどりゃおいとまに線香の煙と共にはい左様なら」のように、余計なゴミを残さないでこの世を去りたいというのが自分の理想ですね。
とはいえ、人生におさらばするのはまだ早すぎますので(笑)、これからは自分がこの世に生かしていただいて得てきたものを、社長講座をはじめ、各種講演会、そして本で一切惜しみなく全部出し切って、次の世代に伝えて参りたいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 須田邦裕 』