丹羽昭尋

Profile

1976年山口県周南市(旧徳山市)生まれ。高校3年時から阪神淡路大震災の復興ボランティアに参加し、活動の傍ら大阪有数のホテルで接客に従事する。その後、建設会社数社で設計営業などに携わり、独自の営業ノウハウを確立。帰京後はヤマダ電機で家電コンシェルジュとして従事し、入社1年目で「個人売上日本一」を受賞するなど活躍。大手アパレル、自動車業界のオファーを経て、現在「Office Niwa」の代表として、全国様々な企業の現場で直接支援や研修、講演をおこなう。さらに、クリエイティブな活動で、活躍の場を広げている。著書に「日本一の売る技術」。

Book Information

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自ら前へ 未知の世界を進んでいく



丹羽昭尋氏: そこからが私の人生の再スタートとなりました。自らが行動を起こし、諦めない心で進んでいく。受け身だった私は、自分で率先して前に進んでいくことを決めました。

社会人としての最初の仕事は、祖父母や親族の影響がありますが、あえて苦手な接客を克服するためにホテルマンを選びました。それから飲食業界にも携わるようになり、そこで今に繋がる接客の礎を学びました。ただ、震災の経験から家屋への重要性、関心が年々強くなり、24歳からは建築関係の道へと進みます。

一級建築士の資格を持っていた父の影響もあり、小学生の頃から新聞のチラシに入っている住宅関連の間取り図や、建築専門書などを見て、分析することが好きでして、建築にはずっと興味を持っていました。「やるからには、とことん」ということで、日本古来の伝統構法や名匠のメッカで、銘木の産地である岐阜県の材木業兼建築事務所に弟子入りすることにしました。木材の製材から、建材の営業、伝統構法住宅の設計営業(営業、設計から積算、管理)、営業所長として携わりました。

この時代に、「お役立ち活動」の基礎が出来ました。建築現場周辺の近隣の方々に、お役立ちする心で、挨拶回りをしながら「暮らしの相談員」を開始し、次第に信頼関係を築き、もし家の調子が悪いと聞けば、その場ですぐ直すなどをして、それをきっかけに修繕、改修、新築、ご紹介の連鎖になり、さらに施主の方の今後につながる地域貢献も実践していました。
相変わらず人前に立つことは凄く怖かったのですが、一方で誰かのための活動と、自分が生きていく術が重なったことで、これこそが自分の働き方だと思うようになりました。

「お役立ち活動」を伝える 本に託した想い



丹羽昭尋氏: 30代前半、家庭の事情で東京に戻り、そのきっかけで新たな目標を掲げました。ただ完全なリセットではなく、自分の営業スキルや設計提案力、コーディネート力、お役立ち活動をフルに活用できると思い、あえて業界最大手の家電量販店に飛び込みました。

いち契約社員から始めましたが、そこでは組織の仕組みを教わりました。今まで独学でやってきた自分の活動に、言葉として客観性を持つことができました。

また、商品を知り尽くすことはある程度大事ですが、根本的に接客を楽しむことが重要だと、それまでの経験で感じていましたので、そこでも「人の幸せ」をモットーにやっていこうと決めました。名札には、「日本一になります!日本一のサービスをします」と書いて宣言しましたが、日本一というのは、売り上げ数字が先ではなく、あくまでもお客様の満足でした。

――そうした想いを、本に込めて書こうと思われたのは。


丹羽昭尋氏: 当初は、書くことはおろか読むことすら苦手な私が本を出すのは、どう考えても現実的ではないと思っていました。けれど、今までお世話になった人や会社に対して、恩返しが出来ればと思い、筆をとることにしました。実際に書き出す作業は数ヶ月でしたが、その後、出版エージェントや出版社とも何度もやり取りを重ね、結局1年かかりましたが、おかげでほぼ納得のいく本をお届けできるようになりました。

――わかりやすく、どの業種においても大切な心構えが書かれています。


丹羽昭尋氏: 私が書くということで、誰にでも読めるような本にしていこうと、編集者の方には内容から字の大きさに至るまで、色んな要望を盛り込んでもらいました。接客技術だけでなく、普段の心構えなど社会人としての基本とも言えることもあえて書きました。礼儀や挨拶などは、プロとか玄人になってくると忘れがちですが、普段からこれが出来ていないと、仕事にも表れてきますし、レベルが問われるところでもあります。

また、自らの意思や目標をしっかり持つことの重要性についても言及しています。ブレない意思が大切で、気持ちの乱れはお客様にも伝わります。普段のことや、事前の準備にも多くのページを割いています。



スタッフをエンターテイナーに 売り場をエンターテイメント空間に


――応援のメッセージが詰まっています。


丹羽昭尋氏: 行動してみる、進むことで見えてくる新しい世界を見てみたい、という想いが私を動かしてきました。また、決して社交的ではなかった私が、諦めずに進み続けることが出来たのは、経営コンサルタントをしている父が顧問先用に作っていた「経営戦略マニュアル」のおかげでした。実は今から15年前、父はアトピーを長年患っていた私のことがきっかけで、『家族「暖」らん―ココロとカラダのシックハウスを予防する』(文芸社)という一冊の本を書きました。そうした経験が元となって、私も同じように悩んでいる人に届くようにと応援の想いを込め書きました。

――今、丹羽さんが向かっているのは。


丹羽昭尋氏: たかが接客、されど接客。常に原点を忘れず誠心誠意取り組むことで、さらに良い接客を目指していきたいですね。そして、やればやるほどその奥深さも見えてきます。どんどん新しいものが見えてきます。終わりはありません。

私たちは、お客様の満足を求めていますが、その満足に満足してしまっては今後のプラスはないと考えます。お客様の期待を超えてこそ、一皮むけた接客のプロ、エンターテイナーとなることができると思います。そうしたエンターテイナーを増やし、会社や売り場をエンターテイメント空間にしていきたいですね。

目先だけでなく、将来にわたって、「人」を考えられる仕事をする。お客様の心に残る仕事を自らがプレーヤーとなり実践し、チームでの支援を通じて伝えていく。天職かどうかは正直わかりませんが、ただ周りから喜んで頂けるのであればそれで良しとしています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 丹羽昭尋

この著者のタグ: 『支援』 『コミュニケーション』 『コンサルティング』 『働き方』 『営業』 『書き方』 『きっかけ』 『販売』

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