藤原和博

Profile

1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08年~11年、橋下大阪府知事ならびに府教委の教育政策特別顧問。日本の技術と職人芸の結晶であるブランドを超えた腕時計「japan」(左竜頭、文字盤漆塗り)を諏訪の時計師と共同開発した。近著「坂の上の坂」でも論じられている成熟社会や“新しい日本人”のライフスタイルについて、編集長を務める『よのなかnet』で発信している。

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藤原和博氏: 僕が橋下大阪府知事特別顧問の時に大阪柴島(くにじま)高校というところで、当時『高校生に携帯を学校で持たせてよいのかどうか?』というのが大議論になって、橋下さんが『学校では持ってくることを禁じることはできないけど、例えば休み時間に使うのも禁止しちゃったらどうか?』と色々と議論していて、僕も小中学生については、携帯を買う買わないは親の自由なんだけど、学校に持ってきて、自由に私的に使うというのは絶対にやめた方がいいと思ってるんですね。教育目的で学校にモバイル端末があるのはいいんだけど。高校生にこれだけ普及しちゃった時に、これを教育に使わない手はないと思った。

『積極的に携帯を教育で使った場合どういうことが起こるか?』っていうことで、『よのなか科』の授業でわざと高校生たちに自分の携帯を全部持ち込ませて、授業中に100%携帯を使うっていうことをやってみたの。『ハンバーガー店の店長になってみよう!』っていう授業なんだけど、『どこに出店するか?』っていうメッセージを携帯で僕に送れっていう話。

その後に出店計画を作る中で、『どういう店にしたら儲かるハンバーガー店になるのか?』と、ありとあらゆる情報を端末から仕入れていく。携帯でホームページにアクセスしてもいい。仮にマクドナルドやミスタードーナツのサイトにアクセスして色んな情報を仕入れてもいいよ!ってフリーでやってみたんですよ。

次に、街中で自分の身近な商店街に行って、『流行っている店と流行っていない店を比較して両方を探せ』と。一業態で、『例えば花屋でもいいし書店でもいい』って言ったら、たこ焼き屋がすごく多くて大阪らしかったんだけど、流行ってるたこ焼き屋と流行っていないたこ焼き屋の何が違うかを、その場からレポートしてこいっていう内容をやったの。学校のサーバーにそれぞれが1週間後までに、自分の土地勘のある商店街でそういう店を探してレポートを送れって。それを翌週僕が行ったときに、全員がサーバーに寄せてきたメールをざーっと一覧にして、こういう知恵があるな、確かにこれは流行る理由、これは流行らない理由だね、みたいに見ていった。

こういう授業をやった後に、自分の意見を言ってもらう。最後に携帯で『授業の感想を200字以上書け』って。これをやったのは5年前くらいなんだけどね、だいたい2分~8分で感想を送ってきた。

面白いなって思ったのが、先生たちもすごく態度を改めたんだけど、携帯を使ってやるっていうのが、ただ単に目新しさでやるということを超えちゃってた。もし口頭で『どんな店にすると流行るのか?』とか、『どこに出店すると儲かるのか?』みたいなことを投げかけて、手を上げさせて『わかる人?』っていうふうに聞いちゃったら、いつもの成績優良児か、ちょっと変わった目立ちたがり屋のやんちゃな子ぐらいしか手を上げないんですよ。例えば50人で授業やったら5人ですよ。次に俺がよくやるワークシートを作ってワークシートに、『1行でもいいから書け!』ってやるのね。そうするとね、多い場合で3割ぐらいは書くけど、書かない子が必ずいるわけ。

ところが携帯でやって何が起こったかというと、全員がとりあえず1行以上。多い子は200字を4、5分で打っちゃったかな?しかもそれがすごい深い意見だったりするわけ。つまり携帯の方が自己開示がはかられちゃう。なぜなら携帯っていうのは、手を上げるとかワークシートを超えて非常に、私的な自分の意見を発信する、自分の言葉を発信する装置として機能しちゃってる。

だとすると、『これをもっと利用しちゃったほうがいいんじゃないの?』っていう議論も出てくるわけ。わかるでしょ?その延長に例えばiPad使ったりタブレットを使ったりするっていうことがある。今も和田中では富士通ネットワークソリューションという会社の協力でiPadを40台ぐらい入れて、『よのなか科』の授業が行われているんですよ。

例えば3.11の震災があって放射能漏れましたよね?その1か月後に、原発の是非という議論が行われて、生徒がみんな持っているiPadから、授業中に自分の意見を打つ。自分の意見を打ったら、それを立ちどころに黒板の横のスクリーンに全員の意見を一応部分的に9人ずつ映し出せるようにしてあるので、全員の意見を共有しながら授業を進化させるというような取り組みはもう、起こってるんですよ。

これが実にごく一部。全国に小学校が2万校、中学校が1万校で、3万校あるんですが、おそらく300校もやっていない。韓国はおそらくほとんど全校でこういうことがスタートしていってるんですよね。

――韓国と日本の、そういった差って何だと思われますか。




 毎日新聞社様提供

藤原和博氏: これは色んなことが絡むんだけど、韓国の経済が破たんしてIMFに入りました。そこで大統領も変わりますという時に、覚悟を決めて、徹底的に英語教育とITをやったわけですよ。もちろん韓国文化を守りながらっていうことになると思うんだけども。大統領の権限がものすごくある。そこに日本でいうとデジタル教材教科書協議会のような文科省の権限を越えたすごい組織があって、そこが政権が変わろうと15年間学校のデジタル化を進めてきたんですよ。それが大きい。

だから、経済的に一旦破たんしたこと。つまり危機というのが今の日本よりも遥かに大きいものがあった。次に大統領の権限の大きさ。それからもう1つそういう組織があって、推進する組織が政権の入れ替わりと関係なく、大統領3代ぐらいに渡ってそれを続けてきた。これが大きい。日本の文科省というのは大臣が変わると変わっちゃったり、政策をすぐ変えちゃうから。韓国は国を挙げてそれをやらなければ、生き残れないっていう危機感があったわけですよ。日本ではないでしょ?そんなもの。

本来、国際標準の人材としていく為には3つあって、それはITと英語とクリティカルシンキングですよね。クリティカルシンキングというのは、要するに常識や前例を疑っていくこと。これが僕がやっている『よのなか科』なんですが、本当は英語とクリティカルシンキングの順番が逆で、クリティカルシンキングの方を教えていくと英語が上手くなる。なぜかというと、クリティカルシンキングというのは常識を疑いながら論理的に話を構築する力なんです。日本語って論理じゃなく情緒じゃないですか?

論理ということを考えてYes、ButとかNo、Becauseっていうような考え方ができるようになると、つまり論理的な考え方ができるようになると英語って上手くなるんですね。と同時にITというのも論理だから、英語とITっていうのを、実はクリティカルシンキングというのを先にやっていくと両方とも熟達していく。ベースができるわけなんだよね。

本当は日本の教育はこれを先にやらないと。それからデジタル化という波を起こさないと。今のまま国語の教育が非情の情緒的なままでデジタル化しても、結局、紙で読むほうがもっと深く読めるんじゃないか?ガラス越しに読ませるんですか?こういう議論になっちゃうんです。

日本の教育の典型的な正解主義って、正解をどういうふうに早く正確に出せるのか?ってことで、みんなで必死に練習するのは結局4択問題じゃない?4択問題っていうのは、千も二千も練習したって結局思考力・判断力・表現力はつかないわけです。

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