藤原和博

Profile

1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08年~11年、橋下大阪府知事ならびに府教委の教育政策特別顧問。日本の技術と職人芸の結晶であるブランドを超えた腕時計「japan」(左竜頭、文字盤漆塗り)を諏訪の時計師と共同開発した。近著「坂の上の坂」でも論じられている成熟社会や“新しい日本人”のライフスタイルについて、編集長を務める『よのなかnet』で発信している。

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――ブックスキャンはご存知でしたか。

藤原和博氏: いや。全然知らなかった。

――作家の7名の方が、いわゆる自炊業者、スキャン代行業者を訴えたということはご存知ですか。


藤原和博氏: もちろんテレビで聞いたことはある。俺自身は訴えたりはしていない。

――藤原さんは、ご自身の本が裁断されるということに関して、どう思いますか。


藤原和博氏: 僕は作家の人と違うので、例えば小説の作家の方と比べると抵抗はないと思います。僕の本というのは、分野に分ければエッセイという形になっちゃうと思うんですね。
ビジネスなのか?自己啓発なのか?いつもビジネスと教育と人生っていう3つくらいのテーマがかぶるところなので、書店もどこに置くか?ってことをかなり迷ったりして。
僕の本にただ単に『感銘を受けました』というようなことでは、僕としてもあんまりうれしくなくて。僕の本に書いてあった中身をどのように自分の生活の中でこなして、再現したりあるいはそれを超えていったり、自分なりに編集をかけてもらうかというのが、もともとの僕の意図なので、ある意味データもしくは情報として扱われるだろうな?というのは思っているわけですね。

――今電子書籍は利用されていますか。


藤原和博氏: 僕自身は、ほぼ利用してないですね。

――これまで藤原さんが書かれた本で、電子書籍で販売されている書籍はありますか。


藤原和博氏: 僕は、単行本と文庫を合わせて65冊著書があって、65冊のうち単行本として出したのは40冊くらい。僕の『よのなかnet』というサイトを見ていただいたらわかると思うんですけど、それのうち2冊を電子書籍化していて、『はじめて哲学する本』というのをiPhone版で、『35歳の幸福論』というのをある種のアニメーションを入れながらiPad版で出しています。全体65冊のうちのこの2冊は電子書籍化されているんだけども、そんなに激しく読まれてはいない。

それに対して書籍で最近出た『坂の上の坂』というのが10万部を超えるベストセラーになっていて、たぶんこの本は10年か15年か売れ続けると思うんですよね。日本の成熟社会が深まれば深まるほどね。

僕の理解では1997年が日本の高度成長期の最後で、98年から成熟社会が始まっているので、もう15年経ってると思うんだけど、あと15年ぐらいでグ~ッて、日本の成熟社会って深まっていくので、そういう意味ではこの本がどのような読まれ方をするのか?っていうのはすごく興味があるところです。

今でも全国10か所で講演会やって、また今週からその講演会が始まるんですけど、電子書籍の読まれ方については、ちょっと出してみたものが馬鹿みたいに売れてはいないということで、まだ実感が伴わない感じではありますね。



藤原和博氏: ただ、子供たちの教育が今までのような教科書と黒板でそのまま留まっていいはずはないので、小宮山さんという元の東大の総長が会長で、僕と陰山英男さんという方が副会長やっているデジタル教科書教材協議会というのがあるんだけども、そこには手を貸して子供たちの教育の現場にもっとモバイル端末が入っていかなくちゃならないというのは非常に強く思ってますね。iPhoneやiPadのようなタブレット端末なのか、それとも携帯をもう少しいじったようなものなのか、そういったものが学校標準になっていくのかね?あるいは15年くらいすると子供たちがみんな携帯を持つようになっちゃって、その携帯で学習が相当レベル出来るようなこともあるのかもしれないし、そこは見極めたいと思っています。

――そういった中で電子書籍の役割はなんだと思われますか。


藤原和博氏: 今電子書籍という言い方をしていますけど、ちょっと昔はマルチメディアとか言ってたじゃないですか?結局は持ち運び可能な複合端末のことを言うわけだけども、それがネットに繋がっているか?繋がってないか?っていうことがあるにしても、実はね、書籍っていうのも実に持ち運びが可能なモバイルの端末なんですよね。

ネットに繋がってないんで書き換えてないんだけども、少なくとも左手で持って右手でブラウズしながら人間が両目を通じて読んで、脳に記憶させるという意味では、ものすごくモバイルだから。だから持ち運んでたりするわけじゃないですか?広げたり、しおりがあったりさ。それが、液晶があってチップが入っているからモバイルか?っていうと、そうでもないんですよ。

そういう意味では書籍のモバイル性というのもそこそこあるわけですよ。あとはネットに繋がって書き換えが可能かどうか?という話になるわけですよね?そこはレベルが違うところになるんだけど。

僕は未だに、例えば新幹線なんかで2時間くらい移動するときは、やっぱり書籍を持っていきますね。それが古いと言われよう、習慣としてそうなっているから。

習慣として初めからデジタルでものを見ている、もっと言っちゃえば、光ったディスプレイのガラス越しに初めから物を見ている、ガラス越しにしか読めないっていう世代が出てくる可能性もあるわけですよね?最近の調査では、韓国の子供たちが徹底的にデジタルのメディアを入れているもんだから、もうすでに紙とどちらが読みやすいか?っていうことについて、デジタルの方が読みやすいっていう子が出てきちゃってるわけですよ。
それはいいとか悪いとかはおいといて、習慣としてデジタルで本を読むのが普通で、電子書籍を読み込むうちに涙してしまいましたとか、感動が止まらないというような人も出てきているんだと思うんですよね。『スラムダンク』や『リアル』などの漫画を読んで涙が止まらないっていう人はどんどん出てきているわけで。僕ですらそういった漫画はやっぱりすごいと思うし。

なのでその名作性というものが電子メディアで、あるいはガラス越しに見ることで崩れるのか?というとそうでもなくて、さらに読解だとか、それを自分でどうこなすか?ということについても平気でガラス越しの画面でやれちゃう子、あるいはそれで速読ができる子とか、深い読み込みができる子とか出てきちゃう可能性は、僕は否定しえないと思う。
自分自身は紙の方が好きだとはっきり言えるにしても、そういう人類が現れちゃうだろうと。

藤原和博氏: 僕が橋下大阪府知事特別顧問の時に大阪柴島(くにじま)高校というところで、当時『高校生に携帯を学校で持たせてよいのかどうか?』というのが大議論になって、橋下さんが『学校では持ってくることを禁じることはできないけど、例えば休み時間に使うのも禁止しちゃったらどうか?』と色々と議論していて、僕も小中学生については、携帯を買う買わないは親の自由なんだけど、学校に持ってきて、自由に私的に使うというのは絶対にやめた方がいいと思ってるんですね。教育目的で学校にモバイル端末があるのはいいんだけど。高校生にこれだけ普及しちゃった時に、これを教育に使わない手はないと思った。

『積極的に携帯を教育で使った場合どういうことが起こるか?』っていうことで、『よのなか科』の授業でわざと高校生たちに自分の携帯を全部持ち込ませて、授業中に100%携帯を使うっていうことをやってみたの。『ハンバーガー店の店長になってみよう!』っていう授業なんだけど、『どこに出店するか?』っていうメッセージを携帯で僕に送れっていう話。

その後に出店計画を作る中で、『どういう店にしたら儲かるハンバーガー店になるのか?』と、ありとあらゆる情報を端末から仕入れていく。携帯でホームページにアクセスしてもいい。仮にマクドナルドやミスタードーナツのサイトにアクセスして色んな情報を仕入れてもいいよ!ってフリーでやってみたんですよ。

次に、街中で自分の身近な商店街に行って、『流行っている店と流行っていない店を比較して両方を探せ』と。一業態で、『例えば花屋でもいいし書店でもいい』って言ったら、たこ焼き屋がすごく多くて大阪らしかったんだけど、流行ってるたこ焼き屋と流行っていないたこ焼き屋の何が違うかを、その場からレポートしてこいっていう内容をやったの。学校のサーバーにそれぞれが1週間後までに、自分の土地勘のある商店街でそういう店を探してレポートを送れって。それを翌週僕が行ったときに、全員がサーバーに寄せてきたメールをざーっと一覧にして、こういう知恵があるな、確かにこれは流行る理由、これは流行らない理由だね、みたいに見ていった。

こういう授業をやった後に、自分の意見を言ってもらう。最後に携帯で『授業の感想を200字以上書け』って。これをやったのは5年前くらいなんだけどね、だいたい2分~8分で感想を送ってきた。

面白いなって思ったのが、先生たちもすごく態度を改めたんだけど、携帯を使ってやるっていうのが、ただ単に目新しさでやるということを超えちゃってた。もし口頭で『どんな店にすると流行るのか?』とか、『どこに出店すると儲かるのか?』みたいなことを投げかけて、手を上げさせて『わかる人?』っていうふうに聞いちゃったら、いつもの成績優良児か、ちょっと変わった目立ちたがり屋のやんちゃな子ぐらいしか手を上げないんですよ。例えば50人で授業やったら5人ですよ。次に俺がよくやるワークシートを作ってワークシートに、『1行でもいいから書け!』ってやるのね。そうするとね、多い場合で3割ぐらいは書くけど、書かない子が必ずいるわけ。

ところが携帯でやって何が起こったかというと、全員がとりあえず1行以上。多い子は200字を4、5分で打っちゃったかな?しかもそれがすごい深い意見だったりするわけ。つまり携帯の方が自己開示がはかられちゃう。なぜなら携帯っていうのは、手を上げるとかワークシートを超えて非常に、私的な自分の意見を発信する、自分の言葉を発信する装置として機能しちゃってる。

だとすると、『これをもっと利用しちゃったほうがいいんじゃないの?』っていう議論も出てくるわけ。わかるでしょ?その延長に例えばiPad使ったりタブレットを使ったりするっていうことがある。今も和田中では富士通ネットワークソリューションという会社の協力でiPadを40台ぐらい入れて、『よのなか科』の授業が行われているんですよ。

例えば3.11の震災があって放射能漏れましたよね?その1か月後に、原発の是非という議論が行われて、生徒がみんな持っているiPadから、授業中に自分の意見を打つ。自分の意見を打ったら、それを立ちどころに黒板の横のスクリーンに全員の意見を一応部分的に9人ずつ映し出せるようにしてあるので、全員の意見を共有しながら授業を進化させるというような取り組みはもう、起こってるんですよ。

これが実にごく一部。全国に小学校が2万校、中学校が1万校で、3万校あるんですが、おそらく300校もやっていない。韓国はおそらくほとんど全校でこういうことがスタートしていってるんですよね。

――韓国と日本の、そういった差って何だと思われますか。




 毎日新聞社様提供

藤原和博氏: これは色んなことが絡むんだけど、韓国の経済が破たんしてIMFに入りました。そこで大統領も変わりますという時に、覚悟を決めて、徹底的に英語教育とITをやったわけですよ。もちろん韓国文化を守りながらっていうことになると思うんだけども。大統領の権限がものすごくある。そこに日本でいうとデジタル教材教科書協議会のような文科省の権限を越えたすごい組織があって、そこが政権が変わろうと15年間学校のデジタル化を進めてきたんですよ。それが大きい。

だから、経済的に一旦破たんしたこと。つまり危機というのが今の日本よりも遥かに大きいものがあった。次に大統領の権限の大きさ。それからもう1つそういう組織があって、推進する組織が政権の入れ替わりと関係なく、大統領3代ぐらいに渡ってそれを続けてきた。これが大きい。日本の文科省というのは大臣が変わると変わっちゃったり、政策をすぐ変えちゃうから。韓国は国を挙げてそれをやらなければ、生き残れないっていう危機感があったわけですよ。日本ではないでしょ?そんなもの。

本来、国際標準の人材としていく為には3つあって、それはITと英語とクリティカルシンキングですよね。クリティカルシンキングというのは、要するに常識や前例を疑っていくこと。これが僕がやっている『よのなか科』なんですが、本当は英語とクリティカルシンキングの順番が逆で、クリティカルシンキングの方を教えていくと英語が上手くなる。なぜかというと、クリティカルシンキングというのは常識を疑いながら論理的に話を構築する力なんです。日本語って論理じゃなく情緒じゃないですか?

論理ということを考えてYes、ButとかNo、Becauseっていうような考え方ができるようになると、つまり論理的な考え方ができるようになると英語って上手くなるんですね。と同時にITというのも論理だから、英語とITっていうのを、実はクリティカルシンキングというのを先にやっていくと両方とも熟達していく。ベースができるわけなんだよね。

本当は日本の教育はこれを先にやらないと。それからデジタル化という波を起こさないと。今のまま国語の教育が非情の情緒的なままでデジタル化しても、結局、紙で読むほうがもっと深く読めるんじゃないか?ガラス越しに読ませるんですか?こういう議論になっちゃうんです。

日本の教育の典型的な正解主義って、正解をどういうふうに早く正確に出せるのか?ってことで、みんなで必死に練習するのは結局4択問題じゃない?4択問題っていうのは、千も二千も練習したって結局思考力・判断力・表現力はつかないわけです。

藤原和博氏: それを本当につけるためには、ものすごい端的な例はね、太宰治の『走れメロス』ってほとんどの人が読まされてるんです。なぜなら中学校の国語の教科書に全メーカーの本に載ってるから。あんなに短い、あんなに完璧な物語はないんですね。日本でやられている教育の一番典型的なのは、走れメロスを読ませてメロスの帰り道の時の走っている間の気持ちを次の4つの中から選びなさい。こういう話なんです。そこで例えば、日本の子供たちが『この4つの中にはない』って言ったらバツにされるし、『自分はこういうことじゃないかと思います!』なんて言ったら、『あんたは変人ね?』と今度はいじめられちゃう。4つの中に正解があるっていってるんだから、絶対どれか選ばなきゃいけないでしょ?でも、今の成熟社会で、そんな1つの正解なんてないわけで、4つの選択肢自体自分で編み出さなくちゃいけない。これが僕のいう情報編集力ですね。要するに正解がある前提で、早く正解を当てればいいという力情報の処理力。だけど、今は情報編集力が問われているんですよね。

もっと言えばメロスがもし間に合わなかったとき、王は本当にあの友人を殺したのだろうか?というディベートが起こらなければならない訳ですよね。でもそんな教育って日本でやってたら先生達いじめられちゃう。指導要領にそってないとか言われちゃう。でも、今求められているのはそういうことで、だから諸外国で国語といえば全部クリティカルシンキングなんですよね。

日本だけが、成熟社会に入った先進国の中で、まだ発展途上国型の情報処理型の教育をやっている。ここを改めて、クリティカルシンキングの後にデジタルっていうことが起きていかないと。ちょっと前後が逆になっちゃってる。

――情報編集力を培う授業のために、デバイスっていうのは必ず役に立つと思われますか。


藤原和博氏: 絶対そう。っていうのは、授業の中で生徒が40人いた時に、全員に意見を同時に言わせようとしたら、デジタルデバイス以外にありえないんですよ。やってみたらわかるけど、『はい、じゃあ意見ある人?』って聞いて、全員がしゃべり始めた時に、それを聞き分けられる教師っていないわけですよね?その時に、『わかる人?』って投げかけてしまうと、大体成績優秀者か目立ちたがり屋の5人くらいしか手があがらない訳だよね。さっきいったようにワークシートで書かせたところでやっぱり、3割は超えられないわけですよ。

そういう意味では、全員が同時多発的に自分の意見を言った時、それを聞き分けられなかったのに、聞き分けられる道具だけが出来ちゃった。それがデジタルのメディアっていうもの。だからみんなデジタルのそういうツールが出ると、百科事典のようにサクサクと読めるとか、言葉をクリックすると意味が出てくるとか、辞書機能があるとか、それから映像が動くと楽しいんじゃないか?みたいなことを言うんだけど、俺はそんな百科事典的な機能よりは、子供たちが考えたことを教師の側に逆流させる。子供たちの側にある知識や知恵を大人の方に逆流させるという機能を重視したほうがいいと思うし、そうしたとき初めてなぜデジタルを使うのか?っていうことも、意味が出てくるんです。

俺はね、いかに電子教科書なるものを百科事典みたいに作って、画像を取り込みました、みたいにやったところで、そんなものすぐ飽きられて、子供たちにすれば、あるところをクリックしたときに同じ画像しか出てこないなら2度としないですよね?それが、めくるめく変わるんだったらわかるんだけど。

常にネットに繋がっていてそれが最新のものに変わるんだったらわかるんだけど、例えば『津波』っていう風に入れた時に昭和三陸津波の写真しか出てこないようなものは無理だと思うの。わかるでしょ?

――ディベートが始まるようなものがいいですね。


藤原和博氏: そう、ディベートが始まり、かつ情報が入れ替わって、何度素材を取り上げても新鮮なものになっていないと。

なぜ人々がコンビニに行くかっていうと、あそこには3千アイテムくらいあって、それだって1年で7割が変わるんですよ。だから行くんだよね。あれがもし完全な定番商品のみで全く動かないような商店だったらこんなに行かないでしょ?次に何があるのか?って、ちょっとときめくわけよ。

だから、iPadに教科書を閉じ込めるって発想する人がたり、教科書をあそこに入れちゃえば重い教科書を持っていかなくてもいいでしょ?ってことを言う人がいるんだけど、百科事典のようなものを作ったところで俺は、情報が動かなければ、動画が多少あったところで、子供たちがそんなものに騙されない。だってそんなこと言ったらテレビの中にもっと面白いものがいっぱいあるじゃない?テレビの方がよっぽど面白いもん。そうだよね?だから、いじって動いて楽しいね。って幼児は好きかもしれないけど、2回目やった時に同じ画像が出てきたら、まず2度と手には取らない。


――そういう意味では、電子書籍の役割は、子供たちがその場で一緒に見て成長する場ですか。


藤原和博氏: 要するに双方向になるということが本当に本質的になるし、逆に子供たちの側から情報が発信されるということをどれくらい動機づけられて、それを使ってどれくらい授業が進化するか?っていうところにもっていかないと。

――今後電子書籍は受け入れられていくと思いますか。


藤原和博氏: 今は紙であるか、電子媒体であるか?もしくは、紙であるかガラスであるか?っていうところだと思う。おそらく15年もしないうちに、ディスプレイを折っておいて、使う時は出して広げてって感じになっちゃうと思うんですよね。そうすると俺でさえもそっち行っちゃうと思うの。ということはね、今過渡期だからあのテカテカしたガラスが俺は気になる。絶対。気にしない世代がもう出てきている訳だけども、やっぱり気になるっていうヤツが今は書籍の業界を支配してるんです。
でもディスプレイが折りたためてってなったら、その人たちの半分以上動くよ。おそらく9割ぐらい。紙資源をどんどん使うってことは、森をつぶすってことだし。僕はテカテカしない、言ってしまえば紙のような艶のない、ディスプレイになり、入力機能もあり、メモしたやつが一発で95%くらいのパーセンテージでデータになっちゃうっていうものが出てくれば、それは使うよ。

――紙に限りなく近いものになっていくと思われますか。


藤原和博氏: 俺は、授業で電子パピルスみたいなものをぜひ使いたいと言ってて、いつもプレゼンをやる時は電子模造紙って言ってる。
要するに黒板にバシっとつけて、黒板の大きさの3分の1から2分の1でバーンとマグネットで貼れる。それがスクリーンじゃなくてディスプレイっていうもの。そうするとね、教室に完全に社会の窓っていうのがあくわけですよ。

例えばゲストに迎えたい人がね、いちいちアポをとって例えば和田中のような田舎に来てよ。そうしたらもう半日潰れちゃうじゃない?あるいは、東北大にいる人だったり九州にいる人だったらさ、一日潰れちゃう。しかも交通費がどうだとか。でもバーンと貼ったディスプレイに、携帯からクリップで止めるだけでその人が空いた時間、例えば10時50分から11時までの10分だったら空くとして、それを授業の時間にぶつけて本物を呼び出すっていうことができちゃうでしょ?

――どこでもドアみたいですね。


藤原和博氏: そう。どこでもドア。要はそのような授業が可能になっちゃうでしょ?俺の時は日立も言ったしIBMも言ったし、アップルにも言ってんだけど、もしこれが開発されたら俺が営業本部長で売ってみせるって言ったの。まず巨万の富にできますよ、と。

――そうなると紙に印刷するのがもったいないですね。


藤原和博氏: リクルートだってそうだもん。昔は紙でやってたんだもん。厚いやつで。誰も読まないでそのままゴミだっていうのが何%かもあったわけでしょ?紙は間違いなくゴミになるし。

あと電子模造紙というのとは別に電子ノートとか言ってたんだけど、それって実はこれがA4かB4で1枚あったら、それを分割して貼って、ソフトで1枚使えるじゃん。だから生徒たちが使う小さい1枚を、先生側が使う電子模造紙っていうのは、モジュールに組み合わせればいいのかな?って思ったの。今、分割ソフトでできるでしょ?一画面にできるでしょ?それから、生徒たちが書いたものをバッと映し出してもできる。それをデータ処理してグラフにバッとしちゃうようなこともできる。

Cラーニングっていうソフトを使うと、携帯の色んなデータをさっとグラフ化したり、携帯から送ってきたメッセージ、アンケートなんかをばっと黒板やディスプレイに一覧してっていうのはできているんですよ。それも使って柴島高校で授業をやったんだけども、これはネットマンっていう会社の永谷社長が発明したソフトなんだけどさ、これはもう、青山学院とか明治とか大学ではもうどんどん使ってるんですよ。

何百人って受けるような講義だと出席取れないでしょ?それが例えば教授が『今日は1829』って言って、それを入力した人は出席扱いにするっていうことができる。だから絶対ね、大学の全体のカリキュラム管理なんてもうそうなりますよ。

――1番の使いどころですよね。


藤原和博氏: そう。そうでないと無理なんだもん。できない。もうわかったと思うけど、20世紀の高度成長社会、21世紀の成熟社会の何が違うのか?っていうと。みんな一緒っていう社会だったのが、それぞれひとりひとりにバラバラになっていくわけでしょ?それぞれひとりひとりにバラバラになっていくプロセスの中でどのように管理するかっていうと、絶対もうモバイル以外ないんですよ。

みんな一緒の社会だったから、検定をやって教科書を一気に作ってそれを1500万部ばらまいてよかったんだけどね。それをひとりひとりの学習進度がこんなに差が開いちゃって。特に算数・数学。それと英語のような教科っていうのはものすごい開いちゃった。もう小学校で英語を教えるようになったから、中学1年から一気にせーのじゃないので、その教え方の上手さまずさで中学入ってきた時にすでに英語が嫌いになっちゃってる子もいるわけでしょ?そういう子と、もう親の年収の高い子は小学校からバリバリネイティブだっていってやってるみたいな。それを同じところで競争させる方がかわいそう。同じ所でやらせる方がよっぽど不平等ですよね?逆差別なんですよ。ここは非常に大事なんですよ。今まではみんな一緒だったので、まだみんな一緒だっていう幻想があるの。そんなの崩れてるんだけど。

――その幻想を引きずっているのですね。


藤原和博氏: そうなの。だから突出するところがあると引きずり下ろそうとするわけだけど、こんなバカなことはないわけで。くだらない話だけど、夜スペね。あれはもう、裁判に訴えられて、もう高裁のあれも出たんで、もう終わると思うけど、突出して成績の4,5の子を6まで引き上げようなんてことをやるともう大変なんだよ。

日本全国がさ、まだみんな一緒の時代の幻影。上から目線の量の平等みたいなね。英語の嫌いになっちゃったような子とすごい得意な子、あるいは算数がすごいできる子とそうではなくて不得意な子とに、同じ教室で同じ教科書で同じように教えること自体が拷問みたいな話なんだよね。つまり、差が広がっちゃうんですよね。

だからそれは差別じゃなくて、区別して、中学に来ても算数が不得意な子には、むしろ戻って算数を教える。場合によっては数学の微分積分なんていらないんじゃないの?と。それよか徹底的に算数を教えてあげて中学3年で出してあげたほうが、例えば軽度発達障害の子にとってはいいわけですよ。

そういう時代になってるんだよね。面白いんだよね、今。すごい時代のせめぎあい。これはおそらく流れがあと5年くらいでガラっと変わらないと。日本にいる7割8割方の人が、それぞれひとりひとりの社会になっちゃってる現実を認めて、デジタルメディアもどのようにそれに利用するのか?っていうことを本気で考えないと。だってそれぞれひとりひとりに合わせて進度別にやるとしたら、デジタル以外ありえないんだからさ。デジタルは当たり前にそのように生み出されたものだと思うよ。

――電子書籍の活用法はなんだと思いますか。


藤原和博氏: 難しいよな。満員電車の中で携帯で日経新聞を読むのがどうなのよ?と。どっちがカッコイイかでもいいんだわ。だから、電子か紙か自体の議論そのものが俺にはほとんど無意味。今の端末は過渡期だから、どっちが好きか嫌いか?っていう議論はあるし、それで選んだらいいと思うので。例えば、横書きだって嫌だっていう人がいるわけでしょ?縦書きじゃなきゃ読んだ気がしないというさ。

やっぱり人間って習慣の動物なので、何かを学ぶ時に習慣的でないものを出されちゃうと拒否しちゃう。そういう程度のものだと思うの。ただ、あなたの子供や孫たちは、もういきなり横書きでいわゆるディスプレイ、ガラス越しに読むのは、この透き通ったクリアファイルの下に印字されたものを読むのとほとんど変わらずに読めるんですよ。それだけの話だと思うな。

――最後に、藤原さんにとって本はどういう存在ですか。


藤原和博氏: 僕は実は、twitterもfacebookもやらないんですよ。僕のホームページっていうものがありまして、それをベースにして自分のネットワークを作っていってるわけですね。そこにはID、パスワードなしに書き入れができる掲示板もあって、十数年運営してるんだけども、1度たりとも炎上したことがない。業界の奇跡と言われているんだけど。発言の数は、今1万9千くらいになっていて、2万発言はいつなるか?って感じなんだけど。
僕のニュースソースね、情報をどのようにインプットするかっていうので、一番信頼を置いているのが書籍ですよ。圧倒的に。50%くらい書籍だといってもいいと思う。僕テレビをほとんど見ないので。
33歳まで僕あまり読書しない人だったんです。それがメディアファクトリーという会社を創業した時にやむを得ず読まざるを得ないので年間100冊。今はだから年間150冊くらいを眺めて、そのうちおそらく50冊くらいを精読するんじゃないかな?
小説で面白ければ当然精読するけども、エッセイでもつまんないものは最初の50ページでわかるんで、最初の50ページでだめだったらすぐに。というような感じです。
50%が書籍で、おそらく40%が人を通じての情報の仕入れだと思う。新聞だったりいわゆる情報メディアだったり、俺だいたいWEBマガジン嫌いだから、メルマガ嫌いなんで全部断っちゃうし。そういう知の構造なんですよ。

これから成熟社会になると何が問われるかというと、知識というよりは教養なんですよね。どれくらい1か所深堀してあと幅広くかという、それは物事をいかにやわらかくとらえられるかなので、そういう意味では書籍の積み重ねがない人は、言ってしまえば話す気にならないという。話せばやっぱり、書籍を読んでいる人かどうか?っていうのはバレちゃう世の中になっているんだと思うんだよね。だから、電子書籍で最初の30ページくらい読めるというのがあったらいいよね。だーっとそれで目を通して、最初の30ページがつまんない本なんて絶対つまんないから。それで面白ければ書籍で買うみたいなさ。今Amazonなんかでもちょっと中身を見せてってやってるじゃん?実は『坂の上の坂』もポプラ社のサイトでほぼ全編に渡って最初のとき見せちゃったのよ。今回は第1章、今回は第2章みたいな感じで。そういう組み合わせが当分起こるんじゃないかな?

――なるほど、紙の本を売るためのそういう1つのツールになってもいいですよね。


藤原和博氏: いや、実際なってると思いますよ。その時にはだって、『坂の上の坂』だって横組みだよ。俺が原稿書くとき横組みで書くんで、その横組みで出したやつと一緒に。全章、1週間に1章だけ。今は『はじめに』のところしか読めないと思うんだけど、そういう組み合わせでしばらくいくんじゃない?この5年か10年は。

――今何か企んでいることはありますか。


藤原和博氏: 俺、ヨーロッパに出たのが37なんですよ。その前27は、新規事業の舞台に異動になって、初めて大阪に行ってるんだけど。校長になったのが47ですから、57になって何をやるかっていう。これはね。俺結構観客がいっぱいいて、その観客を喜ばせなきゃならないわけ。それで行くとね。私企業の最先端でやって、で、学校でしょ?次やるとしたらね、もう宮内庁長官くらいしかないんじゃないかな?(笑)っていうふうに思うのは、あのワールドか防衛庁か、それだと俺はもう震える。やらせてくれたら。通用するかどうかわかんないけど、存在をかけた戦いになるからさ。

ただ、それまでには、教育の世界で、義務教育にクリティカルシンキングを入れていくということについては、相当俺確信犯で、言っちゃえばゲリラ戦をやっちゃってるから。それをこの5年以内に、だから僕の50代のうちに押し切るというね。特に国語に入んないとだめなんだよね。日本の国語が余りにも読解だから。それは陰山英男さんが言っていることが正しいし、齋藤孝さんも正しいんだけど、でも1割ぐらい疑うっていうことを教えていかないと。疑うっていうことを教えてないから、AIJもそうだけど、振り込め詐欺もさ、こんだけ騙されるんじゃないの?おかしいじゃん。明らかに。

――世界と競争できないですかね。


藤原和博氏: そう。世界はとっくに修正主義で。正解主義でなくてね。まず言ってみてどんどん人の意見を聞いて修正していくってさ。日本なんてトヨタの改善なんてそういうことなんだよ。トヨタだってそうなのに、なぜ日本の教育界だけは、正解主義でいまだに4択問題にしているか?っていうさ。おかしいじゃん。俺はね小学校で1割、中学校で2、3割、高校で5割。大学で100%クリティカルシンキングが必要だって言ってる。

(聞き手:沖中幸太郎)

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