テクノロジーの“費用対効果”が見えたら電子書籍を読みたい
――ブックスキャンのことは、ご存じでしたか。
橘玲氏: 全然知らなかったです。
――作家の7名の方が、いわゆる自炊業者、スキャン代行業者を訴えたということはご存知ですか。
橘玲氏: 新聞で読みましたが、個人的には、本を買った人が自分の意思で自炊をするなら著者がとやかくいうことはないのでは、と思っているので。自炊した本が大量に出回って著作権者が経済的損害を被っているならともかく、そういう可能性があるからといって読者の権利を著者が制限できるのか、という感じです。
――普段、電子書籍は読まれたりしますか。
橘玲氏: ほとんど読まないですね。紙の本しか読まないです。デバイスは持っているんですけど……。電子機も使いこなせれば違うのかもしれないですけど、ページを折ったり、しおりはさんだり、書き込んだり、赤引いたりっていう、そういう本を読むときの一連の手つきというか、これまで何十年もかけてつくってきた読み方のノウハウが人それぞれあるわけじゃないですか。もちろん技術的には、iPadでもしおりを挟めるし、いろんな注釈も書けるし、あるいはその注釈をみんなでシェアできるというのもわかるんですけど、そういう新しいテクノロジーの“費用対効果”も含めて、もうちょっと様子を見てからでもいいかな、と思っています。
――書籍の電子化についてはどうお考えですか?
橘玲氏: 紙であれ、電子であれ、できるだけ多くの読者に読んでもらいたいと思っているので全くこだわりはないです。といっても、本格的に電子書籍で発売されるのは近刊の『(日本人)』が最初になります。iPadや楽天のkoboなど、すべてのデバイスに対応するようです。
日本人は『リンゴ』『アップル』『エポー』の3種類を使い分けなくてはならない
――そうすると、今後は電子化が急速に進むということになるんでしょうか。
橘玲氏: そうかもしれないですけど、アルファベットの電子化と、縦書きの日本語の電子化では、技術的なハードルが全く違いますよね。漢字にルビを振ったり、横書きだと半角数字なのに縦書きだと漢数字や全角数字になったり、簡単そうに見えても技術的にはやっかいなことが日本語にはたくさんあって、それが全部解決できるのかというのは疑問です。縦書きの文に横書きの半角数字が入っているとものすごく違和感があるんですが、だったら古典作品や詩歌などを除いて、日本語も全部横書きにすればいいんじゃないかと思ったりもします。韓国語はすべて横書きになったし、中国語も、台湾(繁体字)は縦書きでも中国(簡体字)は横書きです。日本語も、縦書きにこだわることにどれほど意味があるのかなって。
――それは、読者にとっては大きな変化になりますよね。
橘玲氏: 新聞を読んでいていつも困るのが、外国人の名前などのカタカナ表記です。スティーブ・ジョブズのような有名人ならいいんですが、それほど知られていない人だと、カタカナの人名検索ではウィキペディアにも出てこない。英語のサイトで調べようと思ったらスペルが必要ですが、カタカナから想像するしかない。これはかなりのストレスです。
ナラヤナ・ムルティというインド人がいて、彼はインフォシスという世界的なIT企業の創業者なんですが、それ以前は熱心な左翼活動家でした。若き日のムルティはフランスに渡り、そこで現地の共産主義者や社会主義者たちと、どうしたらインドの貧困をなくせるか夜を徹して議論します。ムルティのたどり着いた結論は、「イズム(主義)だけでは世界は変わらない。レトリックは富を生まない。富を創れず、それを分配できない者が、世界を救うことなどできはしない」というものでした。こうして彼はインドに帰国し、1981年に6人の仲間とベンチャー企業を創業するのですが、そのインタビュー記事を読んでムルティという人物に興味を持っても、インド読みのカタカナ表記からは“Murthy”というスペルは出てきません。英語サイトを検索するにはまず、カタカナ表記からスペルを調べなければならないんですが、だったら新聞や雑誌はすべて横書きにして、人名などはそのまま英語表記で記載して、必要なら読み方をカタカナで補足するようにすればいいんじゃないかと思います。“Narayana Murthy(ナラヤナ・ムルティ)”という感じですね。
あと、もっと困るのは中国人の名前です。「毛沢東(モウタクトウ)」というのは、日本人にしか通じません。中国語では「マオ・ツートン」、英語でもMao Tse-tung(もしくはMao Zedong)です。だから、日本語読みで中国人の人名を覚えていても、海外の人と毛沢東について話すことができません。“鄧小平Deng Xiaoping”も“江沢民Jiang Zemin”も“胡錦濤Hu Jintao”も同じで、中国語読みや英語表記を知らないと、観光ガイドの説明や英字新聞の記事ですらなんのことかわからない。旅行者同士は英語で話しますが、これでは中国についての初歩的な会話すら成立しませんから、日本人は相手にされなくなってしまいます。
もっというと、Appleをアップルと発音しても通じません。カタカナだと「エポー」か「アポー」になるんですが、それなら横書きのまま、“Apple/’æpl”と発音記号を併記したほうがいい。カジノ(カシーノ)とかウォーター(米語ではワラー)とか、カタカナ英語ではまったく通じない言葉はいくらでもあります。カタカナが外国の文化を取り入れる素晴らしい発明なのは間違いありませんが、それがいまではグローバル化の足かせになっているのではないでしょうか。
東南アジアなどの新興国は、大学では英語で授業をするのが当たり前ですから、学生たちはアメリカ人やヨーロッパ人ともふつうに話ができます。それに対して日本人は、Appleという単語に対して「リンゴ」「アップル」「エポー」の3種類を使い分けなくてはならない。これは、日本のカタカナ文化の限界なんじゃないかと思います。
もっともこれは私の個人的な体験からで、中国に行くと、いつも中国人の人名の現地語読みが出てこなくて苦労するんです。中国でMao Tse-tungを知らないと、「こいつバカか?」って顔をされますから(笑)。