書籍の販売部数はロングテールなのでコレクター向けの本は1万円でも売れる
――そうした苦境を、電子書籍が変えられるんでしょうか?
橘玲氏: 私は、電子書籍が出版市場を大きく拡大するという見方には懐疑的です。もちろんある程度の相乗効果はあるでしょうが、だからといって落ち込んだ雑誌広告に匹敵するかというと、相当難しいんじゃないでしょうか。ただ、書籍や雑誌の高い返品率を考えると、紙から電子へという流れは不可避だと思います。
これは出版業界ではある種のタブーなのかもしれませんけど、返品された書籍は倉庫に保管されるんですが、書店からの注文で再出庫できるのはごく一部で、ほとんどはそのまま断裁・廃棄されていきます。雑誌の返品率も35%を超えているんですが、これはそのまま廃棄処分です。一部は再生紙になるんでしょうが、ファッション誌などで使う高級紙はリサイクルがきかないのでそのまま焼却するしかない。さらに問題なのは一時期大流行した付録付きの雑誌で、これは返品されると産業廃棄物として処分するしかありません。皮肉な話ですが、エコロジーを訴える本や雑誌が森林資源を破壊しているともいえるわけです。
こういう言い方をすると怒られるかもしれませんが、書籍の販売部数は典型的なロングテールなので、テールに位置する少部数の本をわざわざ紙に印刷する意味はないんです。とりわけ今の書籍流通の構造を考えると、書店の店頭にすら並ばずに返品されていく本がたくさんある。だとしたら、そういう本こそ電子書籍にして、ニッチな読者に確実に届くようにしたほうがいいと思います。コレクター向けの本とか、専門性の高い内容なら、1万円出しても買いたいという人だっているでしょうし。
――分母は少ないけれども、ある一定数以上に確実に需要がある。大学の授業で教授が書いた本を買わされるとか、まさしくそうですよね。
橘玲氏: それこそ紙にする必要なんて全然ないですよね。授業にiPadを持って行って、必要なところだけプリントアウトすればいいだけの話です。
あともう一つ、これはもっと言いにくいんですが(笑)、日本の出版社って、著者印税は刷り部数に対して10%と、ほぼ横並びじゃないですか。そうすると、ほとんどの売れない本が赤字で、それをごく一部のベストセラーで一発逆転するというギャンブルみないなビジネスモデルになるしかない。だったら著者と出版社の利益分配の仕方をもうすこし工夫して、たとえば売れた分だけ支払う実売印税制にして、その代わり部数が増えれば印税率も高くなるような設計にした方がお互いにメリットが大きいと思うんですが、そういうinnovativeな提案は残念ながらほとんどないですね(笑)。日本でも翻訳本は、出版契約の時点でアドバンス(前払い)を払って、部数によって印税率をスライドさせているわけだから、それと同じことをすればいいだけだと思うんですが……。
今後の出版社のミッションはネット上の情報から意味のあるものをつくり上げること
――そうした状況で、電子書籍というツールが何か手助けをするというか、作家によってはそれによって有利になったりっていうのはあるんでしょうか。
橘玲氏: 逆にお聞きしたいんですけど、アメリカでも著者のセルフパブリッシングが成功する例は少ないんじゃないですか。著者が原稿を書いて出版社が本をつくるという形なら、紙も電子書籍もそんなに変わらないと思うんですが。
――実は私もそう思っています。出版社には、本の制作や流通だけでなく、著作権を保護する、言論の自由を守る、新人を育てるという役割もありますよね。
橘玲氏: たしかにそうですね。本のクオリティ管理にしても、著者が自分で編集者や校正者、デザイナーを雇って完成度の高い本をつくるというのは、あまり現実的ではないような……。熱心な読者向けの特別バージョンをネットで売ってみるとか、マンガの原画を著者のサイトで販売するとか、そういう可能性ならいろいろあると思いますけど、セルフパブリッシングが出版のメインストリームになるというのは今の段階ではちょっと考えづらいですね。
――出版しやすくなればなるほど、出版社の役割って逆に大きくなるかもしれないですね。
橘玲氏: 今ではネット上に膨大な情報が流れているわけですが、だからこそそこから意味のあるものをつくり上げる編集者の仕事は残ると思います。
出版業界でよく言われるのが、「読者の数は最大100万人」ということなんです。日本の人口は1億人なのに、実は本を読む人は100人に1人くらいしかいない。もちろんみんな興味のあるテーマが違いますから、それぞれのジャンルで考えたら読者の上限なんて10万人くらいなんですよ。そう考えると、ある種の社会現象にならなければ数十万部なんて部数は出てこない。そんな“満塁ホームラン”を狙うのもいいけれど、著者も出版社も、これからは本を読む限られた人にいかに適格にアプローチするのかを考えなきゃいけないんだと思います。もちろん、ふだんは本を読まないけれど評判になっているから買ってみようという人たちがまわりにいるわけですが、読者の中核は50万人とか100万人のすごく小さなマーケットで、そこに年間8万冊も新刊を投入するから苦しくなるのは当たり前ですね。
――電子書籍に望むものってありますか。現状は板ですが、例えばこれが本当の紙のようにめくれるものだったら読むかな、とか。
橘玲氏: イノベーションはいずれ起こってくると思うんですけど、今の電子書籍だったらプラスαとしては使うかもしれないけど、日常的には紙でいいかな、という感じです。実用的な使い方としては、海外旅行にガイドブックを5冊も6冊も持って行けないので、必要なところだけiPadにスキャンしていくとか。これもいずれは、ガイドブック自体が電子化されてGoogle Mapなどと連動するようになるんでしょうが。
日経新聞の電子版が好調のようですが、これはマーケット関係者が他人よりも少しでも早く情報を得たいからでしょうね。速報性というニーズでは、電子媒体の方が有利になりますから。
――正確性より速報性。
橘玲氏: 紙と同じことしかできないんなら、紙でいいわけです。リクルートの情報誌がほとんどWEBに移行したのは、WEBには“検索”という紙にはできないアドバンテージがあったからですよね。
――それぞれ特性を活かすってことですね。
橘玲氏: 情報誌的なものはネットが代替するとしても、小説は単行本や文庫で読みたいという人も多いと思うし、好きな作家の本は値段が高くても上製本を買うという熱心なファンもいるでしょう。そのなかで電子書籍の位置づけというのは、やはり紙にはないなんらかのエッジがある領域に限定されるのかな、と思います。あくまでも当面は、ということですけど。
作家というよりは『橘玲』を編集する感覚で本をつくっている
――作家の方にお聞きしているんですけど、本を書かれるときにはどんなふうに発想するんですか。
橘玲氏: 私の場合は、自分のことを「作家」ではなく「編集者」だと思ってるので、たぶんほかの作家の方とは考え方がちがうんじゃないかと思います。こういう言い方は変かもしれませんが、「橘玲」という架空の著者を編集しているという感覚なんです。だから自分が作家といわれるのはけっこう違和感があって、「橘玲」というヴァーチャルな作家を使って自分が面白いと思う本をつくってみよう、というのが基本の発想なんです(笑)。それが場合によっては小説になり、実用書になり、新書になったり……。あるいは、「橘玲」というブランドをYahoo!ニュースに登場させたり、Zai ONLINEの中に企画・編集ページを持たせたらどうなるんだろう、という一種の実験なんです。
――橘玲っていうブランドがあって、そのブランドはさまざまな性格があるっていうことですよね。
橘玲氏: ファッションモデルにいろんな服を着せてみたら面白い、というのと同じかもしれないですね(笑)。
――本日はいろいろな話をお聞きして、予定時間を大幅にオーバーしてしまいまして、すみませんでした。また、お時間頂きましてありがとうございました。
(聞き手:沖中幸太郎)
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