ブルーバックスや講談社現代新書など、「堅い本」こそ読むべき本
――読み手側の意識が低下しているということですかね。
村上憲郎氏: そうそう。忙しいというのはあるよ。GoogleやYouTubeがあるしね。Facebookもあるし。でも、そうは言いつつもググっても分からない事が山ほどあるわけですよ、世の中には。ググってウィキとか行ってチョロっと読んだところで「あ、この話はあの辺りの話だな」というのが分かるだけであって、本格的なこととなるとやっぱり書籍というのに辿り着いて、そこで基本的な枠組みみたいなものを学ぶという手続きは廃れていないはず。それなのに、ググってチョロっと読んだら、「あー、分かった」みたいな気分になってしまっているんでしょうね。そこから先の発展性がないというか。大前提として、「忙しい」というのがあるんだろうけれども、ちょっと調べた後の、もう少し先まで勉強してみようということに意識が向かなくなったということが最大の原因じゃないでしょうかね。
――現代では、インターネットがこれだけ普及している状態で、ネットの情報だけで完結してしまっているから、本を読むという行為が少なくなっているということですね。
村上憲郎氏: そうそう。別に、誰でも彼でも本を読めというわけじゃないんです。例えば、何人かは分からないけれども、昔なら進学校の生徒なら、1クラスで30人位は講談社現代新書やブルーバックス、岩波新書などを争うようにして読んでいたのに、いまではきっと5人位の割合になっているんじゃないでしょうか。
――あまり認めたくないですが、実際はそうかもしれないですね。
村上憲郎氏: だからこそ、ここから立て直さないとダメだと思うんです。たとえば、元参議院議員の田村耕太郎さんなんかと言っているのは、「アメリカのエリート教育を取り入れるしかないんじゃないか」という話ですね。日本は昔、明治維新の後、大学を作って外国人の教師を呼んできて、西洋の文物を学んだわけですよね。その時、日本はまったく西洋の学問の素地がなかったので、それは仕方がないことだったんです。福沢諭吉先生はそのときに「いっそのこと英語にして、日本語をやめよう」というようなことを言っていたんですが、今からしてみれば、あれがもしかしたら当たってたのかもしれないな、と思わざるをえませんよね。
でも、その後に、色々な人達が一生懸命、英語の言葉を漢語に当てはめてなんとか学問の日本語化を進めていったわけです。それから100年、ありがたいことに日本人は母国語である日本語で高等教育を受けられるという事になっているんだけれども、いまここに来て、その日本語が足かせになっていますよね。アメリカではボーディング・スクールというのがあって中高一貫みたいになっているんだけれども、私が考えているのは、このような中高一貫のボーディング・スクールを日本に作って、Ph.D.を持っているレベルの人が教師になったらいいんじゃないかと思うんです。いま、ポスドクの人たちが余っているとも聞きますしね。しかも、「英語“を”」じゃなく「英語“で”」授業をする。
つまり、日本の世の中の知的レベルが落ちている気がするんですよ。私も大学でときどき特別講義とかやるんですけど、その時に学生たちからの質問なんかを聞いていると、「あー、本を読んでいないな」というのが伝わってくる。それは、文科系だけじゃなく理科系も同じ。まあ、勉強していないですね。
私なんかは理科系に行った目的は「量子力学を勉強したい」、「相対性理論を勉強したい」という高校生の何とも言い難い学問への憧れだったんですよ。ただ、高校時代の先生が「理学部なんか行っても就職がないから工学部へ行け」と言うから仕方なしに工学部に行ったわけです。それでも教養の間は、現代物理入門とかいう所へチョロチョロっと勉強したんです。でも今私が、慶應大学の日吉の特別講義に行って話をして、今の学生達はどんなレベルかなと思って、言葉の端々に「ハミルトニアン」「線形独立」「波動方程式」とか言ってみて相手の顔色を見るわけだよ。そうしたらみんな、「ん? なにそれ?」って顔をするか、下向いちゃうんだよね。これは「あ、やってないな、お前ら」とか思っちゃいますね。
――日本最高水準の私立大学の慶應大学でもそうなんですね。
村上憲郎氏: そうです。本当に、どうやって単位をとってきたんだろう…と不思議ですよ。一般的に学生の意識がすごく低いですよね。危機感がないというか。世の中はこれから更に厳しくなって、もう競争社会にどんどん放り込まれていくわけで、日本だけでなく全世界と大競争しなければならないわけですよ。もう「就活」なんていうレベルじゃないんです。いや、このままでは、本当に彼らにはまともな仕事はないと思うよ。
だって、グローバル採用なんかをやった日には、ハングリー精神に満ち溢れたインドネシアとかベトナムとかの若者たちと競争しなければならないわけですよ。だってもう彼らは英語がベラベラだし、意識も高い。それなら、大手企業はこうした学生たちを雇おうかなって、思うはずですよね。まあ、今後は若者にとっては非常に厳しい時代がくると思いますね。
――そういった個人のスキル、ハングリー精神を持って何かに取り組まないといけないはずなんですけれども、それには圧倒的に読書量が足りないということですね。
村上憲郎氏: 最近はハウツー本ばかりを読んでいる人が多いんですよね。でも、ハウツー本というか、あの手の本を読んで仕事ができるようになるなら苦労しませんよ。
「新しいものを感知する力」を上げるには、とにかく情報収集が大事!
――「新しいものを感知する力」だったり「世の中を見通す力」というものは、なかなか身に付きにくいものだと思うのですが、普段村上さんが気をつけていらっしゃることはなんですか?
村上憲郎氏: うーん、実は、僕はなんとなくこれから流行りそうなものって分かるんですよ。「それはどうやって分かるの?」と言われると、何とも難しいんだけどね。「アンテナを高く感度を上げる」というしかないですよね。そのためには、たくさんの本を読んで、できるだけたくさんの情報を組み込むんです。
だから、僕はあまり熟読ってしないんですよ。繰り返し繰り返し読むということは、哲学と宗教と現代物理とかの本ぐらいしかしないんです。あとは、帯を見て、内容を予想して、目次を見て、まえがきを読んで、あとがきを読んで。そして、もしも目次の中で思い付かなかった内容だなと思う所だけブワッと読んで、終わりですよ。これは自分でも考えつく話だと思われるところは、あまり読みませんね。
まず、その本の目次を見たら「ああ、こういう事を言っているのに違いない」という予測を立てるんです。とはいえ、こうしたレベルに到達するためには、ある程度世の中の知の枠組みを理解しておくことが必要ですよね。私自身は「フレーム・オブ・リファレンス」と呼んでいるんだけれども。それは、つまり人類がこれまで構築した知の枠組みみたいなものなんです。だからそれぞれの物が一体何であるかという位は、ウィキ程度には分かっていないとダメ。これが理解できれば、頭の中に書誌分類表のようなものができてくるから、本を見た瞬間に、言ってみれば図書館の司書さんみたいに、「この本はここ」「この本はここ」という具合に、それに基づいて分類していくんですよ。
――こうした「フレーム・オブ・リファレンス」はどうしたら自分の頭のなかに作れるものなんでしょうか。
村上憲郎氏: 講談社の現代新書やブルーバックスなんかで興味のあるものだけでもいいから、相当量、数多く読まないと分からないんじゃないでしょうか。まあ手っ取り早く手に入れるとしたら大学のシラバスをどこかで手に入れて、経済学部前期というのをパッパッパッと読んでいったりするのもいいかもしれないですね。
やっぱり本を読まなアカンですよ。最近は僕自身、かなり読書量は減っているけれども、やっぱり20代、30代、40代、50代って、私は、年間200冊ぐらい読んできていますからね。
――すごい量ですね…。3日に1冊ぐらいのペースになりますか?
村上憲郎氏: まぁ、そんなことで、未だに、書斎だけでなく、枕元と便所には読みかけの本が山になっているんですよ。なかなか減らないけどね。
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