忙しい時代、難しい本に向き合う時間は減り続ける
――昔と今の本の中身、こんな風に変わったなというような感想はございますか?
幕内秀夫氏: そうですね、今、難しい本に向き合うという余裕が、皆さんあまりないような気がしますね。私自身もそうです。だからそれに合わせて出版社も新書の出版が多い。「新幹線の中、名古屋までで読みきれる」みたいな。やっぱり今の日本人に出版社が合わせた結果として、あれだけ新書売り場が広がったというのはひとつの現象なんじゃないですかね。
――今の電子書籍の流れなど、出版社はこういう風に進んだ方が良いというようなお考えはございますか?
幕内秀夫氏: 面白い時代だと思いますけどね。つまり今までだと大手しか出せなかったようなものを、小さな出版社も出せるチャンスがあると思います。だから編集能力はものすごく試される時代になっているんじゃないですか。企画力、編集力がより試される。今、企画力や編集力によって大手を越えるような本を幾らでも出せるチャンスがやってきているんだろうなという気はするんですけどね。いい本の話題は、あっと言う間にインターネットで広がりますからね。
――幕内さんは書籍はどのように購入されるのですか?
幕内秀夫氏: 私はやっぱり書店で買う事が多いいですね。本を見るのは空港とか、新幹線乗る時とかぶらぶら見ます。でもそれ以外は地元の書店で検索してぱっと買うか、後はもうネット書店で買っています。
――資料として読まれる場合は、どういった読まれ方をしますか?
幕内秀夫氏: いわゆるその棡原の長寿と食というテーマに出会った20代の半ばから、めちゃくちゃに読書をしましたね。どうも私は、ただ本を読むとかは苦手で、目的がないとダメなタイプで。だから受験勉強とかも本気になれませんでしたしね。何か目的が発見できればめちゃくちゃやるという、そういう性格が本の読み方にも表れています。だから目的があればすさまじい本の読み方をしますしね。あの頃は、国会図書館に行って、『健康と食』というテーマで、明治時代から大正時代まで掘り下げて、その後、公文書館へ行ってとてつもない量の資料を写したりしました。もうすごかったですよ。仕事と言う意識はありませんでした。ただ、面白かったんですね。今も面白いと思っています。
――今資料的なものが電子化されて、家にいながらにしてアクセスできたりするような世の中に変わりつつありますが、その当時、もしそういったものがあればどうだったでしょうか?
幕内秀夫氏: 便利なのは間違いないですね。自分が執筆していて思う事ですが、パソコンがなかったらこんな量の本を書けたのかと思いますね。私の本も、かなりのものが電子化される予定になっています。自分自身は時代とかではなく機械が苦手なので、流れはゆっくりですね。携帯でメールができるようになったのがまだ2年位ですからね。スマートフォンなんて遠い先だと思いますよ。だから電子書籍についても色々な意見があるでしょうけどね。読者の立場としては、先の話になるでしょうね。
―― 一度読んだ本をスキャンして電子化して読まれるといったことはどのように思われますか?
幕内秀夫氏: 本のスキャンというか、蔵書の問題については、私自身これからすごく考えなきゃいけない事は現実でしょうね。今は膨大な本が置ける書庫があるので大丈夫でしょうが。私は本に赤線を引いてしまうので、古本業者にも出せないし。だから私の持っているほとんどの本が処分できない。とにかく、めちゃくちゃ線を引いちゃうんです。
――そういったスキャンをする際に本が断裁されますが、本が断裁され電子化されることについては、どのように思われますか?
幕内秀夫氏: 特に何も考えてなかったですね。私は紙が良いとか紙の質感がとか場所などの問題じゃなくて、単純に機械が苦手なので検討するまでに行ってなかっただけです。そのうち本気で検討することになるんでしょうね。
読者には優しい言葉で、海外の思想によりかからず自分の意思を伝え続ける
――幕内さんの本は食に関して書かれていると思うんですが、書かれている時に気をつけられている事はございますか?
幕内秀夫氏: やっぱり梅原猛が哲学に対して言った事と同じですよね。「外国の思想に寄りかかるな」というのは重要だと思っています。梅原猛が、若いころ東大かどこかの著名な哲学者の講演を聞いて、たしかハイデッカーの「笑い」の研究だったと思いますが。「それは分かった。だけどあんたはどう考えてるんだ」と言ったらしいんですよ。勇気のある発言ですが、その通りですよね。外国のものをただ翻訳して日本に出しているだけではダメな訳です。だから私なんかは伝統食が基本的なベースですよ。やっぱり日本人が長い間経験し、続けてきたものに大きな間違いはない。全部正しいかどうかは分からない。しかしその大切に受けけ継いできたものを、こっぱみじんにこの半世紀でめちゃくちゃにしちゃったのは日本の栄養教育なんです。こんな国は世界中にひとつもないと思いますよ。フランス人の食生活がまるっきり変わっているという話は聞かないでしょう。ただ、本を書く時には私はノスタルジーには興味ないので、現代社会に届かない提案はしません。私が書いているのは所詮、実用書ですから。だから手の届かない提案は「何もするな」という事と一緒だと考えています。あともうひとつは「提案なき指摘」もしたくありません。「○○を食べると危ない」とか指摘するだけでは、人に絶望しか与えない。例えば遺伝子組み換え食品や、放射性物質。でも危険だと言うんだったら、じゃあ明日からどうすべきかですよね。ベストはともかくベターを提案しなきゃ。時代に合う、手の届く提案をしたいと思っています。
――執筆にはパソコンをお使いですか?
幕内秀夫氏: そうです。今度、10月下旬から35年ぶりに東海道五十三次、500キロを歩くんですよ。もちろん全部徒歩で。それをブログに書いたら、次の日に出版社が本の企画を決めちゃって。だから執筆用にポメラを買いました。今回の旅のきっかけなんですが、35年前を考えると何か、歩いたからといって直接得たものはない。ただ体重が16キロ減って、その旅の後のこと考えると、見えないけど大きな意味での影響があった。それをふと思いだしたんです。で、「そうか再び歩いてみたいな」と。そういう事で東海道五十三次がちょうど良いんじゃないかと(笑)。日常食を尋ねてというテーマです。やっと日程が決まって約20日で歩くんです。平均すると、1日25キロなのでそんなにハードじゃないと思っているのですが、二十代とはちがいますから(笑)
――1日25キロですか!?ハードだと思いますが。
幕内秀夫氏: それで、ただ歩くんじゃなくて、食を見ながら歩くと。どこを見るかというと、一昔前なら商人宿、あるいはフーテンの寅さんが泊まった駅前旅館、最近はビジネス旅館と呼ぶ宿泊施設です。もっとさかのぼれば木賃宿に繋がるのかもしれません。江戸時代なんかは、金持ちは旅籠に泊まってご飯食べて料理を食べる。それが今の1泊2食の始まりですね。貧乏人は米を持って旅行に行く。その米を宿で炊いてもらうんです。そうすると薪代がかかる訳ですよ。それが木賃。木の値段っていうか燃料費を払う。そこから木賃宿と呼ばれていたんです。
今回はビジネス旅館に宿泊します。ほとんどは、トイレも風呂も共同です。安いからごちそうは少ない。プロの料理人がいるところも少ない。そこにこそ、その地域に昔から伝わる「日常食」が残っているのではないかと思っているんですが。そういう宿が少なくなっています。夕飯を出す宿泊施設が少なくなってるんですね。もちろん、高級な旅館はご馳走でお金をとるわけですから別ですが。そういう宿を探して宿泊先優先で、日程を決めました。だから一日に歩く距離がバラバラになってしまいました。
本当に健康な人は、食を楽しみつつ別の事でストレス解消をしている
幕内秀夫氏: 健康と食に関して言えば、食べる事によるストレス解消以外のストレス解消法を見つける事が、最大の健康の近道なんだろうなと思います。他の快楽に比べて食べるという事は簡単で、安いし、努力も要らない。家庭も平和です。日本人はそういう事が苦手なんだと思います。デパ地下に行って思いますよ。日本のデパ地下は、人類史上最大のグルメでしょう。新宿伊勢丹の地下行った事ありますか。あそこってもう人類史上最大のデパ地下だと思ってますけどね。おそばから中華まんじゅうからワインから田舎のチーズから、フォアグラまで、ない物はなんだろうと思いますよ。食べる事以外楽に楽しみのない日本人の象徴的なところだと思うんです。私なんか淑女のディズニーランドって呼んでいますが、そこへ行く人が若い人になってきたというのが問題ですよね。昔はおばさんばっかりだったのに。それだけ食べる快楽が一番安いし努力も、教養も要らない。いくら高いと言っても海外旅行やヨットやオペラを聴きに行くよりははるかに安い。
でも、食の快楽大きな意味で悪い事かというと難しいんです。食の快楽に走らない国はドラッグを解禁してる国ですからね。日本だってドラッグを解禁すれば糖尿病なんかぐっと減るに決まってます。ただ今の日本が、あまりにも快楽が食に偏り過ぎていると思います。まるでギリシャ・ローマ時代みたいですよね。貴族がごちそうを食べては羽で喉をついて吐いて食べるという事に近い。グルメ番組とダイエットのCMが交互に入るんですからね。ばかばかしい事ですよね。だからきっと本当の意味で健康な人は、もちろん食べる楽しみは否定しないけれどそれ以外の楽しみを上手にしている。そういう人だと思いますね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 幕内秀夫 』