電子書籍は、活字の未来をひらく新しい変化である
――今と昔とでは、本はどのような風に変化してきたと感じられますか?
船曳建夫氏: 最近の大きな変化は電子書籍ですね。その前の変化っていうのは、最近本を読んで分かった事なんですけれど、本って和本があって、その後洋本、いまの活版印刷の本になった。その後150年は、そんなに進歩がないままきていたので、やはり電子書籍というのは、ある意味で大きな変化だと思います。内容に関しては19世紀にだって雑誌はあったし、ジャーナリズムがあって、高級な硬い本もあれば軟らかい本もあったし、あまりいまと変わらない。
――実際に先生ご自身が電子化をされたという事なんですが。
船曳建夫氏: そうですね。筑摩書房で『本とコンピュータ』という雑誌がありましたよね。出版が開始されてから結局2、3年経っても、本とコンピュータを対比的に並べているわけで、くだらなさを感じていたんですね。こちらに本があって、こちらにコンピュータ、ディスプレーがあって。こっちかそっちか、という話をしているけど、全然そういう問題じゃないと思うんですね。データが電子化されて、それをディスプレーで読むか本にするかという事であって。それまでは、いわば原稿用紙に書かれていた物や頭の中に入っていた物を活字にするという事だったのを、ひとまずは電子化して、その後の形として、紙媒体になったり今だったらディスプレーで見られるようになったり、将来はもっと変化すると思います。あるひとつながりの文章のようなまとまった物が、電子化された形で生の資源になる。その資源をどういう形にするかという事では、非常に可能性が増えてきたんだと思う。だから僕は電子書籍と紙媒体の本というのが対立的にあるんじゃなくて、電子化される事で、もちろん電子書籍として流通して、世界中に瞬時に伝わるという事もあるけど、あらゆる形の紙媒体の書物になる可能性が増したというのを、自分がこの本を自作した時に思いましたね。
――紙媒体にも電子データが変化する可能性はありますね。
船曳建夫氏: 今、ある料理屋さんの雑誌に書いたばかりの話ですが、こんなことがありました。退職の時の本をデザインする時、デザイナーの人が色々なフォントを持って来てくれて、組版によってどう印象が変わるのかを見せてくれました。僕が驚いたのは、版面の大きさを97.5%にすると、それだけで老眼の僕には凄く辛いという事。こういう所に余白があれば、校正しやすいと思って97.5%縮小してみたんです。そうしたら凄い辛い。今度はそれを102.5%にすると、圧倒的に見やすくなる。だから例えば電子化する事で、そういう変化をどうとでも作れるという事にビックリしたんですよね。今までは、原稿を書いて人に渡して、そこは全部編集者に任せていて、頭の中で思っている事が活字化されるというのが変化だと思ったんですが、その間にもっと様々な世界があるという事を知ったんです。その頃、橋口侯之介さんの『和本入門』(平凡社)という本をたまたま読んだんですね、それを読んでみたら、知らない事が色々あった。つまり17世紀、江戸時代の最初は木による活字本というのがいっとき隆盛になりますが、そのうち木だから、活字にすき間ができちゃったりする。それから江戸時代の人は、毎日毎日読む物に手紙なんかが多い。手紙は続き字で書いているけれど、江戸時代の本を読むと、続き字ではない。あの続き字を活版でやるのは凄く難しいんですね。
――確かに、彫るのが難しいですね。
船曳建夫氏: 例えば『さ』という字と、『う』という字を、書くのはこんな風に続けて書くけど、これとこれを活字でつなげるのは恐ろしく難しいわけですよね。彫る技術が高ければ、活字のすき間ががたつく問題なんかよりも、一つの木に1ページ分彫っちゃえばいいわけです。桜の堅い木材を用いると1000冊以上刷れるのかな。その頃、何千も出たら、大ベストセラーなんですよ。その版木というのはその本屋がつぶれた後でも、そのまま売れるわけですよね。買った人はそのまま刷るという事ができる。それで木の活字が生まれたのに、再び木版に戻るわけ。それは考えてみたら、進歩じゃなくて退歩のように見えるけど、いや、そうじゃないんだなと。木に彫るんだったら、どういう風にでも、書体も変えられるし、大きさも変えられる。言ってみれば電子化されたデータで、様々なフォントの大きさも自由に作るというのは、木の活字から木版に、彫師に移った時のような、両方ともある意味で進歩なんだと思いました。今回起きているのもそういう事だなと。
――なるほど、違う意味での進歩なのですね。
船曳建夫氏: 電子化というと、紙媒体がますます少なくなって、電子書籍へ移行するというように思っているけど、そうではなくて、データというのが電子化される事で、それをどのように表現するかは、もの凄く可能性があると思います。例えば、音のライブラリーという、作者が朗読するものなどがありますが、それは電子化された媒体があれば、そこから直接それを音源にする事だって可能ですよね。もっと面白いのは、自分で本が作れることですね。さっき言った本作りをやっているうちに、「ああ、そうか」と。考えたらどんな本でも作れるんだなと気づいたんです。例えば永井荷風の『濹東綺譚』とか、僕の好きな古い小説があるんですが、それをデータとして買ってきて、それを行書か何かにして、自分で好きな和紙か何かで装丁する事もいくらでもできるんだなと。デザイナーの方が教えてくれたんですが、昔の木の活字みたいなのがフォントとして出てくるアプリや機能があって、それで打ち出して本を作るというような事を既にしているんだと聞いて、ああ、そうかと思いましたね。やっぱり本はiPadもいいんだけれど、物の感じというのか、本の感触というのは大事だと思いますね。100年経っても飛び出す絵本とかはきっと残っているんだと思う。そういうリアルな感触が大事な絵本には、もっと色々な冒険が出てくるだろうなと思いましたね。親が自分の子どもに1冊だけの本を作る事ができますし。そえwは電子化で変わる事だと思いますね。僕は電子化は書籍の可能性をもの凄く広げると思います。今まで我々は編集者が勝手に作った、装丁家という人が勝手に作った本を書店で買うだけだったけど、データを買ってきてどんな本でも作れるんだと、理屈としてはそういう事だなと思いましたね。
電子化されたデータは色々な所で活用できる
――電子化というのは、紙を駆逐する物ではなくて、多様化する事だと思われますか?
船曳建夫氏: 僕が驚いたのは、本って、あまり丈夫ではないですね。やはり昔の和本は凄く強いし、それから17世紀ぐらいの立派な革に包まれた本は、今でも立派なんだけれど、僕の直接の先生が1960年ぐらいに出した本があり、本を作るので先生の書籍を参考にしようと見てみたら、紙全体がくすんでいて、それから活字自体もあまり鮮明じゃない。やけに字が詰まっていたりして、本として決して出来はよくない。みんな本が無くなるとかいって嘆いているけど、かなりの本は元々出来が悪いよなという事に気が付いた。僕の『LIVING FIELD』という本は驚くほど写真が鮮明で、とてもきれいなんです。
みんなが見本を送られたとき画集かと思ったって言っているんだけど(笑)。一方僕は死ぬ前に、PDFなどのデータで、アカデミックな本を保管、管理してくれる所があると思うので自分の著作はそこに預けたいですね。本はまだ紙媒体が多いけど、雑誌は電子ジャーナル化されていますし。電子化されたデータは色々応用できると思います。くだらない事を考えたんだけど、トイレで本を読むけれども、トイレの水の上に文字が出てくるとか、風呂の表面とかの水の上に文字が出てくるとかあり得るなと。読みづらいけど、ディスプレーとしては面白い。レストランか何かの池だって、池の表面だけにバーと広がる油みたいなのがあって、そこに電気が通じていて、水の上に文字が出るとかね。だから液体でも固体でも何でもいいわけですよね。いたる所に、ある意味で文字は現れるわけで。本当にSFみたいだけど、体に電極を差し込むと本を読んだ事になるまでは、つまり眼球を介して本を読むという行為を行うまでは電子化されたデータは様々な媒体に印字されるという事ですよね。だからそれは僕にとってもの凄く興味深いことですね。
――今やっと始まったばかりですか?
船曳建夫氏: 可能性は広がりますよね。紙という物は、かなり物として良く出来ています。この薄さ。我々の読む能力というのは、それこそ電極プラグを頭に差し込んで読むという事が可能になるまでは、我々の読むスピードというのは伸びないんですよ、いくら速読とか言ったって。そうすると、本というのは、我々の読む能力に案外あっていてね。3,4日の旅行にiPadを持っていくのと本を持っていくのは、重さでいうとどっちかと言うと、いい勝負だったりして。いずれ1枚のペラに、電子媒体として電子化されたデータが乗っかるとしても、本というのは十分に軽いと思うので、本にして持っていくという事は、いつになっても案外あり得る方法だろうなと。紙っていうのは、物としてはかなり完成に近い物質だなと思います。
――色々な物に印字されるという未来は、実現する物になってくると思われますか?
船曳建夫氏: そうですね、必要の範囲内で。不必要な事はコストがあわないから実現しないけど、そこに必要があれば、きっとコストの問題を克服して、材料の進歩によって電子化されたデータはいかような形でもとるという事ですよね。本を読むって、もともとは楽しさであるわけなので、楽しいならば、単に内容だけじゃなくて、見ている活字と媒体自体が楽しいという、僕らが感じていない色々な読書の楽しさというかな。勉強の方にどうしても話の焦点が絞られてしまいがちだけれど、そういう活用法もあると思いますね。
これからの課題は『旅行記』を書く事
――執筆に関しては今後どんな事をされていかれますか?
船曳建夫氏: これから海外の旅行記を書く事になっているんですね。21歳の時に、最初に海外旅行に出て、それ以来専攻が人類学なので旅行する事も多いんです。それこそベルリンの壁崩壊以前、若い頃旅行した所を、年をとってまた最近旅行した時の違いとか、違わなさとか、実はその場所は同じなんだけど僕の方が変わっていたということなどを書こうかと思っています。旅行記を書こうとして、何十年ぶりかで訪れてみると、そこが変わっていたり変わっていなかったりする。でもそれだけじゃなくて、自分が昔はある枠組みでとらえていたということにあらためて気づきますね。大きく言うと、東西冷戦、昔ソ連に行った時なんか見ていますし。インドに行った時は南北の格差というのを見ていたけど、言ってみればポストモダンとグローバリゼーションと東西冷戦の崩壊によって、世界はもう少し複雑になだらかに違う風に見えてくると。昔はああやって見ていたんだなぁという自分自身の内側の変化を感じますね。
――色々な国の事を沢山書かれているんですか?
船曳建夫氏: そうですね、まずは8カ所ぐらいの事を書こうかなと思っていて。しかしまず最初のソ連とロシアでまだとどまっていて(笑)ソ連を書くのは難しいです。ソ連って何だったんでしょうね。この前、3週間ぐらいサンクトペテルブルグに行ってきたんですが、変わったような変わらないような、何とも。一番最初から難しいのを書き始めちゃったなと。その次はハワイにしようと思って(笑)。ハワイなら書きやすいから。
(聞き手:沖中幸太郎)
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