読書は日常、なんでも読みます
――最近、どんな本を読まれましたか?
後藤武士氏: 最近というくくりで言えば、缶詰になっていたから、あまり読んでいないです。でも、その代わりに映画をたくさん見ましたね。ホテルで執筆していると、ルームクリーニングの関係で、どうしても日中1度は追い出されるでしょう。その時に見たり、あとは、一通り仕事をした後、今日はこれだけ頑張ったんだから、自分に何か娯楽を与えてやりたいと思ってね。
――映画を見た後、その内容が執筆や読書に生かされることはありますか?
後藤武士氏: 例えば『図書館戦争 革命のつばさ』を見て、面白いじゃんとなると、じゃ原作読んでみようかな、というのはありますね。予告編で椎名誠の『ぱいかじ南海作戦』(新潮社)が今度映画になるというのを見て、じゃあ読んでみるかと思い立って、今日、新幹線の中で読んできました。
――読書をするきっかけは、日常のふとしたことなんですね。
後藤武士氏: 本当に活字自体が好きだから、そういうのはありますね。ただ、目が悪くなっちゃって、老眼も進んだから、読むのが遅くなりましたね。ぼくは読書に関して、こだわりとかはなくて、硬派から軟派までかなり幅広く読んでいます。最近は世界史の現代編を書いていたから、その関係のものは相当読んだ。そうかと思えば椎名誠さんも読めば有川浩さんも読むという感じですね。ただ、基本的にビジネス書はあまり読まない。なぜ読まないかというと自分が発信する側だからですね。
実は、しゃべらせると面白いんだよ
後藤武士氏: 実はぼくは、しゃべらせると面白いらしいんですよ(笑)。編集さんは口を揃えて「後藤さんは喋らせたほうが面白いですね」と。だから今後は、ラジオなんかでお話があれば全部引き受けようと思っています。しゃべるのは嫌いじゃないんです。ただラジオはいいけどテレビはルックス担当じゃないんで苦手(笑)。メイクが苦手なんですよ。
――ラジオでも執筆でも、例えば、自由に思っていることを好きなように書いたり話したりしてくださいと言われたらいかがですか?
後藤武士氏: そしたら、とんでもないことがいっぱい出てくるかもしれない(笑)。面白いと思うけど、それをやる度胸のある版元さんはあまりないでしょうね。なまじある程度の部数はさばけるジャンルがあると思われているだけに。日本史モノで声を掛けられたときに「印税は半分でいいから、このテーマで書かせて、1週間で原稿を上げるから」って言うと、「いやあちょっとそれは怖くてできませんね」と言われたり。そんなテーマはたくさんありますよ。でも、それを表に出したいのであれば、自分自身がお金を使うなり労力を使うなりして発刊するものかもしれません。版元さんを使ったり取次さんにお世話になったり書店さんのスペースを使わせていただいて、やっていいことじゃないのかも。
――例えば電子書籍ではどうですか?
後藤武士氏: そこに商品価値を求める人がいらっしゃればやってもいいかな。「この人の提言は面白い、それにお金を払ってもいい」という人がいるのであれば、電子で実現させてもいいかもしれない。版元さんにも取り次ぎさんにも書店さんにも、さらに読者さんにも迷惑を掛けないで済むわけだから。
――後藤さんの本音を聞きたいという読者もいるかと思いますが。
後藤武士氏: いままで、自分の好きなことってほとんど書いていないですね。唯一ここだけは本音を書いているかなというのは、「まえがき」と「あとがき」。まえがきは、半分はその本を読むためのマニュアルだけれども、あとがきというのは、著者に対するご褒美だと思っているので、そこは思い切って好きなことを書かせていただいています。まえがきに書くとみんな引いちゃうからね(苦笑)。たまに自分で、昔の本を引っぱり出して、自分が書いたまえがきやあとがきを読むことがあるけど、涙を流す時がありますね。「すごい、この時点でこんなことを見越していたのか」ってその時の自分の先見性に驚いたりします。あとは「この時はつらかったんだろうな」とか思って泣けてくる。こうなることがわかっているんだけど、それを発言する場がないとか、信じてもらえないとか。結局、活字媒体でしか露出していないうちはダメですね。
――顔が知られるようなメディアへの露出が必要ということでしょうか?
後藤武士氏: 講演に行くと「有名な人ですか?」って言われるけれど「別に有名じゃない」って言っています。そもそも、名乗らなきゃわからない段階で有名とは言わない。謙遜でも何でもなくて、ぼくの場合は本が売れているのであって、ぼく自身が売れているわけではないから。自分自身を売るということになると、やっぱりテレビとかの露出ということになるんだけれども、そこは正直、まだ抵抗がある。もちろん版元さんに貢献したい部分もあるから、どうしても必要になってくればそうするけれど。ぼくの本はテレビに出ていなくても読んでいただけている。ある意味すごいのは、テレビに出なかったのに、本が100万部売れちゃったことですよね。もちろん営業さんや書店さんが大事にしてくださったからだろうけど。よくテレビとタイアップして宣伝効果を上げるとかあるけど、自分はしていない。「ぼくは日本一無名で地味なミリオンセラー作家だ」って言っている。でも、自虐的なのは悔しいから「日本一、地に足の着いたミリオンセラー作家」って言ってもいいですよね、うん。
史実に見る「迫力」と「本物」
――ご自身の人生の中で、「この1冊」と思われる本はありますか?
後藤武士氏: ぼく、「本」で人生を変えちゃうのはどうかなあと。よくビジネス書のレビューで「これで人生が変わりました」って書いてあるのを見ると、そんなもので変わるような安っぽい人生を送っちゃダメだって。それが、何かのきっかけになったとか、モチベーションを高める一つの要素になるのならいいんだけれども。
――では、例えば学生時代に強い影響を受けた本はありますか?
後藤武士氏: 大学の時は、ベタだけど、司馬遼太郎の『関ヶ原』。勝手に自分を三成にダブらせて、なぜ世の中でこの正義が認められないんだって思っていましたね。でも会社経営を経て、この年になると、今度は家康の気持ちがわかるようになってくる。同じ三成でも別の観点ができて、あれはあれで幸せだったんだよな、と。だって、いまの日本で言えば家康は首相で、三成は財務省の課長。その二人が戦争なんて、あり得ないですよ。そんな勝負ができたというのは、ある意味、幸せだったんじゃないかな。あの時代の人というのは名を残すことが大事だったわけですから。この本は読む年代によって思う部分が変わってくるというのが、すごくいいかなと思いますね。年代によって思う部分が変わるといえば、教科書でお馴染みの魯迅の「故郷」、あれも中3で読まされたときは、何も感じなかったけど、十年くらい前に読んだときはとてつもなく沁みました。あまり精神が弱っている時だとおすすめできないけど、そうでなかったら、あれは、そこそこの年齢で読み返すとすごいですよ。ぽかんとなっちゃいます。あと思想的なもので言えば、大宅壮一の『実録・天皇記』(角川文庫 大和文庫から再販)は自分の中でデカかった。あれを読んで、統治者には統治者の苦労があったんだなと思えるようになった。いま、自分自身は思想的にはニュートラルだと思っているんだけれども、そこに軸をもっていく上で、すごく大きい内容の本だったという気がしますね。違う分野では、『THE ANSWER』(角川書店)という本があるんです。これは、鈴木剛介が新風舎から自費出版した時代の作品を、角川から出版したものでね、読んだときに衝撃を受けましたね。世の中のあらゆる疑問に答えを出してしまったという感じがした。
――後藤さんの、本の原点というものはありますか?
後藤武士氏: 日本史に関して言えば、和歌森太郎の『日本のむかし』(実業之日本社)っていうものすごく古い本が家にあったんですよ。祖母が子供の頃の母親に買い与えたというもので、あれを読んだのが多分、ぼくの日本史の原点ですね。
出版社の役割…チームみたいなもの
――お話に聞き入ってしまいまいました。『読むだけですっきりわかるシリーズ』が、ミリオンセラーになっているのも、うなずけます。
後藤武士氏: 自分で言うのもなんだけど、ぼくはものすごく出版業界に貢献していると思います。ぼくの本を読んだ人は、他の著者さんの本も読みたくなるはずですから。ぼくは読書家を増やすことに一役買っているわけです。日本史みたいにある程度ブームに貢献させていただいたりしているし(笑)。逆に、せっかく本を買ってくれた人に「なんだ、これならネットでいいや」と思わせちゃう本が巷にはいっぱいある。そういう本だけは書いてはいけない、出してはいけないと思っています。
――出版社とは、後藤さんにとってどういう存在ですか?
後藤武士氏: 本を一緒に作っていくチームであると思います。編集さんもタイプによって違うから、色々なパターンがある。ただ、相性のいい作家と相性のいい編集者が組んだ場合というのは、やっぱりいい本ができやすい。ぼくの原稿が素材なら、編集さんは料理人。あるいはカクテルですね。むき出しの第一稿というのは、言ってみれば「原酒」で、慣れた人にはうまいけど、普通の人にはキツくて飲めたものじゃない。編集者というバーテンダーの手で、水なり氷なりソーダなりが入って、シェイクなりステアなりされることでまろやかになって多くの人にも飲みやすくなるわけですね。
――バーテンダーとカクテルになぞらえるなんて素敵ですね。そんな後藤さんらしい本を、これからもぜひ、宜しくお願いします。
後藤武士氏: みんなのためになって、面白い本。これからも出し続けたいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 後藤武士 』