後藤武士

Profile

1967年、岐阜県生まれ。青山学院大学法学部卒。執筆・講演のほか、教育評論家・活字講談家・世相評論家・平成研究家などの一面を持つ。学習法、読解力育成、などのメソッドでも一世を風靡。代表作「読むだけですっきりわかる」シリーズは累計280万部超。とりわけ2008年文庫化出版の『読むだけですっきりわかる日本史』はミリオンセラーであると同時に超ロングセラーとなっている。他に監修本として、『NHK麻里子さまのおりこうさま! 篠田麻里子の150字で答えなさい!』(アスコム)や『まんがと図解でわかる世界史』(別冊宝島)など。 http://www.takeshigoto.com/

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日本一、地に足の着いたミリオンセラー作家



歴史、地理、世界史、さらには政治経済や読解力をわかりやすく解説した本『読むだけですっきりわかるシリーズ』(宝島社)は、累計280万部のヒットを飛ばし、数年たってもなお売り上げランキングに入るロングセラーです。その作者である後藤武士さんは、電子書籍のあるべき役割などを、独自の視点で面白く分析されています。他にも、執筆スタイルから私生活の趣味に至るまで、じっくりとお話を伺いました。

信頼性を落とすようなものは作りたくない


――現在のお仕事やお取り組みについて、ご紹介いただけますか?


後藤武士氏: 仕事は、ちょうどいま、一つ大きいものが終わったばかりです。(※取材当時)『読むだけですっきりわかる』シリーズに世界史版があるんですね。一昨年かな、古代と中世書いて、その後、近代書いて、次が現代編なんだけど、まあ、正直言うと締めきりを延ばしまくって近代までで、とめちゃっていたんです。

――規模が大きいテーマですね。


後藤武士氏: そうそう。引き受けた時に考えたことは、「類似本の模倣やダイジェスト版、便乗本だと言われたくない」でした。そうすると、当然、内容は多くなり、あっという間に2冊、3冊になってしまった。近代編までやった時に、自分の中では「もういいかな」という感じだったけど、やっぱりその辺は読者さんも版元も許してくれそうにないので、6週間、ホテルで缶詰になって執筆していました。缶詰といっても、世間で想像するほどキツいものではありません。その辺は編集さんが信頼して下さっているから、割合に身動きは自由でしたよ。

――普段の仕事場はどちらですか?


後藤武士氏: まちまちです。自宅であったりホテルであったり。最近はホテルが多いですね。この2か月間で、家に帰ったのが1週間位、残りは全部ホテルにいた気がします。連載とか短いものなど、自宅で書けるものは自宅で書きます。ただ、やっぱり単行本や書き下ろしとか、テーマが大きいものになると自宅では書きづらいので、どうしても外になっちゃう。だから家と外と半々ぐらいの確率ですね。

――執筆される際のスタイルについてもお伺いします


後藤武士氏: パソコンを使っています。目の疲労や肩こりがひどくて困っています。執筆で目をダメにしちゃったんですね。少しは回復してきてるけど、趣味が読書とドライブと映画なので、目が弱ると全部ダメなのがつらい(笑)。体をダメにしてお金を稼いだって意味がないから、半年ほど、療養したんです。最初は一年療養するつもりだったんだけど、気がついたら社会復帰させられてました(笑)。今も、今日、明日、明後日で7件ぐらい案件を抱えているんですが、ほとんどお断りすることになると思います。やっぱりセーブしながらでないと、良いものが作れない。それから他の方のチャンスをつぶしちゃってもしょうがないし。「本」というものに対する信頼性を落とすようなものは作りたくないから。

――厳選された1冊を出すことに、こだわりを持っていらっしゃるんですね。


後藤武士氏: そう。同じ多作でも、意味のあるものであればいい。例えば、これとこれは内容が違うとか、同じ内容でもレベルや対象とする読者層が異なるとか。いまどうしても出さなきゃいけないテーマとかもあるわけですね。もちろんそれを周囲がOKしてくれないと出せないけど、必然性や、クオリティーを保てる場合は出していくべきだし、そうじゃなかったら控えるべきだと思っています。もちろん、仕事だからそんなことは言っていられないこともあるけど、幸い、いまのぼくはクオリティーを考えられる状態だから。「衣食足りて礼節を知る」で、やっぱりそれなりに踏まえてやらないと。

自費出版がメジャーに


――いまは、依頼されて書くというお立場であると思いますが、ここに至るまでの、道のりや、苦労された話をお聞かせ願えますか?


後藤武士氏: それはもう「最初の本を出した時」ですね。以前は会社を経営し、塾を開いてたんですが、教えることに関しては「自分は化け物だ」と思っていました。だけど、その客観的な証拠が何もなかったんですね。本来、教える能力とは別の指標である超難関校の合格者数とか、年商がいくらだとか、客観的な指標ってどうしてもそこにならざるをえない。だから一冊目を出すまでは本当に大変でした。ちょうど、読むだけシリーズから学習法が出たばかりですが、アルファブロガーの方が取り上げてくださったらしくて、ネット書店では品切れになっていました。でも、あれ、コンテンツは、ぼくが一番初めに自費出版で出した本とほとんど同じ。当時はどこも引き取ってくださらなかったから自費出版という選択肢しかなかった。どんなにいいコンテンツがあっても、それを認められるだけの裏打ちとしての実績とPRできる度胸や力がないとダメってことですよね。

――そうなんですか!どのようにして、メジャーになったのですか。




後藤武士氏: ある書店さんが好意で置いてくださって、そしたら月に100冊くらい売れて。それでいまの宝島社の編集さんに拾っていただいたんです。ほぼ同じ内容でタイトルや表紙などリニューアルして宝島社から四六版で出したら、八重洲ブックセンターのフロア別のトップ10に入って、増刷も何度かあったけど、その時はそこまででしたね。スマッシュヒットまで。で、さらにそれが文庫化されたんだけど、当時はまだ宝島さんは文庫が今ほど強くない頃で…。

――まだ、宝島社の看板である海堂尊さんも、後藤さんも出ていないころですね。


後藤武士氏: そう。「このミステリーがすごい!大賞」はあったけれども、宝島社文庫版のぼくの勉強法の本がどこに置かれていたかというと、アダルト文庫の隣に置いてあった時代です(笑)。当然、売れるわけがない。コーナーに行くのですら恥ずかしい。ところが、宝島さんの文庫が強くなって、置き場も変わると、品切れになった。そのときに、「コンテンツの確かさは間違ってなかったんだな」と確信しました。ただ、それが認知されるかというのは、「運」も含めての問題。で、0%の運を60や70%までもっていくことはできるけど、100%には持っていけない。「運」というのは、オール・オア・ナッシングみたいなところがあって、一つ堰(せき)を切れば一気にくるけれども、切るまでは、どこまで上がろうが進もうが同じ扱いですね。だからここはすごく苦労したと思います。

――これで作家として大丈夫だ!と思った瞬間はありましたか?


後藤武士氏: いやいや、それがなかったんですよ。最初は、宝島はメジャーだから、ここから出せば人生が変わるだろうと思ったけど、これが変わらない。じゃあ増刷になったら…変わらない。ランキング入りしたら…変わらない。2冊目出したら…変わらない。どこまでいっても変わらない、もう一体どこまで行くんだろうなと思いましたね(笑)。未だに何も変わってない気さえします。ただ、自分自身のことを客観的に一つの取材対象として捉えると、明らかに変わっているんですね。例えば「仕事を選ばせていただく」なんてことは、昔はできなかったことだし。

――作家としての基本姿勢というのは、当時から変わらないですか?


後藤武士氏: 変わっていないつもりですけれど、もしかすると、シリーズで出した本に火がついた時ぐらいに、何か変わったのかもしれません。その頃から一気に声を掛けてくださる版元さんの数が増えたので。ぼく自身を客観的に分析すると、今は3回目のブームの最中。既に2回のブームを経験できたことは「ありがたいことだな」と思います。静かで動きがなくなってもあまり焦らずに穏やかでいられるから。でも、実は最初にブームが来た時、すごく怖かったんです。

――怖いというのは、どういうことでしょう?


後藤武士氏: 「ブームは作っちゃダメ」だと思っていたんです。ブームというものはいずれは廃れてしまう。ぼくはこの仕事を長くやっていきたかったから、それは避けたかった。そのためには、上がり下がりが激しいより、そこそこのところで仕事はコンスタントにあった方がいい。でも、いったん極端に上がってしまうと、そうはいかなくなる。例えばオファーをくださる編集の方も、頭の中で、そこそこの部数を想定してしまっているようで。さすがにミリオンはともかく、30万部とか10万部とか、あて込んでいらっしゃるのが、わかるんですね。企画通過に際してのハードルが高くなっている。いけないことに、ぼくは「この企画だとそこまでは無理ですよ」と言っちゃう。やっぱり出すタイミングとか出し方っていうのがあるし、30万部を狙うやり方と10万部、5万部を狙うやり方は、それぞれ違っているんですよね。

――どのような違いがあるのでしょうか?


後藤武士氏: ぼくの場合はヒットの延長がホームランになるのではなく、ホームランを打つ時はホームランを狙って打ちます。ということは当然、ピッチャーのどの球を打つかによりますね。自分の打席の中で、ホームランボールが来るとは限らないし、そういう意味ではミリオンというのは、チャンスさえあれば出せるけど、そのチャンスが毎年回ってくるかというと、そういうわけにはいかないですよね。

――打った打球をホームランにするために、積極的に宣伝やPRなどをする作家さんも見られますが、後藤さんはどう考えていらっしゃいますか?


後藤武士氏: いまの物書きさんというのは、ほとんどがほかに職業を抱えていらっしゃって、セミナーや商材販売のため、あるいは名刺代わりに本を売る。その本を売ったことで箔(はく)を付ける。そういう人ならいいと思うけど、ぼくの場合、初めから、執筆自体を本業にしていくつもりだったんです。だからAmazonキャンペーンも、自費出版の時に1度だけやりましたけれども、プロになってからは一度もやったことはないですね。

――役割がはっきりしているということですね。


後藤武士氏: ネットでの呼びかけも一切やらない。ブログとかも放りっぱなしだし、TwitterもFacebookもIDは持っているけど、自著のプロフィールには載せていません。なぜかというと、「プロ」というものにこだわりがあるから。もちろん、そういったことをやっていらっしゃる方を否定するわけじゃなく、考え方の一つとしてですね。ぼくは、物書きのプロというのは書けばいいのであって、営業は営業をしてくださる方がいらっしゃると考える。営業まで自分自身がやるというのは、その段階で物書きのプロではなくなると思ったんです。だから、ゼネラリストになるのなら、どんなテーマでも扱える書けるというゼネラリストになりたい。「執筆も営業もやりますよ」というのではないんです。

電子書籍は、出版界におけるライブハウスだ。


――電子書籍が普及してくる中で、後藤さんが、電子書籍に期待するものはどんなことでしょう?


後藤武士氏: 電子書籍というのは、自分自身で全部できる。ぼくは自費出版というスタイルを取ったけれども、そんな選択を取らなくてもいい、というものですね。

――その当時に電子書籍があれば、後藤さんも利用していましたか?


後藤武士氏: おそらく利用したでしょうね。電子書籍は、出版界におけるライブハウスだと思っています。本を出したいという人にとってはすごく門戸が開かれていて、武器になるツールであるし、登竜門になるべきだと思う。だからね、ライブハウスをホール級のアーティストが使うことに抵抗があるんですよ。荒れちゃうから。ファンのために、たまにはいいけれども、次に育ってくるべきアーティストのためのハコ(箱)がなくなってしまう。だから偉そうかもしれないけど、ぼくは、これから出て来たい人や、いま書いているけど出版社から声を掛けてもらえるだけのものがないという人たちのために、ライブハウス的な場所はとっておくべきだと感じているんです。

――登竜門としての場が「電子書籍」であれば、武道館やホールという場は「紙の本」として書店に並ぶことですか?


後藤武士氏: やはり電子書籍よりも紙の本にした段階で、お金が余計に掛かるわけですね。キンドルが向こうで流行り始めた頃、ほとんどの作家さんや編集者さんがもろ手を挙げて電子書籍を歓迎していて、「これで何でも出せる!」みたいなことを言っていたけど、ぼくにはそうは思えなかった。つまり、編集者がいなくてもいい本を書けるのだったら、彼らのいる意味がない。編集者と突き合わせている限りは、それだけ出来上がったモノが良くなってなきゃいけない。当然、編集者というのは有能な人たちだから、それだけの人件費もかかっているわけですよね。だったら、そこも含めてPayできる質にしなきゃいけない。

――そういった経費の部分を考えなくて済むという点が、やはり電子書籍の売りになるでしょうか?


後藤武士氏: そう、だからいまの段階で、書店が同じ売り方をする必要はないでしょう。あともう一つは図書館。ぼくは図書館が新刊を扱うのはどうなのかなと思っています。書店さんが1つや2つしかない町であるとか、地元の書店さんがあまり大きくなくて、ベストセラーとかが少量しか入荷しないとか、離島とか、そういう地域はもちろん別だけど。「じゃあ図書館は要らないか」というとそうではなく、ある程度、版を重ねて利益を十分に得た本や、逆に絶版になって出版社も増刷に手を掛けない本、あるいは取りあえず採算度外視で世に問いたいという人たちの本などを、取り扱うべきだと。自費出版とは限らなくて、メジャーな版元さんから出た本の中にも、そういう本はある。ロットは大きくないけれどもニーズは確実に存在している本というものね。

――例えば大学教授の研究書や学術書や、極めて狭いマニア的な趣味の本など、ということですね。


後藤武士氏: そう、例えば釣りの本よりもルアーフィッシングの本の方が、当然ロットは小さくなるけど、確実に存在しているわけ。ロックの本より、タンゴの本、タンゴの本よりもアルゼンチンタンゴの本の方がターゲットとなる読者層もニーズも狭くなっていく。これを売るには商業的に厳しいから、そこを何とかするために、というところで図書館が有効な空間だと思っている。適材適所でやればいいのであって、逆に言えば紙媒体でもできることを電子書籍でやってもどうなの、という話ですね。

――紙と同じような戦略で電子書籍を出しても、意味がないということですね。


後藤武士氏: うん、なのに同じことを考えている。紙で大ヒットになっているものを電子は欲しがるじゃない?だけど、それはあまり意味が無いよ。それぞれに役割があって、分けるべきだと思う。ただ、どうしてもそうしたいのだったら、やっぱり料金的なことも考えなきゃいけないよね。

紙の「ホンワカポン」、電子の「テカテカ・ツルツル」


――数年前にKindleが入ってきた時、後藤さんの考えはどのようなものでしたか?電子書籍が本の中心になると思いましたか?


後藤武士氏: さきほどもちらっとお話したけれど、当時はみんな「黒船の襲来だ、これで一挙に日本の出版事情が変わる」なんて言われていたわけです。そういう予想した評論家やジャーナリストをここで晒してやりたいくらい(苦笑)。でも、ぼくは電子書籍をテーマに月刊宝島から取材受けた時「そんなことにはならない」とお答えしました。なぜかというと、日本にはまず文庫本という存在がある。欧米のペーパーバックより小さいでしょ? 要するに世間で言う「携帯性」という意味で、決してiPadとかに負けていない。なおかつ日本人というのは、文庫本にブックカバーを付けるでしょ。カバーが付いているものにさらにカバーを付ける。そういう人たちが、この電子化の状態に耐えられるかといえば、無理だろうと。

――文庫本にブックカバーをつけて大切にしますよね。


後藤武士氏: あとは何を読んでいるのか「隠したい」という気持ちもある。でもiPadでは、使っていない人には開けっ広げに見えちゃう気がするから、そのハードルを越えるまではそう簡単には普及しないと、ぼくは思っていました。ノートパソコンのモニターは弁当箱のフタだと思っていましたから。

――電子書籍を必要としている層と、紙を必要としている層は違いますか?


後藤武士氏: 紙を必要としている層なんか、書庫まで作って本をとっておきますよね。まあ僕もそうだけれども(笑)。そういう人間がこの電子書籍の中に冊数が入っているだけで満足するかというと、絶対しないですね。電子書籍を喜ぶ人たちは確かにいるけど、その人たちというのはネットでコンテンツを読むことに慣れている。ところがネットのコンテンツというのは、無料が仕様なわけで。先に無料に慣れちゃっている人に「これから有料にしますよ」なんて言っても、そう簡単には「はい、そうですか」とはならないでしょう。このあたりも当時ベストセラーになった「FREE」の影響もあって、見誤ってた人が多かったものです。

――世代によって、慣れ親しんだものに違いがありますね。


後藤武士氏: だから「電子書籍が来た、じゃあみんな電子書籍へ行こう!」という風にはならない。ただ、生まれた時からiPadやノートパソコンがある世代というのは、ナチュラルに電子の方へ流れていくと思う。はじめからネットコンテンツが有料前提で育つであろう今後の世代なんかもね。現にいま、英和辞書なんか、高校生は紙と電子のどっちの方が多いかと言えば、みんな電子辞書を使っていて、しかも彼らには抵抗感がまるでない。

――どのようになれば、紙の本が好きな方たちが電子書籍へ移行できるようになると思いますか?


後藤武士氏: 一つは、付せんやマーキングがもうちょっとうまく貼れるようにしないといけない。書き込みが紙並みに貼れるようになったら、話が別だと思う。あとは、モニターを通しての文字というのは、テカテカ、ツルツルで目に優しくない。紙媒体の文字ってやっぱりジンワリっていうかシンミリと読める。本の文字は、ホンワカポンっていうかね。その2点を満足させるツールとか仕掛けを考えて、うまくいけば、電子書籍も一気にいけるんじゃないかと思う。もう一つ、電子書籍コンテンツにコレクションツールとしての性質を持たせること。例えばぼくのシリーズを全部そろえると何か秘蔵画面が出てくるとかね(笑)。
もちろん時間や世代は電子書籍に味方する可能性が高いでしょう。

――この先、電子書籍が普及しても紙の本と共存していくと思いますか?


後藤武士氏: データは同じで、それを印刷するか、そのままコンテンツの形にするかというだけの違いですから、紙も当然残ると思います。ただね、電子書籍は動画も静止画も音声も組み込めるわけだから、新しい動きとして必ず出て来るだろうなというものはある。例えば、昔はやったシミュレーション、アドベンチャーブックというのがあるじゃない? 読んでいるとここから3番へ行けとか。あれなんて電子書籍だったらもっといいのが作れますよね。

――ゲーム感覚としての本ということですか?


後藤武士氏: そうそう。紙媒体だけでしかやっていない版元に、新たなスタイルの「本」というものを提案できる企業がいつかは出てくると思う。それが出版社側から出てくるのか、いわゆるIT業界から出てくるのかというのは今のところわからない。だって出版社の中でも、メディアの多店舗展開に積極的なところもあるわけでしょう?自分のところで開発するノウハウもあるだろうし、昔で言う編プロの代わりに「デジタル編集プロダクション(デジ編・デジプロ)」みたいなところが出てきてもおかしくない。あ、これは造語だからね(笑)。そこに気が付いた有能な人が、それをやりだすと面白いかもしれませんね。あとは疑似図書館・擬似書庫みたいなのもいいと思います。購入した本で、ライブラリを自分のウルトラブックやiPadの中で形成できるんだったら、これは一つの楽しみですね。そして、埋もれてしまっている本、絶版になってしまった本に関しても、電子書籍をうまく生かして発掘するべきですね。ただ、そのためには、ハードの進化が逆に足を引っ張るかも。進化するときは前規格を引き継ぐことができるようにする必要があるだろうね。映像メディアやゲームメディアみたいにせっかくコレクションした映像が、ハードが進化したことで、スクラップ同然になってしまうようではつまらない。やっぱり規格の統一が課題でしょうね。

――教育において、教科書的な意味で電子書籍、電子媒体というのは助けになると思いますか?


後藤武士氏: 使い方さえ間違わなければね。例えば地球儀であるとか、あるいは日食のメカニズムだとか、いままで板書という2次元で書いていたものを、電子なら疑似的な3次元で表現できるわけじゃない? だったらそれは生かさないといけない。ただ、いま存在しているものって、正直2次元の焼き直しでしかないから。なぜ、3次元を表現できるもので2次元にとどめているんだって話ですね。2次元だったら2次元に任せておけばいいわけで、それぞれにしかできない特性を生かすべきですよね。

読書は日常、なんでも読みます


――最近、どんな本を読まれましたか?


後藤武士氏: 最近というくくりで言えば、缶詰になっていたから、あまり読んでいないです。でも、その代わりに映画をたくさん見ましたね。ホテルで執筆していると、ルームクリーニングの関係で、どうしても日中1度は追い出されるでしょう。その時に見たり、あとは、一通り仕事をした後、今日はこれだけ頑張ったんだから、自分に何か娯楽を与えてやりたいと思ってね。

――映画を見た後、その内容が執筆や読書に生かされることはありますか?


後藤武士氏: 例えば『図書館戦争 革命のつばさ』を見て、面白いじゃんとなると、じゃ原作読んでみようかな、というのはありますね。予告編で椎名誠の『ぱいかじ南海作戦』(新潮社)が今度映画になるというのを見て、じゃあ読んでみるかと思い立って、今日、新幹線の中で読んできました。

――読書をするきっかけは、日常のふとしたことなんですね。


後藤武士氏: 本当に活字自体が好きだから、そういうのはありますね。ただ、目が悪くなっちゃって、老眼も進んだから、読むのが遅くなりましたね。ぼくは読書に関して、こだわりとかはなくて、硬派から軟派までかなり幅広く読んでいます。最近は世界史の現代編を書いていたから、その関係のものは相当読んだ。そうかと思えば椎名誠さんも読めば有川浩さんも読むという感じですね。ただ、基本的にビジネス書はあまり読まない。なぜ読まないかというと自分が発信する側だからですね。

実は、しゃべらせると面白いんだよ



後藤武士氏: 実はぼくは、しゃべらせると面白いらしいんですよ(笑)。編集さんは口を揃えて「後藤さんは喋らせたほうが面白いですね」と。だから今後は、ラジオなんかでお話があれば全部引き受けようと思っています。しゃべるのは嫌いじゃないんです。ただラジオはいいけどテレビはルックス担当じゃないんで苦手(笑)。メイクが苦手なんですよ。

――ラジオでも執筆でも、例えば、自由に思っていることを好きなように書いたり話したりしてくださいと言われたらいかがですか?


後藤武士氏: そしたら、とんでもないことがいっぱい出てくるかもしれない(笑)。面白いと思うけど、それをやる度胸のある版元さんはあまりないでしょうね。なまじある程度の部数はさばけるジャンルがあると思われているだけに。日本史モノで声を掛けられたときに「印税は半分でいいから、このテーマで書かせて、1週間で原稿を上げるから」って言うと、「いやあちょっとそれは怖くてできませんね」と言われたり。そんなテーマはたくさんありますよ。でも、それを表に出したいのであれば、自分自身がお金を使うなり労力を使うなりして発刊するものかもしれません。版元さんを使ったり取次さんにお世話になったり書店さんのスペースを使わせていただいて、やっていいことじゃないのかも。

――例えば電子書籍ではどうですか?


後藤武士氏: そこに商品価値を求める人がいらっしゃればやってもいいかな。「この人の提言は面白い、それにお金を払ってもいい」という人がいるのであれば、電子で実現させてもいいかもしれない。版元さんにも取り次ぎさんにも書店さんにも、さらに読者さんにも迷惑を掛けないで済むわけだから。

――後藤さんの本音を聞きたいという読者もいるかと思いますが。


後藤武士氏: いままで、自分の好きなことってほとんど書いていないですね。唯一ここだけは本音を書いているかなというのは、「まえがき」と「あとがき」。まえがきは、半分はその本を読むためのマニュアルだけれども、あとがきというのは、著者に対するご褒美だと思っているので、そこは思い切って好きなことを書かせていただいています。まえがきに書くとみんな引いちゃうからね(苦笑)。たまに自分で、昔の本を引っぱり出して、自分が書いたまえがきやあとがきを読むことがあるけど、涙を流す時がありますね。「すごい、この時点でこんなことを見越していたのか」ってその時の自分の先見性に驚いたりします。あとは「この時はつらかったんだろうな」とか思って泣けてくる。こうなることがわかっているんだけど、それを発言する場がないとか、信じてもらえないとか。結局、活字媒体でしか露出していないうちはダメですね。

――顔が知られるようなメディアへの露出が必要ということでしょうか?


後藤武士氏: 講演に行くと「有名な人ですか?」って言われるけれど「別に有名じゃない」って言っています。そもそも、名乗らなきゃわからない段階で有名とは言わない。謙遜でも何でもなくて、ぼくの場合は本が売れているのであって、ぼく自身が売れているわけではないから。自分自身を売るということになると、やっぱりテレビとかの露出ということになるんだけれども、そこは正直、まだ抵抗がある。もちろん版元さんに貢献したい部分もあるから、どうしても必要になってくればそうするけれど。ぼくの本はテレビに出ていなくても読んでいただけている。ある意味すごいのは、テレビに出なかったのに、本が100万部売れちゃったことですよね。もちろん営業さんや書店さんが大事にしてくださったからだろうけど。よくテレビとタイアップして宣伝効果を上げるとかあるけど、自分はしていない。「ぼくは日本一無名で地味なミリオンセラー作家だ」って言っている。でも、自虐的なのは悔しいから「日本一、地に足の着いたミリオンセラー作家」って言ってもいいですよね、うん。

史実に見る「迫力」と「本物」


――ご自身の人生の中で、「この1冊」と思われる本はありますか?


後藤武士氏: ぼく、「本」で人生を変えちゃうのはどうかなあと。よくビジネス書のレビューで「これで人生が変わりました」って書いてあるのを見ると、そんなもので変わるような安っぽい人生を送っちゃダメだって。それが、何かのきっかけになったとか、モチベーションを高める一つの要素になるのならいいんだけれども。



――では、例えば学生時代に強い影響を受けた本はありますか?


後藤武士氏: 大学の時は、ベタだけど、司馬遼太郎の『関ヶ原』。勝手に自分を三成にダブらせて、なぜ世の中でこの正義が認められないんだって思っていましたね。でも会社経営を経て、この年になると、今度は家康の気持ちがわかるようになってくる。同じ三成でも別の観点ができて、あれはあれで幸せだったんだよな、と。だって、いまの日本で言えば家康は首相で、三成は財務省の課長。その二人が戦争なんて、あり得ないですよ。そんな勝負ができたというのは、ある意味、幸せだったんじゃないかな。あの時代の人というのは名を残すことが大事だったわけですから。この本は読む年代によって思う部分が変わってくるというのが、すごくいいかなと思いますね。年代によって思う部分が変わるといえば、教科書でお馴染みの魯迅の「故郷」、あれも中3で読まされたときは、何も感じなかったけど、十年くらい前に読んだときはとてつもなく沁みました。あまり精神が弱っている時だとおすすめできないけど、そうでなかったら、あれは、そこそこの年齢で読み返すとすごいですよ。ぽかんとなっちゃいます。あと思想的なもので言えば、大宅壮一の『実録・天皇記』(角川文庫 大和文庫から再販)は自分の中でデカかった。あれを読んで、統治者には統治者の苦労があったんだなと思えるようになった。いま、自分自身は思想的にはニュートラルだと思っているんだけれども、そこに軸をもっていく上で、すごく大きい内容の本だったという気がしますね。違う分野では、『THE ANSWER』(角川書店)という本があるんです。これは、鈴木剛介が新風舎から自費出版した時代の作品を、角川から出版したものでね、読んだときに衝撃を受けましたね。世の中のあらゆる疑問に答えを出してしまったという感じがした。

――後藤さんの、本の原点というものはありますか?


後藤武士氏: 日本史に関して言えば、和歌森太郎の『日本のむかし』(実業之日本社)っていうものすごく古い本が家にあったんですよ。祖母が子供の頃の母親に買い与えたというもので、あれを読んだのが多分、ぼくの日本史の原点ですね。

出版社の役割…チームみたいなもの


――お話に聞き入ってしまいまいました。『読むだけですっきりわかるシリーズ』が、ミリオンセラーになっているのも、うなずけます。


後藤武士氏: 自分で言うのもなんだけど、ぼくはものすごく出版業界に貢献していると思います。ぼくの本を読んだ人は、他の著者さんの本も読みたくなるはずですから。ぼくは読書家を増やすことに一役買っているわけです。日本史みたいにある程度ブームに貢献させていただいたりしているし(笑)。逆に、せっかく本を買ってくれた人に「なんだ、これならネットでいいや」と思わせちゃう本が巷にはいっぱいある。そういう本だけは書いてはいけない、出してはいけないと思っています。

――出版社とは、後藤さんにとってどういう存在ですか?


後藤武士氏: 本を一緒に作っていくチームであると思います。編集さんもタイプによって違うから、色々なパターンがある。ただ、相性のいい作家と相性のいい編集者が組んだ場合というのは、やっぱりいい本ができやすい。ぼくの原稿が素材なら、編集さんは料理人。あるいはカクテルですね。むき出しの第一稿というのは、言ってみれば「原酒」で、慣れた人にはうまいけど、普通の人にはキツくて飲めたものじゃない。編集者というバーテンダーの手で、水なり氷なりソーダなりが入って、シェイクなりステアなりされることでまろやかになって多くの人にも飲みやすくなるわけですね。

――バーテンダーとカクテルになぞらえるなんて素敵ですね。そんな後藤さんらしい本を、これからもぜひ、宜しくお願いします。


後藤武士氏: みんなのためになって、面白い本。これからも出し続けたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 後藤武士

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