読者の声を聞き、常に紙でも電子でも推理作家として新しい挑戦をし続ける
1993年に第四回鮎川哲也賞最終候補作『慟哭』でデビューされた貫井徳郎さんは、推理作家として2010年に『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を、『後悔と真実の色』で山本周五郎賞を受賞、いまも推理作家として新しい挑戦を続けられています。そんな貫井さんに、ご自身の読書について、また電子書籍についてご意見を伺いました。
最新作はミステリーの最高到達点
―― 早速なんですが、最新作も含めてお仕事のご紹介いただいてよろしいですか?
貫井徳郎氏: 8月に実業之日本社から『微笑む人』という新刊が出まして、10月には幻冬舎文庫から『後悔と真実の色』という2年前に山本周五郎賞を頂いた作品が出ました。そんな感じでいま、ポンポンと新刊が続いている状態です。
――最新作の面白さはどういうところだとお考えですか?
貫井徳郎氏: 『微笑む人』は、僕の作品の「最高傑作」ではなくて「最高到達点」です。もうミステリーとして行き着くところまで行ってしまった、これ以上行ったらミステリーじゃなくなる、ギリギリのところの話という意味で最高到達点という言い方をしました。何がギリギリなのかというと、こんなミステリーもありなのかと思わせるような、ミステリーの枠組みを大きく広げる試みをしているんです。たぶん誰も読んだことがないミステリーになっていますので、最初は戸惑うと思うんですけど、「こういうのもありなんだ」と認識を広げて読んでいただければありがたいですね。
―― そういった試みというのは、貫井さんの作品を読む読者の層を広げたいなど、そのような意図があったのですか?
貫井徳郎氏: ミステリーの読者と一口にいっても、たくさんいますし、ミステリーファン全員が僕の本を読んでくださっているわけじゃない。まだまだミステリー読者の中でも開拓できる余地はあります。ただ今回の作品は、意図していたわけじゃないんですけど、普段ミステリーを読まない人でも手に取ってくださっているようです。そういう人の方がむしろ、「ミステリーはこういうものだ」という先入観がないから、普通に楽しんでくださっているようで、これはうれしい誤算でした。やっぱり従来のミステリー読者は、最後にきれいに全部解決するのが当たり前だと思っていらっしゃる方が多いですから。
仕事場には、執筆の邪魔になるようなものはなるべく置かない
――普段執筆される場所というのはご自宅でしょうか?
貫井徳郎氏: いえ、仕事場があって通勤しています。やっぱりメリハリをつける必要があって。自宅ですと色々邪魔になるものが多いですから。仕事場にはなるべく物を置かないようにしています。いまはチョコチョコと物が増えて来ちゃったので、何もないという状態ではないですけど、前は本当、本棚もない、電話線も引いていないのでインターネットもできないといった感じだったんですよ。
―― 一日の流れというのは、どんな感じで過ごされているのですか?
貫井徳郎氏: 僕はわりと集中して2、3時間でガーッと書くタイプなんです。1日400字詰めの原稿用紙で10枚書くことを目標にしています。最近は結構、集中力が上がっているので2時間ぐらいで書けます。午後の3時くらいからスタートして、5時くらいには終わっている感じです。
―― 何か、書かれる前の習慣のようなものはございますか?
貫井徳郎氏: 特にないですね。最近は昼寝しています(笑)。15分くらい昼寝をして、起きてから仕事をする。いつも、今日の原稿を書く前に昨日書いた原稿10枚を読み返して推敲して、その流れでそのままダーッと書き始めるという感じです。集中できない時もあるんですが、ともかく10枚のノルマは守ろうと思っているので、なんとか粘って書きます。結局、集中できないと自分がつらくなるだけだし、集中した方が楽なので、自分を追い込んでいます。
――10枚というのは仕事としてのノルマみたいな感じですか?
貫井徳郎氏: 達成感があるんですよ。すごく集中して、もう気が付いたら10枚書けちゃったみたいな、そういう達成感がすごく気持ちいいので、それを毎日味わいたくて仕事をしています。義務というよりは脳内麻薬を出すため(笑)。もともとデビューする前から小説を書くのが趣味だったので、いまでもあんまり義務感はないですね。
『アルセーヌ・ルパン』シリーズとの運命の出会い
――覚えていらっしゃる最初の読書体験というのはどんな感じですか?
貫井徳郎氏: うちは親が漫画を読むのをとがめないタイプだったので、結構漫画が家にあって、友達がうちに遊びに来て漫画を読んで帰るような、そんな家庭だったんです。それで、漫画を読んでいたので本を読むということに抵抗がなかった。小学校高学年の授業で「図書室に行って何か読め」という授業があったんです。そのときに、どうして選んだのか分からないんですけど、たまたま手に取ったのがモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ『813の謎』(ポプラ社)という作品でした。これはもう僕にとって決定的でした。これで自分の人生が決まったわけです。それまで特にミステリーに興味があったわけじゃないんですけど、すごく面白くて衝撃を受けました。実はいとこから以前にルパンの本をドンともらっていたんですが、それまで見向きもしてなくて、「こんな面白いものをなんで放っておいたんだろう」と思って、シリーズをバーッと読みました。
―― むさぼるように読まれたんですね。
貫井徳郎氏: ルパンを読み終わっちゃったら、やっぱりホームズかなと思って、今度は大人向けのものを買ったんです。当時、新潮文庫で160円とか、そんな時代だったんですよ。だから小学生のお小遣いでも買えるので大人用のホームズを買って、読みました。
―― それはお幾つぐらいの時ですか?
貫井徳郎氏: 小学校5年生ですね。借りて読むよりは所有欲があるので、お金を出して買いました。買うにあたっては子供向けのよりも新潮文庫の方が断然安かったからだと思うんですけど、そこで子供向きじゃなくて、大人向けの本に挑戦しようかって気になったんです。
―― スラスラ読むことはできました?
貫井徳郎氏: いやいやいや。たぶん全然分かってなかったと思うんですけど、でも結構楽しんでいました。やっぱり短編集としての『シャーロック・ホームズの冒険』のレベルの高さはものすごい。いまでもオールタイム・ベストを選べと言われたらホームズの冒険は入れたい。後は漫画では、永井豪さんの『デビルマン』(講談社)に衝撃を受けました。アニメの方を先に見ていたんですが、アニメは子供向けで、敵のデーモンというのが一体ずつやってくるたびにデビルマンが戦って倒すといった、普通の勧善懲悪モノでした。それで、そういうものだと思って原作の漫画を読んでみたら全然違っていた。主人公クラスの人も平気でバンバン死んじゃうし、悪魔よりも人間の方がもっと悪魔だ、という話で、小学生にとってはものすごくカルチャーショックでした。それを小学生の時に読んでしまったので、ちょっとやそっとの刺激では満足できない人間になってしまいました。僕の作風は暗くて重い展開のものが多いんですけど、そういうのはデビルマンの原体験の影響かなと思っています。
横溝正史賞目当てで書き始めて、小説を書く楽しさを知る
―― 執筆をされるきっかけというのは、どのようなことだったのでしょうか?
貫井徳郎氏: 高校生の時に、当時まだワープロがなかったので原稿用紙と万年筆で書きました。大まかなプロットは考えて、その通りに書いたって感じです。でも、ミステリーはその一作だけで、次からはSFを書いていたんです。
――なぜ書こうと思われたんですか?
貫井徳郎氏: 横溝正史賞の賞金が当時50万円で、その50万円が欲しくて書いたんですよ(笑)。高校生にとって50万円は大金ですから。賞金目当てという不純な動機から始めました(笑)。で、書いている途中で小説を書くのは面白いなと思って、「将来これを仕事にしたい」というふうに後から考えたんです。でも社会に出る前にはデビューができなくて、不動産屋に就職してからもずっとコンスタントに書いていて、ようやくデビューできたのが25歳のときなので、書き始めてからデビューまで10年かかったことになります。
――読書に関するお話を伺っていますが、近ごろの書店の変遷といいますか、こんな風に変わったなという印象はございますか?
貫井徳郎氏: 僕自身が変わったので、書店さんに対しての印象が変わった部分は当然あります。ただ、書店さんの変遷というのは正直分からない。昔はもう書店に行けば、行くたびに知らない本が見つかるという感じですごく楽しかったですけど、いまは新刊が出たら行くぐらいになっちゃいましたから。
―― いまでも書店に通われることはありますか?
貫井徳郎氏: 行きますけど、頻度は落ちました。新刊情報はインターネットで手に入るので、出たと知ったら行くって感じだから、何か読む本ないかな、みたいに思って探しにブラッと入ることはなくなっちゃいました。4、5年前に出た本だと店頭にはないので、資料本はネットで探すことになるし。今は新刊本の点数が多いから、書店さんも古い本は物理的に置いておけないんでしょう。
読者が長い小説を読まなくなってきたことには、危機感を覚える
―― 文学にしても、世間で読まれている本にしても中身が変わってきたという印象はございますか?
貫井徳郎氏: その時々のはやり廃りはありますよね。ですから、もちろん変わっているといえば変わっているんですけど、はやりはいずれ廃れると思っています。軽い文体のものがウケていても、数年後には絶対変わっている。だから昔に比べてというよりは数年サイクルで変わっているという印象はあります。ただ、最近特に実感するのは、分厚い本は読者が受けつけないという現実ですね。15年、20年ぐらい前は、分厚ければ分厚いほどいいという風潮があったんですよ。分厚いと力作感があるので。それがもういまだと…。今年4月に僕が出した本、『新月譚』(文藝春秋)は、分厚い分厚いとさんざん文句を言われました。長い長いって。
―― そうなんですか。
貫井徳郎氏: はい。でも、僕の本の中では特別に長いわけではないんですよ。昔はそれより長いものを出しても文句は言われなかったのに、いまは言われてしまう。読者が長い小説を読めなくなってきているんだという感触があります。
―― いわゆる活字文章に触れる機会が少なくなったということでしょうか?
貫井徳郎氏: すぐ楽しめるものを好む人が増えたのではないでしょうか。長いものを読めなくなったという読者の変化に対しては警戒心があるので、対応を考えなければと思っています。これまで僕ははやり廃りは全然意識しないで書いてきたんですけど、今回ばかりは意識して、これからはあまり長い小説を書かないようにしようと考えています。
―― それはそれで何かさみしい気もしますね。
貫井徳郎氏: 長いものは本当に売れないんですよ。だから文庫も今後、分厚い文庫は厳しくなるだろうと思っています。僕の本は分厚いのが多いので、マズいですね。
――「長いですね」という意見は、編集者とのやり取りの中でもあるんですか?
貫井徳郎氏: いや、Twitterとかで聞こえてくる声が多いです。あとまあ実際の売れ行きですね。4月の『新月譚』と8月の『微笑む人』を比べると、『新月譚』が二倍以上厚いんですが、薄い『微笑む人』の方が二倍以上売れている。
―― 冷静に分析されるんですね。
貫井徳郎氏: 僕はかなり分析して「次に何を書くか」を考えるタイプです。
―― Twitterなどの登場によって読者の声や顔が見やすくなったというのがあると思うんですけれども、そういうのは書き手に影響はございますか?
貫井徳郎氏: 聞こえてこない方が幸せだったのかもしれませんけど、読者の声を聞く手段があるならやっぱり耳を傾けて自分の仕事に反映させようとは思っています。読者の好みに合わせるという意味ではなく、あくまでも自分が書きたいものがベースにあってこそなんですけど。僕は常に、誰もやっていないことをやりたいんですよ。何か新しいことに挑戦したいんです。そのためには、いまの小説はここが主流というフィールドが分かっていないと新しいことには挑戦できないですから、そのフィールドを知るために読者の声を聞いているわけです。
ネタはパッと出なければ、無理やりひねり出す
―― 色々な構想や、ネタは頭の中でたくさんあるのですか?
貫井徳郎氏: ううん、全然ないですよ(笑)パッと出ないと、ひねり出してるという感じです。ほとんど使い切った歯磨き粉のチューブを、もう出ないのに、それでもギューッと絞ってなんとか出そうとしているみたいなものです。
―― アイデアが出ないときに、何か気分転換の方法というのはあるんですか?
貫井徳郎氏: 今年の前半に、デビューして以降最悪というくらいアイデアが出ないときがありました。ぜんぜん駄目なので、開き直って考えるのをやめちゃいました。1か月間、充電期間にしようと思って、ほかの小説をたくさん読んで、自分の小説のことは考えないで過ごしました。あれは本当に最悪でしたね。
―― 小説を読もうと思われたんですか?
貫井徳郎氏: はい。何か刺激を受けようと思って。ここのところ読書する時間がすごく減っちゃっていて、話題になっている本でも読めていなかったんです。だからそういう作品をまとめて読みました。
―― 1か月を経て、スランプからは抜け出せたのですか?
貫井徳郎氏: 充電が何か役に立ったかというと、全然役に立っていません(笑)。それぐらいだったら、何か違う仕事をすれば良かったなと思いました。長編の構想を練っていたんですけど、そうではなく短いものを書けばよかったです。
iPhoneを活用、原稿はクラウドにアップ、Twitterを使いこなす毎日
―― 電子書籍、読書とか電子書籍についてもお伺いしたいと思いますが、iPhoneをかなりご活用されているということなんですが、iPhone5も出ましたが、もうお使いですか?
貫井徳郎氏: 発売初日に買いました(笑)。3時間並んで予約しましたよ。使い方としては、何か気になったことや疑問があったらすぐその場で調べる。それがやっぱり一番ですね。
―― レファレンスというか、資料として使われるんですか?
貫井徳郎氏: あとクラウドにあげて記憶させておきます。自宅と仕事場が分かれているものですから、自宅で調べたことはクラウドにあげておいて仕事場でそれを見るわけです。
―― じゃあ、どこでも同じような状況でお仕事ができるんですね。
貫井徳郎氏: そうですね、とにかくいまは、小説の原稿も含めてなんでもクラウドにあげています。もし僕が出先で編集者から原稿のチェックを要求されても、これで見られるわけです。
――いわゆる電子書籍をご利用されたことはありますか?
貫井徳郎氏: はい。買ったことはあります。でも小説を1冊読み切ったことはないですね。電子書籍で買うのは漫画が主です。7インチディスプレイのGalaxy Tabを使って、読みます。10インチよりも7インチの方が、僕の用途としては適切でいいんです。やっぱりiPadって重いと思うので、長時間使うには辛い。それと、机の上が散らかっているので10インチタブレットを置く場所がないのが、買わない理由です。あと、持ち歩いて、それこそ電子書籍端末として使うんだったら10インチより7インチの方が単行本感覚で持ち歩けますから、いいなと思います。
電子書籍は絶版にならないのがいい
――この電子書籍の登場というのは、出版不況だとか、先ほどのお話にもありましたけれども分厚くて本を読まない状況の中で新しい展望をもたらすと思いますか?
貫井徳郎氏: そうですね。まず実作者として一番ありがたいのは絶版がないということです。僕の本でも、いま現在手に入らないものが何冊かあるんですよ。20年もやっていると、どうしてもそういうことが発生します。それが電子書籍で読めればいいんですが、残念ながら手に入らないものはいま現在、電子書籍になっていない。自分の作品が全部電子書籍になっていたら、常に読者に届くという安心感があると思います。いまさっきも言ったように、4、5年前の本だともう店頭にないという状態ですので。僕なんかまだ置いてもらっている方ですけど、それでもどの書店に行っても全冊そろっているなんてあり得ないですから。
――紙の本をスキャニング、そして電子化して読者が読むということに対してはどのようにお考えですか?
貫井徳郎氏: 物理的な置き場所はどうにもならないので、電子データ化してでも手元に置いておきたい方の気持ちはすごくよく分かります。一番いいのは、出版と同時に電子化されることだと考えています。ですから、今年出した2冊は両方とも、電子書籍との同時発売をしてもらったんですよ。ただ、どんな小説家でもできることではないらしいですが。
―― 読者からの反響はありましたか?
貫井徳郎氏: 反響自体はないんですけど、『微笑む人』は実業之日本社で出した電子書籍としては、漫画以外では一番売れているらしいんですよ。前例がないことをやってもらったので、そういう実績が残せたのは良かったと安堵しています。
作品に対する責任は作家が負うが、編集者は第一の読者であってほしい
―― こういった電子版を含めて、電子書籍が少しずつ普及していく中で出版社・編集者の役割というのがますますクローズアップされていくと思いますが、貫井さんにとっての出版社・編集者の役割はどのようなものでしょうか?
貫井徳郎氏: 難しい質問ですね。小説に対しての責任は、最終的には小説家が全部背負うものだと思っています。出来が悪くても、それを編集者や出版社のせいにはできない。でも、実際には編集者・出版社のサポートの質はすごく作品の出来を左右するので、いいサポートを得られると精神的には楽です。彼らの助けなしで書いていくのは、非常に怖いです。
―― 普段から二人三脚というような感じですか?
貫井徳郎氏: 僕はあまり相談をするタイプではないので、「こんな話を考えました」とポーンと出すだけで、二人三脚という感じではないですね。
―― プロモーションの部分が大きいでしょうか?
貫井徳郎氏: 出来上がってからは、もちろん助けていただきます。あと、執筆中の感想をちゃんと言ってくれる編集者と言ってくれない編集者がいるわけですけど、言ってくれる人の方が当然ながらすごく助けになります。「原稿頂きました。次回もよろしくお願いします」みたいな、そんな返事だけだと、こちらも事務的にしか仕事はできないですよね。さすがにそういう編集者は、最近はかなり減ってきましたけど。
新しい発見をするために、一歩下がって自分の可能性を探る
――今後どんなものを世に発信していきたいと思われていますか?
貫井徳郎氏: 『新月譚』と『微笑む人』は僕の中ではギリギリ、これ以上先がないところまで書いたという意識があるので、次に何を書いていいかどうしても見つけられなくて、それでスランプになっていたんです。仕方なく、いまは少し下がって、また違うところを目指しているという感じです。これまで誰もやっていないことをやりたかったんですけど、毎回毎回そんなアイディアは見つかりません。ですので、いま連載中の2作は少しハードルを下げて、誰もやっていないことではなく、これまで僕がやっていなかったものを書いています。
―― また読者は先生の新しい面が見られるわけですね。
貫井徳郎氏: そうですね。でも、あんまり極端に違うことをやっちゃうと、読者はわりと保守的だから拒否反応を示すんです。だから、拒否反応を示されない程度に新しいことをやっているつもりです。
――最後に、これから小説を書きたい読者の方へメッセージをお願いします。
貫井徳郎氏: 絵や音楽など、そういうジャンルは才能の有無が歴然としていると思うんですけど、小説は分からないんです。自分では判断がつかないですし、人が見ても分からない。急にうまくなることがあり得るジャンルなので。だから、あきらめたらそこで終わります。もし小説家になりたいなら、あきらめずに粘ることが大切ですね。
――粘ることが大切なんですね。
貫井徳郎氏: あとは、自分で才能がないなんて決めつけないで、むしろうぬぼれるくらいの気持ちで頑張ればいいんじゃないかなと思います。僕なんか、それこそ自分に才能があるとは思ってなかったんですが、小説家になれないとは全く考えなかったです。
――それを発掘してくれる方に出会うという運もすごく大事ですね。
貫井徳郎氏: はい。ただ、デビューするには運が大事ですが、デビューした後も大事です。運がないと生き残っていけないですから。デビューする運がないんだったら、まだそういう時期ではないということですよ。運がないのにデビューしても、その後がつらいだけです。僕自身の話をすると、デビュー作が10年後に突然売れ出したんです。別に改定したわけではなく、中身は何も変わってないのに10年たって売れ出したわけですから、これはまさしく運です。つまり、僕は10年たってやっと売れる運がめぐってきたことになります。でも、その10年間にあきらめていたら、そういう運は来なかったので、何事もしつこくやり続けることが大事だと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
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