プログラムが好き、絵が好き。色々な可能性を「捨てず」につないで、今の自分がいる
元プログラマーの経験を生かし、ライター兼イラストレーター兼漫画家として、絵に文章に漫画に、幅広くご活躍のきたみりゅうじさん。きたみさんに、漫画家となられるきっかけや読書履歴について、そして電子書籍について思うことをお伺いしました。
忙しい連載を終えて、今は単行本を中心に、「じっくり のんびり」の日々
――早速ですが、近況などをお伺いできればと思います。
きたみりゅうじ氏: 怠けているというかのんびりとしていますね。
――お仕事はどちらでされるのですか?
きたみりゅうじ氏: 自宅ですね。2年ほど前から資格試験とコミックエッセイの本を前後させながらやっています。最初にコミックエッセイを書く話が動いていたんですが、親しくしている編集の方から資格試験の本を急きょ頼まれて、そちらを先行させる計画だったんです。書いてみたら結構大変だったんですね。それで、途中で息抜きを挟まないと内容がワンパターンになってしまうので、コミックエッセイのほうに一回仕事を戻して、今はコミックエッセイを執筆中です。この後に資格試験の本が控えているので「早くしないとなあ」という感じですね。
――原稿の催促もありますか?
きたみりゅうじ氏: あまり皆さん催促はしないようにしてくれています。ちょっとした個人的な事情もあって、「好きなペースでやっていいですよ」って言ってくださる。前は連載をしていたので、締め切りとか仕事のペースをかなり気にしてやっていたんですけども、今はのんびりとやっていますね。
――プログラマー時代と比べたら時間の使い方が大きく変わりましたか?
きたみりゅうじ氏: 今は子どもがいるからそうですけども、子どもがいなければそんなに変わらないかもですね。プログラマー時代は大勢でわいわいやって楽しいみたいな感じだったので。
――編集者との連絡も、メールのほうが多いですか?
きたみりゅうじ氏: そうですね。ほとんどメールです。ただ、スケジュールや細かいことは直接会って話します。特にこっちが求めているわけではないですが、編集の方が、時間が開き過ぎないようにたまに顔を見せに来てくれて、話をして帰っていくという感じですね。
デビューさせてくれた編集者は「面白いものを見つけよう」と努力していた人
――本を出されたもともとのきっかけについて教えていただけますか?
きたみりゅうじ氏: 今だとTwitterやネットのほうに編集さんが顔を出してくれているので、かなりつながりやすいと思うんですけども、14、5年前は、まだネットも一般的ではなかったので、編集者というものは裏に隠れたものだったんですよ。だから最初はそういうところとつながりがなくて、自分のホームページのほうで4コマ漫画を書いていたりしたんですけども、それであるコンピューター系の著者さんが「自分のところに絵を描いてくれないか」って依頼をしてくれて、その人が知り合いの編集プロダクションの方に紹介してくれたんです。その編プロに行った時に、グラフィックソフトの解説書があって、その解説に使う絵を描いてくれないかという依頼を受けたんです。そのうちに、「もし文章も書けたら、そこの最後の作例部分だけ共著ということで書いてくれないか」と言われて、解説書を書いた経験はなかったんですが、プログラマーの仕事で設計書などはイヤっていうほど書いていたので、書けないことはないかなと思いました。そこで編プロさんが企画があったときに紹介してくれたりするようになって。そこで技術評論社の編集者を紹介してもらったんです。その当時は、『できるWindows』とかそういう本がすごく売れていた時期で、でもそういった主要な書籍は実績のある著者しか執筆ができない時代だったんですよね。それ以外の著者で企画を通すのは、かなりの変化球で企画を通さないといけないし、ものすごく苦労するんです。でもその編集さんは「面白いものを見つけよう」っていう方向に努力していて、その方が本の企画を通すのに協力してくださったんですね。今一緒にやっている技術評論社の編集者は、当時のその人の部下だった人で、その時からずっと一緒に仕事をしています。
――きたみさんにとっての編集者像というのはありますか?
きたみりゅうじ氏: 自分の場合は、原稿がページの形がそのままなのですけれど、レイアウトまで全部済ませたものを渡して、それにノンブルとかつけて本の形にしてもらうっていうのがほとんどなので、あまりデザイン的な要素とかそういうところで編集対応といった部分はないんですね。そうすると、編集の方が自分の作業をやりやすく周辺の地ならしをしてくれたり、良い人を連れてきてくれたり、社内の営業の方との橋渡しで「こういうものが求められている」とかの情報を持ってきてもらったりします。あと、自分の場合、一番重要なのが、最初の読者になってくれることなんですね。自分が書いたものを編集者に渡すとき、ページのイメージもできているので、もう印刷すれば本の形になるんです。それを最初の読者としての正直な感想を返してくれる人。それを「自分が作りたい本はこうだった」とか、「営業が売りたいのはこういう本だ」とかじゃなくて、「作品として良いか悪いか」という感想を素直に返してほしいですね。特に書き初めのころなんて、「自分の本は自分のものだ」っていう気持ちが結構強かったので、どうしても自分の納得の行く「自分が好きだ」っていう本を描きたいという気持ちが前に出ちゃったりするんですよね。僕もカバーとかも自分でデザインしたいと試みていた時期があって、そのとき編集者は露骨に営業さんの側に立ちましたね。自分の意見としては、本のタイトルをデカくしてそんな下品にするのは嫌だと思いましたけれど、そこは営業の声として「書店に並べる感触として、洒落ている必要は全然ない、どんと押しの強いほうがいい」という意見を絶対に譲らなかった。今は営業の意見を聞いて良かったと思いますよ、「そりゃそうだな」って。
子どもの頃の読書はベーシックなものだった
――子どもの頃の読書について教えていただいてよろしいですか?
きたみりゅうじ氏: 小学校のころは読んでいましたけども、中学校以降はお金がないじゃないですか。図書館に通うのも面倒くさくて、あまり読まなくなりましたね。ただ活字は好きだった。コンピューターもバイクも好きで、でも両方手元になかったんです。だからそれ関係の雑誌を買ってきては、広告ページまで含めて最初から最後まで一言一句余すことなく全部読みましたね。今だったらネットがあるので活字は常にあふれているじゃないですか。だからあんまりそういうのは感じないですけども、昔はなんせ読むものが欲しかったのでそういうのは読んでいた記憶がありますね。
――小学校のころはどんなものを読んでいましたか?
きたみりゅうじ氏: 『シートン動物記』(集英社)や『ファーブル昆虫記』(集英社)、ギリシャ神話などですね。全部子ども向けの本でしたけれど。
怠け者だったから、コンピューターが好きだった
――そこからどうやってコンピューターの分野へ進まれたんですか?
きたみりゅうじ氏: コンピューターはもともと好きだったんです。小学校の時に自分の兄貴が親にコンピューターを買ってもらって、FMNEW7(1984年発売)というパソコンだったんですけども、ゲーム機として遊んでいて、プログラムを打ち込んで遊んだこともありました。プログラムって簡単だなって思ったのは大学の時ですね。僕は大学へ行っても単位取るギリギリくらいしか勉強をしなかった。でもプログラムの授業があって、それは勉強しなくてもできたんですよ。BASICで三角形書いて、これを左から右に動かしなさいっていうのをコードで書けっていう課題があったんです。その課題を、自分より賢いやつらがみんなうんうん言って悩んでいるのに、自分は悩むことなくぱっとできた。&を論理回路につなげて、特定の出力を求めよとかそういう試験も勉強しなくてもできたんです。「これは簡単だな、楽しいな」と思って。もともとゲームもコンピューターも好きだったので「コンピューターが欲しいな」ってずっと思っていたんです。当時は高かったので買えなくて、絵を描くのは好きだったんですが、勉強嫌いと同時になんせ怠け者だったので、絵を描くために道具をそろえるのが面倒くさかった。それに、お金もかかるじゃないですか。油絵とかをやってみたいなと思っても、道具代でお金がかかるし、それを広げる場所もいる。広げたあと片付けなきゃいけないし、なんて面倒くさいんだろうと思って全然ダメだった。でもコンピューターだとそれが全部できちゃう。そういう意味でもコンピューターが好きだったんですよ。
――文章もパソコンでお書きになりますか?
きたみりゅうじ氏: 文章を書くのも好きだった。でも消して書いてがやっぱり面倒くさかったんです。原稿用紙にばーっと書いて「ああ、なんか違うな」と思って「ここを描きなおしたら入りきらないから」っていうのはなんか面倒くさい。でもパソコンがあったらそれもできる、パソコンがあれば全部できるんだなって思ってました。それとプログラムが簡単で楽しいなというのがあわさって、就職の時にコンピューター関連の会社に就職したんです。そもそも自動車関係のほうに行きたかったんですけども、成績が全然ダメで推薦もダメで、そもそも就職口がバブルがはじけてへこんでいるときだったのでありえなかったんですよ。
「自分のせいにしない」ことが成長のポイント
――プログラマー時代に経験されたことを、作品に昇華するっていうのは大変なことだと思うんですが。
きたみりゅうじ氏: もともと怠け者だったから、いい加減ちゃんとしないとというのがあったし、いい加減にちゃんと勉強しなきゃというのがあって、それで就職してやっとこれでお金を稼ぐことに集中できると思ったんです。大学の時って食費も稼がなきゃいけないし、課題もやらなければいけなかった。なんせまじめでなかったから、大学も勉強させてもらっているっていう感覚が全然なくて、大学を卒業するという資格を取りに行くためと、親の手前大学は行かなきゃという、本当にそれだけだったんです。さっさとそこから抜けてお金を稼ぐことに集中したいなというのがあった。それでやっと就職してそこに集中しようっていう意識があった。もともと情報系じゃないので予備知識が全然なくて、研修を受けても「ファイルって何?」「ディレクトリって何?」という感じだったので、教育係はそれを相手するほうが大変だったでしょうね。そこで3人新卒で一緒に入ったメンバーがいて、一人は結構人のせいにしてしまうタイプで、「研修ってもっとちゃんと教えてくれるんじゃないの?」と言っていた。でも自分ともう一人は「いやそれは違うだろう」というタイプだった。それで、最初3年くらいは「全部自分の責任にしてみる」ことにしてみたんです。3年ぐらい経ってからは、徐々に「これは僕のせいじゃないんじゃないか」と思うことも少しずつ解禁していきましたけども
――今もんもんと新卒3年目で悩んでいる人に対して、きたみさんからのアドバイス的なものをいただけますか?
きたみりゅうじ氏: 今は結構楽だと思うんですよね。自分たちのときって、外の声が入ってこなかったんです。今なら同業者の知り合いも作りやすい。だから情勢が違うので、「自分のときはこうだったよ」っていうのはあまり参考にならないと思います。ただひとつあるとすれば、「人のせいにしない」、ということですよね。それで自分が抱えこんでしまう問題のほうが大きくなったら「多少は人のせい」というのも考えていいと思いますが、とにかく人のせいにしないことが大切ですね。あとは、色々経験したことは無駄じゃないと思うことぐらいですね。大体同級生で就職して落ちてくだけになっている人は、大体会社のせいにしているし、自分の経験したことを無駄扱いしているんですよね。「お前はプログラマーだから、手に職があるし、絵が描けるからいい」とか言われるけれど、その人も自分の職業で身につけた何かがあるはずなんです。でも「俺は何もできないし」とか言っている。自分の持っているものを全部否定して、そのスキルをどう使えるかということを考えない。必ず、何かしらその業界でしか知りえないことがある。色々なことを自分の責任として考えていけばわかることもあるんです。もしその職業に本当に得るものがないならば、「得るものがなかった」というその反省を生かして次の職を考えればいいと思いますね。
電子化して読んでもらえるのはうれしい。手持ちの漫画を自炊するのはちょっと面倒くさい
――電子書籍についても伺いたいと思います。読者の方が、本を裁断して電子化していることについて何かご意見はありますか?
きたみりゅうじ氏: それはありがたいことだと思いますね。装丁家の人だと丹精かけて作ったのをバラバラにされるのがイヤっていうのはあるかもしれないですけども、自分はそういう抵抗は全くないですね。
――きたみさんご自身で電子書籍の利用はされますか?
きたみりゅうじ氏: 自炊は自分の手持ちの漫画とかでしたりしていますね。これは面倒くさいですね。でも古い本って黄ばんでくるじゃないですか。あれをスキャンすると黄ばみがなくなる。それで逆にきれいになって保存版ができるので、そのコンバート自体がすごくいいと思っていますね。
――読むデバイスは何を使われていますか?
きたみりゅうじ氏: 今はiPadですね。本当はKindleで読みたかったんですけども、どうしても解像度が上がっていかないし、反応速度も遅目なので、そういう意味でiPadを使っているんですけども、やっぱり目が疲れますね。主に漫画本を読んでいます。
今は色々計画したことが終わりにさしかかる時期。
――最後にきたみさんの今後の展望を教えていただけますか?
きたみりゅうじ氏: 今約束して書かなきゃいけないものはあるとして、その後って完全に未定なんですよ。自分のクセとして一回ばーっと考えて計画を決めたらまず、それを最後までやってみて次を考えるっていうのがある。今はやってみて終わりぐらいの時期なんですね。そうすると全部吐き出しきったことになっていったん空っぽになっちゃうので、今は趣味や遊びなど好きなことをとにかくやって、自分が次に何を出したくなるのかを様子を見ています。そうしながら、それとは関係のないところで解説書とか「こういうのをやらないか」というお話をいただくことはあるので、そういうお仕事をしながら、色々と考えていこうかなと思っていますね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 きたみりゅうじ 』