僕はよく、「若者代表としての日本人論」みたいなものを語ってほしがられるけれど、そんなことには興味ないんです
IT企業経営を経て、NPO法人フローレンスという病児保育のシステムを立ち上げ、今や社会起業家のパイオニアとして国からも活動が注目されている駒崎弘樹さん。今回は駒崎さんに、その思考を作った幼少期からの読書について、また電子書籍についてのお考えを伺いました。
フローレンスの取り組みは「病児保育」から「おうち保育園」へ
――早速ですが、駒崎さんの最近のお仕事や活動のご紹介をいただけますか?
駒崎弘樹氏: はい。僕は認定NPO法人フローレンスを運営していまして、フローレンスは子どもが熱を出したり風邪をひいたりした時に保育園に代わってお預かりする「病児保育」というものを行っております。そのほかの活動として、「おうち保育園」という小さな保育園を都市部に作るという活動もしているんですよ。今、女性が子どもを持って働くにあたって必要不可欠な保育園が足りません。その理由としてはこれまでの保育園、認可保育園というのは、子どもが20人以上いないと認可されなかったからなんですね。しかし20人以上の大規模な保育園というのは都市部では作りにくい。だから、都市部に待機児童の8割が集中しているという状況を打破していくために、小さなマイクロ保育園というのを作ったらどうだろうかと。そこで3LDKのマンションであるとか、一軒家を改造して保育園にし、定員9名もしくは12名の小さな保育園を作ったんです。大規模な保育園を作る物件や場所はないけれども、小さな園を作っていく空き家だったらたくさんあるということで始めました。そして今回その試みが国の政策にも「小規模保育」の創設ということで反映され、これまで大きな保育園しか作らずに待機児童問題というものを生み出してしまったという状況から、小さな園を無数に作っていくというような形で、国の制度を変えることができました。そういったような子どもの問題を解決することを通じて、子育てと仕事の2つとも両立できて当たり前だという社会を作っていくのがフローレンスの使命です。
――このお仕事をされるようになったきっかけについてお伺いできますか?
駒崎弘樹氏: はい。フローレンスを始めたきっかけですが、私の母がベビーシッターをしておりまして。その母のお客さまに、双子のお母さんがいらしたんですね。それで、彼女の子どもが熱を出した時に、会社を休んで看病したら解雇されてしまったということがありました。その話を聞いて、「ああ、子どもが熱を出すなんて当たり前だし、親が看病してあげるというのも当たり前のことなのに、それで職を失うような社会に自分は住んでいたのか」ということに気付きました。それで、この問題を何とかしたいと思ったんです。子どもが熱を出しても当たり前に社会が支えられ、そして子育てと働くことを両立できる社会を作っていきたいという風に思いまして、このフローレンスを立ち上げました。
厚生労働省にフローレンスのビジネスモデルをまねられた苦労
――立ち上げてから今まで、苦労されたことなどはありますか?
駒崎弘樹氏: これまでの病児保育というのは、主に国が小児科の隣などで行っていたんですね。それは国が小児科に補助金を出して、小児科医が小児科の中に小さな部屋を作って、そこで子どもを預かる施設型だった。ただ、われわれの方式は「非施設型」といって、熱を出した子どもの家にスタッフが行って保育する仕組みだったんです。その非施設型、訪問型の仕組みを厚生労働省がヒアリングをしに来たんですけれども、2時間ヒアリングをして、その後、勝手に厚生労働省の政策にしてしまったんですね。厚生労働省が全く同じことを「全国でやります」ということを言い始めまして、われわれは非常にショックを受けたんです。自分たちが汗と涙で苦労して考えた仕組みにも関わらず、厚生労働省がたった2時間のヒアリングでそれを真似してしまうなんて、信じられなかったんですね。
――それはびっくりしますね。
駒崎弘樹氏: 最初は非常に憤ったんですけれども、よくよく考えてみると「これは世の中を変える近道かもしれない」と思ったんです。つまり何か社会的課題があっても、自分たちが全国でいきなり解決するというのは難しい。けれども、ある地域において成功モデルを作って、それを国に真似してもらえば、国が全国に広めてくれる。そして困った人たちを助けてくれる。それならば僕たちは、社会問題の答えを小さくてもいいから生み出せばいい。それを模倣可能な形でオープンにすることによって、社会の課題というものを解決できるんじゃないかと考えました。最初は逆境だったんですけれども、よくよく考えてみたら、これはヒントだなと。
――フローレンスのサービスは、今では23区内だけではなく、千葉・神奈川にもですね。やはり国が参加したことによって、社会的な認知や変化は感じられますか?
駒崎弘樹氏: フローレンス以外でも、訪問型病児保育を行うところは出てきていますし、また、われわれはそれを育てるというような意識で、ノウハウというのをどんどん提供しているということがありますね。
オススメ本は、ヴィクト―ル・フランクルの『夜と霧』
――それでは、本にまつわることを伺います。幼少期からの読書経歴を伺えますか?
駒崎弘樹氏: 僕は本が好きなんですよ。今でも「ご趣味は何ですか?」と聞かれると、「読書」と答えるんです。小さいころから本を読むのが好きなんです。たぶん本の蓄積というか、様々な本からのエッセンスが、自分という自己の人格を作って来たと思っています。好きな作家はもちろんいます。1つは、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(みすず書房) という本ですね。池田香代子さんが訳した新訳というのがより原作に忠実なので、そちらをオススメしたいです。『夜と霧』はどんな話かというと、フランクルというユダヤ人の精神科医であり心理学者だった人が、ナチスのユダヤ人大量虐殺の時に、強制収容所に移送されて受難の時を過ごすわけです。彼は運よく殺されずに済むんですが、彼の親族や妻は虐殺されてしまう。その地獄のような状況の中で、彼はどのように自分の人生を見つめたのか、どうやってその危機を乗り越えられたのかというのをつづっている珠玉の本なんです。僕がその本で学んだことは、「われわれは人生に何かを期待しがちである」ということですね。つまり生きていれば良いこともある、良いことが降って来てくれると考えがちだけれど、本当はそうではないと。われわれは人生に試されているんだと教えられました。『夜と霧』の文中に、「人生そのものに対してわれわれがどう振る舞うか、どうあるかというのを期待されているんだ」という表現があってですね。それはまさに人生観の革命的転換であったなと。人生から、いかにおいしい果実を得るかということではないんだなということを、本から学ぶことができたという意味では、僕は『夜と霧』という本が大好きですね。
――今でも読み返したりされますか?
駒崎弘樹氏: はい、永久保存版です。
――『夜と霧』を、読まれるようになったきっかけは何かございますか?
駒崎弘樹氏: 大学のころの授業で、その本が課題図書だったんですが、その時の先生は福田和也というプロの評論家の方で、彼が現代文学・近代文学を教えてくれたんです。当時は読まされたという感じだったのですが、読ませてくれてありがとう、と心から感謝したいです。
執筆はいつもカフェで。店員さんに「何のご職業で?」とたまに怪しまれる
――執筆活動についてもお伺いしたいと思います。普段はどちらでご執筆をされますか?
駒崎弘樹氏: 僕は自分の本は全部自分で書いていて、口述筆記というのはしてもらったことがまだないです。対談本だけはライターさんに書いてもらっていますね。最初は何で自分が書いているんだろうという感じだったんですけど、結果としては、よかったかなと思っています。家の中だと集中できないので、カフェなどで書いています。だからカフェの人からしたら、「この人、何者なんだろう?」って思うらしいです。「何のご職業なんですか?」って聞かれたこともありますね(笑)。あまりにも入り浸ってパソコンを打っているので。
――本の構想はどのように練られるのですか?
駒崎弘樹氏: 話の流れの構成とかは、メモに書いて、それでなんとなく構成ができたら、それをバーッと落とし込んでいくというようなことをしています。原稿ができ上がるまでは、毎週毎週書いて、やっぱり半年くらいはかかりますね。
――資料などはどのよう購入されてますか?
駒崎弘樹氏: Amazonで資料を買ったり、あるいは図書館で借りたりという感じですね。書店もすごく好きなんです。Amazonとかは自分の目的意識を持って買うんですけれども、書店さんの場合は、意識の外にあったものが飛び込んでくるというような空間だと思うので、新鮮だし好きですね。僕は自分で本を出してから、書店さんとの関わりが強くなりました。書店さんに置いていただかないと売れないし、いつも書店さんに行って、頭を下げてます(笑)。「著者です。置いてくださってありがとうございます。」って感謝の気持ちを伝えています。そういう意味でいいパートナーですね。
著書一覧『 駒崎弘樹 』