生き方もハードボイルド 前だけを見て物を書くノンフィクションライター
自動車業界のすご腕の営業マンからタクシードライバーに転身して、硬派なノンフィクションに挑む若宮健さん。物議をかもしながらも、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』をはじめとする体を張ったパチンコ業界の取材で一躍有名になりました。「体は40歳、心は20歳」の若宮さんの鍛え抜かれた肉体の秘密や本にまつわるエピソード、仕事に対する熱い思いを伺いました。
最初の1冊目、持ち込み原稿がいきなり
――若宮さんの最初の『タクシードライバーほど素敵な商売はない』(エール出版社)という作品は、タクシー運転手をされていたときのご経験を書かれたんですか?
若宮健氏: タクシードライバーをやっていたので、タクシーをテーマにしたんですよ。最初の1冊目は8割、運ですね。だって、いきなり持ち込み原稿がすんなり、「じゃあやりましょう」と本になったんですから。ツイていましたね。普通は持ち込み原稿が一発で決まることは、まずないですね。たまたま紹介者がいたんですけどね。僕が昔、車の営業マンをやっていたころの知り合いで、ホンダの本社の開発部にいた男なんですが、社長と喧嘩して辞めちゃって、『告発自動車業界』(エール出版社)という本を出して、自動車業界を告発したんですよ。当時、輸出用の車は安全基準がうるさかった。そっちは完璧に作っていたのに、国内向けの車の品質を落としていたという内幕を書いちゃったんですよ。高岡章雄という人ですが。
――またすごいことをしましたね。
若宮健氏: 大企業ってとこは本当に怖いですよ。彼も探偵に尾行されたり、危ない思いもしたようで、結局退職の理由は「精神に異常を来したからだ」なんてでっちあげられたりね。僕が産経新聞の投稿のコーナーに3回採用されたのを、たまたま彼が読んでいて、「あんたも本を書けよと」と言うので、「いや、だけどネタをどうしよう」と言うと、「せっかくネタを取るためにタクシーに乗っているんだから、タクシーのネタで書けばいいんじゃないか」と。だから安易な発想ですよ。それで書きました。当時はWordもまだできなくて、手書きで250枚書きました。で、その高岡さんの紹介でエール出版社に原稿を持って行ったんですよ。
――飛び込みで持って行かれたんですか?
若宮健氏: いや、彼が社長に電話しておいてくれたんです。で、たまたま行ったら社長がいて、僕の原稿をパパパッと見て、「いいでしょう。いきましょう!」ということで、出してくれることになった。結局、僕は運が8割だったと思いますよ。
――その運をつかんだんですね。
若宮健氏: そうですね。運は、プラス思考の人間にしか来ないですよね。マイナス思考の人間には運が来ない。僕は今でも、電車に乗って座るところがなきゃ、「これは体を鍛えろということだ!」と思って、喜んで立っています(笑)。そのあと、パチンコネタで書いたのが2006年。『打ったらハマるパチンコの罠―ギャンブルで壊れるあなたのココロ』(社会批評社)という本ですが、そのときは、出版社を10社回りました。みんな、このテーマには驚いたと思いますね。
――これはちょっとネタにはできないって思いますよね。
若宮健氏: ええ。「これを出したらわが社もやばくなる」と。10社目で社会批評社っていう会社の社長が、「よし、やりましょう」と。それが始まりだったんですよ。そのあと、パチンコでパート1、パート2と出て、祥伝社で『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』という本も出しました。脅しのメールが来たりとか、これは、いやもう色々ありましたね。色々おつきあいする中で、出版社がどういう姿勢で本をつくっているかがわかってきました。著者を守るかどうかという点も含めて。業界の脅しに屈しない硬派の編集者もいれば、腰がひけている人もいます。
――危ない目にも遭われましたか?
若宮健氏: もちろん脅しのメールも来ますけど、関心ないですから、全て迷惑メールにぶち込んでしまいます。出版社は、きわどいテーマでも、いったん完成した以上は、度胸を据えて正面から向かうべきですよね。『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』では、韓国を徹底的に前面に出して書くべきだということで出版社も了解して書いた本だったんですけどね。変なブロガーみたいな人がネットに投稿したり、ずいぶんとたたかれました。その後僕は、『カジノ解禁が日本を滅ぼす』(祥伝社)も出したんですけど、それにも書き込みをされました。だから、僕は業界の人間とは絶対会わないんですよ。探偵事務所の取材も受けません。
カーディーラー、損保の代理店、そして物書きへ
――作家になられる前にも、色々なお仕事を経験されていらっしゃいますが、ジャーナリストになられたきっかけは、98年のフジの連載ごろからですか?
若宮健氏: 以前はトヨタのディーラーで新車1000台売らせてもらったんです。そのきっかけが、ヘミングウェイなんですよ。「飼いならされた羊として百日生きるよりも、1日をライオンとして生きなさい」という言葉を読んで、心をかき立てられた。「よし、1000台売ってやろう、売ってみせるぞ!」と。
――当時はお忙しかったんじゃないですか?
若宮健氏: もともと営業マンっていうのは、とにかく家に帰るのが遅いでしょう。当時は、手形の作成から不渡り回収から全て営業マンがやっていました。今のようなクレジット的なものもなかったので、「マル専手形」というものを銀行から発行してもらって、それに金額を入れお客様のところへ持参して印鑑をもらう。会社ではそれを割り引いて使うわけですよ。今の営業マンより仕事が倍くらい多かった。だいたい10時前に帰ることがなかったですね。それで、家に帰れば女房によく言われたのが、「風呂、飯、寝るしか言わないで、ただひたすらに本ばかり読んでいる」と。今、たまに営業マン向けの講演もやらせてもらっているんですけども、「営業の成績をあげたかったら本を読みなさい」って言うんですよ。「なんでもいい、ビジネスにこだわることはない。雑学でもなんでもいいから読みなさい。本を読む癖をつけなさい。」ってよく言うんですよ。だって、本を読むことによって自分が体験できないことを知ることができる。それだけでもいいですよね。
――忙しい中でも本は読まれていたんですか?
若宮健氏: はい、そのころからもう本だけは絶対に欠かさなかったです。いくら忙しくても、マージャンをやっても、酒を飲んでも、本だけは手放さなかったですね。そのあとは、損害保険の代理店をやったんですよ。車を売っていましたから嫌でも損保はつきもので、資格を持っていましたから。そうこうしているうちに、面白くなくなってしまって、結局撤退しました。
――そこから物書きの道に入っていかれたんですね。
若宮健氏: もともと本が好きでしたから、とにかく物書きになれればいいなと思っていたんですよ。どうせ事業は失敗したんだから、人生二毛作三毛作で、「よし、物書きに挑戦してみよう」思ったんです。「これは、神様が与えたチャンスだ」と。それでタクシードライバーに挑戦したんですよ。
――タクシードライバーを選ばれたのはなぜですか?
若宮健氏: あれがまたいい仕事なんです。ネタが入りますでしょ。しかもただです。そして色々な人と会えます。やくざから政治家まで、ただで会えますから。横浜で乗っていたころには、昔の社会党の代議士さんと2回会いました。偶然2回も僕の車に乗られたんですよ。いや、不思議でした。タクシードライバーっていうのは、一石三鳥くらいあるんですよ。だから物書きを目指す人はタクシードライバーをやるべきだと思いますね。ネタが入って、人に会えて、小遣いも入る。
著書一覧『 若宮健 』