インパクトのある本は、社会に『風』を巻き起こす
経済学者の橘木俊詔さんは、多くの著作で、経済学の観点から読者に様々な社会的イシューを提示し続けています。特に、2006年に出版した『格差社会 何が問題なのか』では格差社会に警鐘を鳴らし、広範な議論を生みました。そんな橘木さんに、学者になるきっかけとなったアメリカ、フランスへの留学体験、執筆スタイル、書籍、出版の未来、日本経済の行方などについて伺いました。
ゼミ合宿で論戦に備える。『飲み』交流も楽しみ
――まずは先生の普段のお仕事や、近況についてお聞かせいただけますか?
橘木俊詔氏: 基本的には研究と、大学の教員ですから教育が2大イベントです。研究という方面では私の研究を色々な形で書物や論文として出版すること。教育に関しては、大学教育はやっぱりゼミが非常に大事ですので、ゼミの学生と滋賀県の北で合宿をやります。合宿の目的は慶応義塾大学とインターゼミをやっておりまして、そのインゼミで発表する論文をこちらでたたいて、それをもって慶応のゼミと一日戦うということです。
――今は最後の準備期間といったところでしょうか?
橘木俊詔氏: そうですね。学生は一番忙しいと思います。でも非常に楽しんでいましてね、京都の学生だから東京を知らない。だからそのインゼミが終わった後は翌日ディズニーランドに行くとかね。そういう計画をしているようです。学生20人位で行くみたいです。私はディズニーランドには行かず、夜に慶応の学生さんと飲み会をやりますので、皆とても楽しみにしています。
思考回路は手書きとリンク。橘木式執筆法
――お仕事のスタイルについてお伺いしたいんですが、普段、執筆はどのように行われていますか?
橘木俊詔氏: 私は基本的には研究室か自宅が執筆の場所です。原稿はやや特殊な形式を取っております。自分でもメールやインターネットもやりますし、入力もできるんですけれど、まず手書きで書きます。その原稿に矢印で「ここに何を入れる」とかを指示して、秘書の方がばっと打ってくれる。これはもうびっくりする位速いスピードで打ってくれますからね。その入力した草稿を私が徹底的に修正するという方法にしています。その方が私にとっては効率的なんです。私の世代は若い時からずっと手書きなので、ここ10年20年インターネットが出てきて皆キーボード入力になりましたけれど、それをいきなりパソコンに変えるのはなかなかしんどい。出版社も手書きで送られると困るでしょうから、秘書の方に入力をお願いしていますね。
――最終的な入稿まで手書きではないと駄目だという作家さんもいらっしゃいます。
橘木俊詔氏: 小説家はそうかもしれませんけどね。われわれは経済の本ですから、そんな小説家のような色々な言い回しで複雑に書くことはない。手書きのままで出版社に出すのは失礼だと思うから、送る時はもうデータで送ってます。
――先生が最初に手書きで書かれているのは、原稿用紙でしょうか?
橘木俊詔氏: お見せしましょうか。これ今ちょうど私が終えたものです。一つの原稿がこんな分厚い。これ今一生懸命打ってもらっているんですけどね。これは自伝なんです。ある出版社から自伝を書きませんかと言われていて。自伝となると昔のことを色々思い出しながら書きますからね。
――鹿児島県のご出身なんですね。
橘木俊詔氏: そう。薩摩隼人。でも生まれは兵庫。おやじとおふくろが鹿児島出身で、関西で生活していましたから。そこで私が生まれたという訳で。
――橘木という名字は、鹿児島の方の名字なんでしょうか?
橘木俊詔氏: 鹿児島って変わった名字が多いでしょう。橘(たちばな)ならまだいいけどね。木が余分じゃないですか。「気」が多いって言ってるんですよ(笑)。だから私は時々外国に行った時は、「私の名前は非常に高貴な名前で、しかも京都出身だから公家だ」という冗談を言ってですね、最初びっくりさせたりするんです。
――自伝はいつごろ出版されるんですか?
橘木俊詔氏: 来年だと思いますね。
――やはり実際に書かれているものを見ると迫力がありますね。手書きの方が思ったことがすらすら出てきたりするのでしょうか?
橘木俊詔氏: そうなんです。自分の本はもうこういう形でしか書けない。思考回路があるからそれを突如として変えるのは不可能ですね。
――執筆に入る時はガッと一気にお書きになるのですか?
橘木俊詔氏: ガッといく方ですね。私は割合書くのは早い方です。もう思いつくままに書いていくっていう感じです。
アメリカ、フランス。学究の道は「世界放浪」
――先生がなぜ学問を志したのかを、学生時代くらいからお聞きしたいと思います。
橘木俊詔氏: 私は神戸の灘高校出身なんですが、落ちこぼれなんですよ。灘高では駄目で、北海道の小樽商大というところまで逃げていった。だから放浪ですよ。でも勉強はもともと嫌いじゃなかった。やっぱり灘高へ行こうというから、そうそう成績は悪くなかった。勉強に向いているという訳で学者を目指したというのが私の人生です。それから世界の放浪が始まってアメリカに行った訳です。
――ジョンズ・ホプキンス大学ですね。
橘木俊詔氏: ジョンズ・ホプキンス大学でPh.D(博士号)を取ってまた放浪が始まって、フランスへ行ったんですよ。フランスに4年いて、日本に帰ってきてずっと大学にいるというのが私のキャリアです。
――放浪という言葉を使われましたが、フランスやアメリカへ渡ろうと思ったのは、どのようなきっかけでしたか?
橘木俊詔氏: 放浪というと、ポジティブな意味とネガティブな意味がありますね。小樽商大へ行ったのはもう完全に「逃げたい」という感じだった。ただフランスやアメリカはへはやっぱり行きたかったですね。これは自分で行きたいと思ったから必死になって英語をやったりフランス語をやったりしたんです。フランス語は行った時はできなかったですけどね。フランスという国はフランス語ができなかったらもう生活できないところなんです。英語をしゃべってくれないんですよ。彼らはフランス語が世界一きれいだと思っているからね。英語なんか野蛮人のしゃべる言葉だと思っていますからね。
――今でもフランスへはよく行かれているのですか?
橘木俊詔氏: 今は外国は行きません。30代、40代、50代の時は毎年行っていましたけどね。
著書一覧『 橘木俊詔 』