〈素粒子〉と〈心〉の真ん中
――幼少期は、どんなお子さんだったんですか?
本川達雄氏: まあ、変わった子どもでしょうね。本は好きでよく読んでいましたよ。バイオリンも一生懸命弾いていました。音楽も好きでしたね。
――ご出身は仙台ですか?
本川達雄氏: 高校まで仙台にいて、その後東京に出てきました。僕は昭和23年生まれ、団塊の世代ですからね、高校1年のときが東京オリンピック。子どものころにはまだ空襲の焼け跡があって、おやつなんておふくろが作ったものぐらいしかない。成長するうちに、世の中がうゎ~って豊かになっていった。高度経済成長期で就職は引く手あまたでした。ものをたくさん作って売ろうという時代でしたから、工学部なんて学生定員が倍増しました。どんどん生活が豊かになって、行け行けどんどん!でしたよね。そのころは将来に何の心配もなかったんですが、その辺が僕は少し変わった子で。「これ以上豊かにならなくてもいいんじゃないの?」という気がしていたんです。だから、僕一人ぐらい、お役に立たないことをやってもいいのではないかと思ったわけ。
数学の得意な子はみんな物理や工学系に行き、物作りをめざしましたが、僕は行かなかった。お役に立たない学問を学ぶのは文学部か理学部しかない。僕は、本はたくさん読んでいました。でもね、あの当時、文学部っていうとどこか自己破滅型じゃなければいけないような気がして。僕はもう少しまっとうな人間だからって文学部はやめました(笑)。そうしたら理学部しかない。理学っていっても、数学・物理・科学・生物・地学とあるわけですよ。数学は、どう考えても僕にはできない。理科系で頭のいい子は、みんな素粒子に行ったんです。湯川秀樹さんや坂田昌一さん、ああいう人にあこがれて。でも、あれはやはり天才か大秀才が行くところ。僕はそんな天才でも大秀才でもなかった。それに、素粒子なんていうのは、イメージがわかないんですよね。だって目に見えないし。原子や分子や素粒子で全てのものができていますっていわれて、じゃあ、自分のことを理解しようと思ったときに、素粒子や分子で自分が理解できる気がしなかった。「自分とは何か」と、そういうのが好きだったから(笑)。そういう人はだいたい文学部に行くんだけど、じゃあ文学部で何をやっているかといえば、「心」とかそんなことばっかりいっている。それはそれで、「心だけ見ていて世界が分かるのかなぁ」と思ったんです。
世の中、素粒子の世界と、心の中ばっかり見ている人たちと・・・。基礎的な科学として真ん中がないんですよね。生物や、もっと目に見える世界のことから世界を眺めたら、自分のことも分かってくるのかなぁという気がして。なら生物学かなと考えて、理学部の生物学科に行っちゃったわけです。動物学教室に入ったんだけど、僕、動物好きではないんです。特定の動物を好きというわけではないから、何かの動物にのめり込むということも全然なかった。でもやっぱり動物の世界にどっぷりと一度は浸かってみないと、まともな動物学者になれないだろうなって思いはあったんです。それで、30歳のときに沖縄に行きました。海の動物で一番多様な生物がいるのはサンゴ礁なんです。色々な動物がいるところでどっぷり浸かったら、動物が好きでなくても、それなりの動物学者になれるのではないかと。とにかく世界を理解することに役立つようなことをしたかった。物質的な豊かさはもういいから、みんながそっちばかり見ているから、そうではない世界をやれたらいいなと思ったんです。
――どんな世界が見えましたか?
本川達雄氏: ほかの人とは違う立場に立つ。世の辺境に立って、そこから世の中の動きを見る。すると違った見方ができる。理想の科学だと物理学者がいうのは、数式一つで書き表せるようなものですよ。ところが生物なんて、百万、千万種といて、全部違うでしょう。その一つひとつの種が彼ら独自の世界を作っているわけです。僕は、それはすごく大事なことだと思うけれども、そんなゴチャゴチャしているものは科学ではない。科学とは、その中に共通する大原理を見つけること。その共通の大原理が、生物の場合は遺伝子なんです。物理でいう素粒子に対応するものは、生物では遺伝子という分子。もしくは細胞。そういう細胞生物学や分子生物学を研究するのが、偉い生物学者だということになっています。
――本川さんもナマコの研究では世界的権威です。
本川達雄氏: 「ナマコの仲間しか持っていないキャッチ結合組織というものを理解すると、ナマコ独自の世界が見えてくる」、これが、僕の研究。でも、そんなのナマコだけの話でしょう。普遍性なんて何もない。そういう科学は三流の科学で、評価されないんです。僕はナマコの世界の研究者としては大変偉いと思いますよ。でも、それで終わってはいけない。ナマコの世界に身を置いて人間の世界を見るとどう見えるか。そこまで行かなければ人間とのつながりが出て来ないし、公務員としてお金をもらうわけにはいかない。単なるナマコフリークでおしまいになっちゃうでしょう(笑)。
――そういうお気持ちでナマコの研究を始めたんですね。
本川達雄氏: ナマコが好きだったわけではないんです。ほかの人とは全く違った立ち位置を持ちたかった。沖縄へ行ったのにも理由があります。沖縄は、日本の中ではある意味で辺境なんです。沖縄にいると、日本国が見えてくる。日本は世界から見れば、辺境なわけです。『ゾウの時間ネズミの時間』にも書きましたが、島というのはどういうところか。島に対比するものは大陸です。今の文明は大陸の文明です。中国もアングロサクソンもみんなそう。対して、僕たちの発想は、ちまちまとした島の発想。日本が非常に島的だなというのは、もっと小さい島である沖縄に行くとよく分かる。それを元に今度は世界の大陸と、島の違いを見ると、文明の形の違いが見えてくる。ナマコなんて脳みそがない、特別な感覚器官もないんです。そういう動物の世界から見ると、脳みそがこんなに発達している人間の世界が対比できる。少し違った世界の見方ができるわけです。
普遍性がないといわれますが、特殊な立場に立ってもう一度普遍を見直すと、少し違うものが見えてくる。普遍性、共通性、グローバリズムがいいって、みんなそういう。それが、少し行きすぎているような気がして・・・。僕たちは遺伝子で生きているわけじゃない。普遍性で生きているわけじゃない。個別のものとして、個人として存在するわけですね。同じ人間という種だって顔つきはみんな違うんですから。具体的なものは全部個別なんです。個別のものこそが、僕たちが手に触れ、感じられるものなんですよ。普遍なんて、感じられないんです。遺伝子も素粒子も目には見えない。普遍というのは、僕たちの実感にはないものなんです。そういう実感できないものを正しい正しいといって、個別のものを軽く見て共通性ばっかり重要視している。個別のものを大事にしながら、それをちゃんと普遍につながるようにする、そういう立場が大切じゃないのかなっていうのが、僕がずっとやってきたことです。