「日出る国」のマネジメントを世界に発信したい
石野雄一さんは、気鋭の企業財務コンサルタント。経営者に直接意識変革を促すスタイルで、高い成果を上げています。また、難解なファイナンス理論をわかりやすく解説する手腕には定評があり、執筆したファイナンス入門書はロングセラーとなっています。石野さんに、銀行員時代、アメリカに留学しMBAを目指した際のエピソード、本の執筆法などについて伺いました。
会社はトップが変わらなければ絶対に変わらない
――早速ですが、石野さんのコンサルティングの内容について伺えますか?
石野雄一氏: 私のコンサルティングは「社長専門」という風に銘打っています。ただ、中小企業、上場していない会社の場合ですと社長を相手にコンサルティングをするということになるんですが、上場企業になりますとちょっと難しくて、経営担当常務などの役員が窓口になってしまいます。ただ基本的には、社長が変わらないと会社は変わらないという考えを持っておりますので、できるだけ社長さんと近いところでコンサルティングをさせていただく「社長専門」という路線でやっていきたいと思っています。
――社長には、どのような面で変わらなければいけないとアドバイスされているのでしょうか?
石野雄一氏: 私の専門は企業財務ですが、どういうコンサルティングをやっているかというと、いくらのお金を設備投資に使うかとか、投資判断の基準を作ります。例えば、5千万かけて機械を導入する時に、それが結果的に経済合理性にかなった判断なのかというところですよね。そこにはどういう考えがあるかというと、これはわれわれの個人のレベルでもそうなんですが「価格」と「価値」の違いをまずは認識することが重要なんです。
これは実は私が最初にいい始めたことじゃなくて、『社長失格』(日経BP社)の著者の板倉雄一郎さんが私に教えてくれたことなんです。価格は今財布から出すもので、価値というのは、それの代わりに手に入れるものです。つまり、差し出すものよりも、価値のあるものを手に入れ続けることが、金持ちになる方法なんだという風に板倉さんがいったわけです。私は「それめちゃくちゃ難しいじゃないですか」って聞いたんです。そうしたら板倉さんは、「イッシー、そんなことは皆やってるよ」と。私イッシーって呼ばれていたんですけど(笑)。「例えば、スーパーで1本100円のにんじんを手にとって、見てから買うでしょ。あれは、100円の価格に見合った価値があるかどうかを判断して買っているんだよね。それを全ての経済活動においてやり続けるということが重要なんだよ」っていう風にいったわけですね。これがファイナンスで一番重要な考え方なんです。
――問題は、その価値をどうやって計算するかということになりますね。
石野雄一氏: それをファイナンスでどう考えるかというと、その機械設備が将来生み出す利益じゃなくてキャッシュなんです。現金を将来のものも含め合計したものですね。ただし、将来になればなるほど、価値を割り引いて考える。その合計と今差し出したものとを比べるんです。私の仕事は、その基準を会社の中にきっちり入れていくことですね。ただ結局、一番重要なのは社長プラス役員にこの考え方を浸透させるっていうことなんです。昔だったら社長が「売り上げを上げろ」っていうわけじゃないですか。最近では、「営業利益を上げろ」という話になる。
でも、営業利益を上げるために、どういう資源をインプットしているのかが問題です。経営資源って人、物、金、情報、時間ってよくいわれますけども。それらをインプットして、営業利益ってアウトプットがあるわけです。「昨年より営業利益が1.5倍になった。すごいね」っていうのが、今までの時代だったわけですが、人、物、金、情報、時間を2倍、3倍、10倍かけていたらどうなるんですかってことなんですよ。
アウトプットばかりではなくて、インプットも見ていかないというのも、私がファイナンスでお伝えしていることなんです。でも、相変わらず社長が「売り上げだろう」といっていたら、いくら社員の方々に研修をやっても全然変わらないじゃないですか。だから結局、偉い人たちが変わらないと変わらない。偉い人たちはルールを入れれば変わると思っていて、「皆やる気がないから、会社を変えてほしいんだよ」といわれるのですが「いやいや、あなたが変わってください」っていうことも多いですね。
預金集めと「宴会芸」の銀行員時代
――現在は独立したコンサルタントとして活躍されていますが、銀行員からキャリアをスタートされていますね。
石野雄一氏: 私は大学が理系、化学なんですが、しょうがなく行っている感じがありました。理系は好きで行く人が多いイメージですが、私の場合一番入りやすいところが上智の化学だったんです。大体、理系で上智というのも何か中途半端感がありますよね。今はどうだかわからないですよ。当時、上智大学っていうのはどちらかというと、文系の外国語っていうイメージがありましたから。就職時はちょうどバブル入社といわれている時代です。
91年にバブルがはじけて、一気に厳しくなったのですが、その前年に就職活動していたので、今の若い人たちからすれば信じられない位、希望すれば簡単に入れたんですよ。それで、文系就職っていうのがはやったんですよね。理系の人間がいわゆるメーカー、研究所じゃなくて文系の会社に入るのがはやった時期で、もともと、研究室で仕事をするよりも人と接した方がいいなというのがあって、縁があって旧三菱銀行に入社しました。
――銀行ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
石野雄一氏: 就職の時は、銀行の人に、M&Aとかプロジェクトファイナンスとか「横文字系」のことや、海外留学とかもできるっていわれたので入ったんですけど、現実は、そんなことはない。自転車転がして預金集めをする時代が10年間続きまして、その時はファイナンスのファの字も知らなかったですね。
――ご著書の中で、数字が得意ではなかったと書かれていますね。
石野雄一氏: 得意じゃないですね。苦手意識が今でもあります。だから、私が唯一自慢できるのは難しいことをわかりやすく伝えることで、自分が数字を理解するのに、時間がかかるから、数字ができないっていう人の気持ちがわかるんですよ。だからわかりやすく説明できるんです。
――銀行員時代、石野さんはどのような行員でしたか?
石野雄一氏: 新人の時に、隠し芸みたいなものをやらされるんですが、それで大ウケしていましたね(笑)。例えば、「合併シリーズ」というネタがあって、例えば三菱銀行とパチンコ屋が合併したらとか。皆さん知らないかもしれないですけど、銀行はシャッターが閉まったあとに、伝票を計算して合わせるんです。入金伝票のこと赤、出金伝票は青と呼んで、出金と入金をぱしっと合わせる。その時に例えば入金が多ければ「赤大1万跳んで456円です」とかアナウンスが入るんですよ。これ、パチンコ屋みたいだなと思って、ネタにしたんです。当時は古き良き時代で、会社でクリスマスパーティーやら、上半期が終わった時に乾杯とかあったんですが、その都度芸をやらされて、目立っちゃったんです。私も笑かすのが大好きだったんですね。
そしたら3年目の時、三菱銀行から派遣されてMBA取ってきたばりばりエリート支店長が「石野、お前銀行員世の中に何十万いると思っているんだ。俺なんかMBA取っても単なる支店長だぞ。お前、鈴本演芸場紹介してやるから芸の道に行けよ」っていわれたんです。これから目きらきらさせてやる銀行員に向かってそういうことをいうわけです(笑)。