決意のアメリカ留学。「何かが背中を押していた」
――銀行をお辞めになってからアメリカに留学されていますが、おいくつの時でしたか?
石野雄一氏: 31歳です。課長代理で、役職がつく前ですね。銀行を辞めるという意志決定をしたのは、自分は海外に行きたいという気持ちがあったけど、留学したいっていっても行けないわけですよ。行内の選抜試験も全然通らないですし。それで30歳を越えて、このままやっていてもという焦りもありました。結局、将来のイメージが湧かなかったんですよね。自分が支店長の席に座っているとか、10年後、20年後に銀行員であるということが、全然イメージできなくて、辞めようという決意をしました。
――その時は既にご結婚されていたのですか?
石野雄一氏: 同期の女性と結婚して、2歳の子どももいました。辞めると聞いた時は驚いたでしょうね。全然相談しなかったんですよ。MBAのための予備校へ通うというのはいったけど、海外へ行くとか、辞めるとは思ってないわけです。かみさんはMBAもわかんないですもん。土日は学校で、子どもと遊んだ覚えがないですね。子どもを公園に連れていっても、自分は単語帳をめくっていたんですよ。
――銀行で安定もあり、ご家族もいらっしゃる状況で、そのような大きな決意ができたのはなぜだったのでしょうか?
石野雄一氏: その時は、勇気は必要なかったんです。ただ自分のやりたいことに正直になったということです。目標が明確にあったから、がんばっているつもりもありませんでした。必死というのとも違いますね。必死は、必ず死ぬって書きますからね(笑)。多分楽しかったんだと思うんですよね。あとはたまたま周りの状況が許したということです。妻も反対はしなかったし、両方の両親も病気をしていなかった。1年遅れたら私の母が具合が悪くなっちゃったんで、行けなかった可能性があるんです。だから、タイミングですね。何か周りの全てに背中を押される感じですよね。人との出会いもそうです。予備校で初めて銀行員とは違う世界の友達と会ったんです。
例えば、私が「仕事が忙しくて、残業ばっかり」って話したら、「石野さん、それは上司にいわなきゃいけないよ。自分の許容量を越えている仕事を受けることによって、出てくるものが遅くなったら組織全体に影響及ぼす可能性があるんだから。能力とアサインメントのバランスを考えてもらうようにいうべき」といわれたんです。上司にそんなこといっちゃって良いの?って思ったけど、あ、そうか、会社のためを思えばそういう考え方もあるなと、人と出会うことでどんどん世界観が広がりましたね。
失敗を開示することは人間関係を築くために重要
――アメリカには何年間いらっしゃいましたか?
石野雄一氏: 2年いました。あっという間で、面白かったですね。
――MBAの授業、アメリカでの生活はどのようなものでしたか?
石野雄一氏: まず、MBAって書いて「メイキングベイビーインアメリカ」。一人子どもを作りました(笑)。娘ができたんです。授業では、私はクラスに全く貢献できなかったですね(笑)。コールドコールというハーバードでよくやっているケーススタディがあるんです。事例に基づいて、正解がないようなディスカッションで、先生がバッと手を挙げていない生徒に当てていく。ディスカッションの最初の方は「この登場人物の社長の性格は」みたいな質問をされるから、その時だと思って「はーい」とかいっても、先に手を挙げる人が当てられるわけじゃなくて、隣の奴が当たっちゃって、「ネクスト雄一」。いやいや、俺さっきの質問が良いんだけど、みたいな。それで、そんな話を当時はまだブログじゃなくてホームページだったんですけど、赤裸々に書いたんです。それが好評で、結構ファンがつきました。
――リアルなアメリカのMBAの授業内容がわかって、しかも日本人が共感できる面白いエピソードが書いてあるホームページですから、楽しみに読んでいた人も多いでしょうね。
石野雄一氏: 当時はMBAの勉強をする人も、かっこいい発信をする人ばっかりだったんですよ。いかに自分たちはチームでディスカッションして、こういうプロジェクトをやってとか。あまりにも格好つけているなと思ったので、俺は赤裸々に書こうと。例えば、授業で日本企業のケースになったりして、「日本にはどうしてこういうものがあるんだろう」とかって皆でディスカッションした時に、皆の視線がこっちに来ても発言できない自分とか。チームの人間がけんかしていても、何でけんかしてるかわからなくて、「雄一どう思う?」って意見求められて、「イエース」みたいな(笑)、その情けなさとかを書いたんです。
――確かに、失敗談をお聞きすると、その人に引きつけられるものがありますね。
石野雄一氏: ただ、そのホームページを12年後にもう1回見たんですよ。そうしたら、まだ格好つけている(笑)。当時は赤裸々だと思っていたんですけど、本当はもっと情けないところがある。私は、自分はこういう人間で、こういう失敗をしてきたと自己開示するっていうことは、人間関係を築くことにおいてすごく重要だと思います。セミナーでも、私は失敗ばっかり話すから、どーん、どーんと笑うわけですね。だけど、結局それって自分が許容できる開示なんですよ。開示してもいいだろうというレベルでの開示なんですよね。開示をすることによって、メリットがあると思っているからやれる。計算は絶対していますよ。
1日ぶっ通しで書き続けられる執筆法
――コンサルタントとして独立後は作家としてもデビューされました。本を書くきっかけはどういったことでしたか?
石野雄一氏: MBAに行った時に、エクセルを使ってファイナンスを勉強するのは良いなと思ったんです。だけど、同級生にいっても今ひとつピンときていなくて、それなら絶対本にできるなと思っていました。それで、帰国後日産にいる時から原稿を書き始めていました。その時に「出版塾」っていう塾の畑田洋行さんが書いた『ビジネス書を書いて出版する法』(同文舘出版)を買いました。その本がすばらしかったんです。それが転機ですね。
出版塾に入って畑田さんに企画書を見てもらって、目次を書いて、サンプル原稿をつけて出版社に送ったんです。畑田さんが出版社のリストをくれて、あて名もダイレクトメールに間違えられるからワープロで書いちゃだめだとか、企画書在中って赤いマジックで太々と書けとか教えてくれる。それで50社に送ったら、5、6社から反応が来ました。その中で最初に来たのが、日本実業出版社さんで、『道具としてのファイナンス』を出しました。出版社が決まった時に会社を辞めて、一気に書きましたね。
――執筆はどのようなスタイル、方法で行うのですか?
石野雄一氏: 私、神田昌典さんのマーケティングの本がずっと好きだったんですが、神田さんには「魔法の文章講座」っていうDVDがあるんです。魔法の文章講座って何か心惹かれるじゃないであうか。ちょっと煮詰まっていた時に、5万円したんですけど買ってみて、それは良かったですね。一番良かったのは25分ルールっていうもので、タイマーを25分で鳴るようにセットして、書き始めて25分たったら絶対やめなきゃいけないんです。そして5分間運動してまた始めるんですよ。そしてそれを3クールくり返す。何が良いかっていうと、書き続けて書けなくなった時に休むと、また書き始めるのに時間がかかるわけです。ところが、25分間だといい感じで終わるんです。5分間運動すると、書きたい感が残っているから、グワーっと書いて、ピピピと鳴ると5分間運動。これをくり返すといつの間にかぶっ通しで1日書いていることもあります。それでも疲れていないんです。
あと神田さんはセックスを絶対するなっていっています。性的なエネルギーを書くエネルギーに転換するってことなんです。だから、早く終わらせたいって思って気合が入るわけです。あとはフォトリーディング。必ず書く前に簡単な瞑想をして、天とつながるような言葉をいうんです。天は私という媒体を通して、何を世の中に伝えようとしているのかっていう質問をしてから書き始めるということですね。だからあとから自分の本を見ると、「結構良いこと書いているな」っていうこともあります。自分でいうのもなんですけど。
――本を書く際に気をつけていることはありますか?
石野雄一氏: いつもやってるのは、自分がいったん書いたものを紙に出して、場所を移して読み返すってことですね。そうすると第三者の視点で読めるんですよね。『道具としてのファイナンス』と『ざっくりわかるファイナンス』(光文社)は出版塾の畑田さんにも見ていただいているんです。読んでもらって「ここがわからない」とかフィードバックしてくれて、自分でも何度も読んで、さらに編集者にも見てもらうわけですから、ここまですればわかりやすくなるだろうという感じです。
著書一覧『 石野雄一 』