はせがわみやび

Profile

1963年6月30日生まれ。埼玉県浦和在住。物語とゲームがあれば、他に娯楽はいらないという人。著書は『ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記』(全3巻/ファミ通文庫)、『ファイナルファンタジーXI』シリーズ(ファミ通文庫)、『新フォーチュン・クエストリプレイ』シリーズ(深沢美潮と共著/電撃文庫)。浦和レッズの熱烈なサポーター。最近の活動では「英雄伝説 空の軌跡」を電子書籍の月刊ファルコムマガジン(毎月末頃配信)で連載中。
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紙の本は手触りのある「直の経験」を提供し続ける


――本作り、編集という作業も大きな変革を迫られますね。


はせがわみやび氏: 1冊の本という概念がなくなると、例えば贈り物にしようと考えたときに、極端な話、自分でえり抜きしたっていいわけです。出版社、もしくは個人のウェブ連載してる人と提携して、えり抜きで本にしたり、電子版のIDを提供したり、そういうサービスもあり得ると思います。短編集というものがありますが、あれは一つ一つの短編の良さもありますが、収録した作品で編集者の意図というのも見えますよね。それを一人ひとりがエディターになって、クリックしていくだけでできる様になるサービスができるかもしれませんね。デジタル媒体の良さって、垣根がないことだと思うんですよ。

例えば、何種類か翻訳が出ている「不思議の国のアリス」を全部リンクして、「えり抜き不思議の国のアリス」を作るといったマーケットってあると思うんですね。実体のある本だとサイズがバラバラになっちゃうけれども、Kindleなんかだと全部同じサイズで読める。読み比べができます。そこに漫画も混ぜられますよね。いまのユーザーって、自分が欲しくないものが付いてると損したって考えるメンタルの方が多くて、だから短編集が売れないそうです。雑誌が売れなくなった理由もそうなんですけど、昔は週刊誌って3本お気に入りの連載があれば240円払って買う。で、残りはおまけのようなもので、付いているんだからお得っていう考え方だったんです。

だけどいまは、240円払って7割自分が読みたくない記事だったら損したって考える。その3本だけで売ってくれって考えるようです。そのような選び方になるということですね。

――逆に、紙の本の変わらない良さっていうものはあるでしょうか?


はせがわみやび氏: やっぱり実体があることだと思うんですね。いまは音楽が聴きたければ電子配信されてるもの落とすのが1番良いですよね。不法にっていう意味じゃないですよ、もちろん(笑)。CDのネックはバラ売りできないことだと思うんですよ。アルバムが10曲あっても全部聞きたいわけじゃない。いまだと自分の好きなものだけ買うとか、買う方に多様性を許す、選択の余地を許すのが、電子媒体の良さですよね。CDが売れる可能性としては、コレクターの気持ちを満たすことができるもの。実体がある利点を生かせるもの。所有欲を満たせるもの。あと、何らかの記念になってるものですね。

例えばライブをやって、その場でCDに落として売るというのがありますよね。あれなんかは経験を売ってるんですよね、音質で考えたら、もちろん録音したものを、あとでちゃんと調節して、いいとこだけ取った方がいいに決まってるんですけれども、あえて生でその場で落としたやつを売ってるのは経験を売っているからです。もちろん録画したものを電子配信しててもいいはずなんだけど、何でCDを買っちゃうかっていうと、実体があることによって思い出が強化されるからだと思うんですよね。本も、例えば、「不思議の国のアリス」だったら、装丁がかわいらしい本があったときに思い出が結びつくと思うんですよね。

本の内容だけじゃなくて、そのときの状況、風景や、本自身の装丁だとか、ページが茶色くなっていたとか、読んだ本の思い出と一緒になって記憶される。電子媒体では全部が並列に記憶されちゃうことになる。だからこそ純粋に本の内容だけを読めるとも言えるけど、本棚にある1冊を手に取ったときの直の経験とは結びつきにくいとは言えます。

あらゆる人に知のデータベースにアクセスする機会を


――世間では、紙対電子の対立関係という構図が描かれやすいのですが、それぞれ補完し合う良さがあるということですね。


はせがわみやび氏: そうですね。世の中の流れ的には、絶対量としては電子書籍にはまず勝てなくなるでしょう。でもあえて本にするっていうのも多分起きてくると思うんですね。最近だとアニメーションの「けいおん!」の音楽がレコードで出ましたよね。人間の記憶の仕組みで、特別の本とか特別の経験みたいなのをありがたがるっていうところがあるから、人間が電子化されない限りは多分、時々実体化するってことをすると思います。実体のあることに意味がある本だけが実体化して、そうじゃない本は全部電子化でいい。本の量自体はものすごく減るけど多分なくならないでしょう。

――自分の蔵書をスキャンして保存する人も増えてきましたが、いわゆる「自炊」についてはどう感じますか?


はせがわみやび氏: 恐らく、普通の人は本をたくさんは所有できないんだと思います。私の知り合いも本を置くスペースがなくて、もう売るか捨てるかしかないと言っています。で、何冊持ってるのって聞くと100越えた程度で、驚く程少ないんですよね。私もこのままだと家が壊れそうなのでついに書庫を作っちゃったんですけど、幸い私の家は本屋だったので、1階がもともと倉庫だったんですよ。なので倉庫に棚を作ったんです。鉄筋のコンクリ打ちで本を置いても沈まないので。そういう例外的な人を除いては、置くスペースがないから電子化する、っていうのが多いんじゃないでしょうか。

――いまはスキャンする際、どうしても裁断という作業が発生してしまうのですが、裁断という行為にわだかまりを感じたりはしますか?


はせがわみやび氏: あんまり考えたことなかったですね。自分の本が大切にされるって実体であれ電子化であれそれはうれしいです。ただ、自炊代行サービスがどこら辺までがOKなのかとか難しい部分もいっぱいあって、僕自身もよくわからないですが、自炊代行サービスは、全部書籍が電子化されたら理論上なくなるはずなんです。だから、いまなぜビデオをほかのビデオに転換してくれるサービスってほとんどないかって言うと、最初からハードディスクに入っちゃってれば要らないからですよね。もっと言うと、クラウド化されれば手元にさえ要らないと思うんですよね。個人が持ってるのはキーだけで、オンラインでクラウドにアクセスして、毎回それをダウンして読む。高速通信が可能になれば、どんな媒体でも一瞬なので、別にそれで困らない。



そうなると、さっき言った様な知の図書館がクラウドの中に存在することになります。もしそうなったら蔵書の電子化は、そもそも考えてもしょうがない。それはそれほど遠くないかもしれない。だから重要なのは、作者の利益をとりあえず置いとくと、あらゆる人間が、人類が持っている知のデータベースにアクセスする窓を持てるのかっていうことだと思うんですよ。その機会が十分にあるんであれば、接するチャンスが電子媒体であれブックオフであれ、究極的には構わないんですね。

――個人で電子化された場合、著作者への金銭的な還元がないという問題はどのように考えていますか?


はせがわみやび氏: リアルな話をするとそこですよね。小説を書いても食えない時代が来るのかどうかっていうことも含めて未来のことはわからないですね。要するに、人が何かやったら、やった分の対価がどうやって払われるかっていう話になってしまうんだと思うんですよ。でもそういう価値がどう決まるのかっていうのが難しい問題で、いま正当なのかどうかもわからないし、将来的にもっと減るということも、増えるということも、どっちもありそうな気もします。『日経トレンディ』で、電子書籍が待ったなしの状況で、書籍業界への提言を書かれた方がいらっしゃって、電子化をするときに、安くなるって考えないことが肝心だみたいなことを言っていまして、500円で買える本は500円で買えるままにしておかないと、誰も幸せにならないみたいな理屈なんですね。だから、本を買うときに、例えば自動的に電子版のIDがくっついてくるっていう様にすれば、お得感は増しますが値段は下げなくて済む。

で、流通なんかも生き残ることができるって言うんですが、ただ、世の中が、中間を省くという風潮になってるので、「本も省いて値段を下げようぜ」っていう流れになると思うんですね。そうなったときに、著者に入る金が増えるのかって言うと、多分増えないと思うんです。変わらないか、下手したら下げられるか。いまは何万部売れるという見込みでお金をくれるけれども、売れた数だけ払うという風になれば、現実的にもらえる量は減りかねない。でもある程度以上のコストをもらわないと次が書けないっていう問題点もあります。本を書いてすぐお金にならないということは、一種の借金で暮らしてることになるわけです。出来高制になっちゃうと、最終的にもらえる金額がたとえ一緒だったとしても、次の半年が生き延びられないという話だと思うんですよね。

――文化を発信するクリエイターを保護することが必要になってくるのでしょうか?


はせがわみやび氏: どうですかね。娯楽ですからね(笑)。でもそれがコンテンツとして世界に対して売れる娯楽であるってなれば、最近はハリウッドで映画化されるライトノベルがあるらしいんですが、そういう著者に対して、美味しい卵を産む鶏さんなんだからもうちょっと保護しようと考えるかどうかだと思うんですよね。でも鶏がいっぱいいるから、次の鶏を探すよっていう考え方もあるので。普通の人がライトノベルなり、ノベライズができないのかって言うと、僕にもよくわからないところはありますよ。なにしろ私は努力した記憶がないので(笑)。才能じゃないと思うんですよ。要するに経験。子どものときから、1000冊以上読めば何とかなるんじゃないかって気がするんですが、問題はそこまで読まないっていうだけの話だと思うんですよね。子どものときから本漬けにして、娯楽を本しか与えなければ、文章が下手でもいいんならこれくらいはできる。

あとは、モチベーションです。小説家に1番大事なのって、モチベーションで、書く気になるかどうか。一見、大金が入ると書きそうな気がするんですけど、意外と小説家ってお金が入るってわかってても書かない人種なので(笑)。ほんとに金のために書くんだって言ってる人って、あんまり見たことないですね。あまりにも退屈な仕事なので、割に合わないと感じるんじゃないですかね(笑)。

ライトノベルのレーベルは「チーム」である


――書き手が継続して作品を発表できなくなるのは非常に問題ですね。何か解決策はあるのでしょうか?


はせがわみやび氏: 著者が金額を上げようと思うと、もうほかのところを通さずに個人で売るしかなくなります。それができる人は生き残れる可能性がある。漫画家は個人でやれる可能性は出てくると思うんですけど、小説は、特にラノベは、恐らく装丁やイラストが付きますからね。もちろんイラストで売れてるということではなくて、すごいイラストレーターを使っても必ずしも売れるわけではありませんが、本の中身に何があるかを知るために、タイトルだけだと追っ付かないっていうのがイラストが必要とされる理由なんだと思います。だから個人でイラストレーターを捕まえられるか、自分が絵が描ける作家じゃないといけないので、若者向けの小説を書く人は、どうしてもエージェントなりに頼らざるを得ない。個人でやるのは不可能とは言わないけれども、ハードルは高いと思います。

――ライトノベルの業界では、今後出版社の役割はどのように変わっていくでしょうか?


はせがわみやび氏: 多分、レーベル単位で流通していくことになるだろうって思っています。ライトノベルは、出版元をたどるとほとんどひとつになってしまいますけど、同じ出版社でも、レーベルが違うとコンセプトが違います。もちろんどの作家も出版社が違っても自分の色を出さないと個人の客が逃げてしまうっていうのは考えるんですけど、その一方で、レーベルごとにそのレーベルに合ったものを書くことになります。

――レーベルごとの特徴の違いは相当大きいのでしょうか?


はせがわみやび氏: 私はサッカーファンなので、チームがレーベルって考えるとわかりやすいかなと思うんですね。選手は作者。編集長が監督ですよね。チームの色を決めるのは監督で、編集者は、監督の下にいるコーチだと思うんですよ。そして、レッズのファンとか、アルディージャのファンとか、アントラーズのファンとかっていうのと同じ様に、そのレーベルに対するファン、読者がいて、レーベルで買う人がいる。

一方で、個人に付く客もいて、例えば中田だったら中田、香川だったら香川のファンがいて、どのチームに行っても香川を応援するっていうのがいる。そういう観点で見たときに、ライトノベルが生き残ろうとすると、まずレーベルに付くファンを大事にすることが必要で、そのためにはそのチームにファンが付くような魅力的なコンセプトがなきゃいけない。そして、コンセプトを守っている限りは、一番売れる人だけを大事にしていたのでは足りない。どんなに香川が良くても、香川にだけお金を払ってほかの選手にお金を払わないと、チームとしては弱くなりますよね。それと同じです。

――あらゆる業界で売れるものと売れないものが二極化していると言われますが、それは業界を弱くするとお考えでしょうか?


はせがわみやび氏: こんな話を聞きました。コンビニで売れるおにぎりと売れないおにぎりがあったときに、売れないものを全部切ると、売れるおにぎりも売れなくなる。それは選択の余地を奪うから。最初から買わないとわかっていても、2つあったうち、俺はこっちを選んだ、っていう感覚があるのが大事なんですよ、と。

――面白いお話ですね。


はせがわみやび氏: 恐らく、レーベルにおける本もそれと一緒で、あまり売れない本も出さなきゃいけない。もちろん、大赤字をこしらえてしまう様な本を作っては駄目だけれども、1番売れる本だけ残して、あと全部切ってしまえば、そのレーベルの色が全部1色になって、選んだっていう感じがなくなってしまいます。読者に選択した感じを与えるのもレーベルの役目だから、レーベルのコンセプトを守りつつ、色々なものを置かないと、結局そのレーベル自体の人気がなくなるんじゃないかな。

あまりにもレーベルに合わないことをしていると、レンタルでほかのチームに行ってしまったり、J2に行ってしまったりしますが(笑)。でも、別に悪いことではなくて、読者にとってもそういう選択が必要ですし、たとえマイナーでもコンセプト次第で固定ファンが付きますし。

未来を考えたときに、各レーベルがちゃんとそのレーベルなりのコンセプトを持っていることが大事だと思います。いま見るとそうじゃなくて、よそのコンセプトをまねしようとするところも見受けられて、それは僕は正しくないだろうと思っています。J1残留を保ちつつチームの中に様々な色があるというのが理想です。流行りって、移り変わりますからね。そのとき1番売れたものは次の時代には売れないんですよ。1番売れたものって、1番飽きますから。

――最後に、今後どのような執筆活動に取り組んでいきたいとお考えですか?


はせがわみやび氏: とりあえず経済的には、オリジナル小説を書かないと食っていけないという事情はあります(笑)。私は、もともと自分がいいなって思ったものを人に紹介するのが好きだから、ノベライズとかリプレイとかができるんだろうなと思っているんです。例えばテーブルトークであればテーブルトークの面白さを伝えたい。MMOだったらMMOの、もしくはファイナルファンタジーの良さ、面白さを紹介する仕事は嫌いじゃないんですよ。ただ、ノベライズだと、既に別のジャンルがあるものを持ってくるしかないので、それに限らず、例えば大学時代の面白い経験でもいいですし、過去に読んだ漫画の面白さのエッセンスでもいいんですけれども、自分の中にあるもので、ノベライズだと紹介し切れないものを提供してみたいです。それをやるにはオリジナルを書くしかないので、自分で1から10まで作って見せたいなっていうのはあります。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 はせがわみやび

この著者のタグ: 『ゲーム』 『考え方』 『紙』 『作家』 『雑誌』 『本屋』 『経験』 『ノベライズ』 『レーベル』

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