小堺桂悦郎

Profile

宮城県出身。バブル景気といわれた1980年代を金融機関の融資係として過ごす。1989年日経平均株価が最高値をつけた日を最後に、税理士事務所に転職。バブル崩壊後の1990年代に、銀行対策を中心とした資金繰りコンサルティング業務に従事。2001年末コンサルタントとして独立。2002年4月に(有)小堺コンサルティング事務所を設立。資金繰りや借金、税金などの相談に応じるほか、セミナーの講師などを務める。2002年12月『借りる技術返す技術』で著書デビュ-。2004年発売の『バンザイ・シリ-ズ』は10万部を突破するベストセラ-に。さらに2006年発売の『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』はビジネス本としては異例の36万部を突破。

Book Information

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会計を味方につける経営者を増やすため、中小企業の「応援団」になる



小堺桂悦郎さんは、銀行員や税理士事務所職員の経験を生かして「資金繰りコンサルタント」として独立し、中小企業の銀行交渉、融資を引き出す決算対策などをサポート。多くの経営者から信頼を得ています。また、簿記や会計が苦手な経営者に実践的な資金繰りのノウハウを解説する本で、ヒットを連発しています。小堺さんに、コンサルタントや作家になるまでのいきさつや、執筆にかける想いなどについて仙台の小堺様のオフィスにてお聞きしました。

コンサルティング業務は春、秋、月末が勝負時


――資金繰りコンサルタントとしての活動を始められてからどのくらいたちますか?


小堺桂悦郎氏: 独立したのは10年くらい前ですが、税理士事務所で資金繰りのアドバイスをし始めたのは97年ごろからですね。ですから15年位になっています。

――コンサルティングの対象企業が受けた、銀行からの融資総額は100億円以上になると伺いました。


小堺桂悦郎氏: 正確には記録を作ってはいないんですけど、年に10億で10年やったら100億位ですよね。1年で1億円の融資が10社あれば10億になりますからね。平均したら1件はもうちょっと小さくなりますが、たまに億単位の案件がありますからね。

――中小企業の苦境が伝えられて久しいですが、相談の対応にお忙しいのではないでしょうか?


小堺桂悦郎氏: 忙しい時は忙しいのですが、毎日相談が来るわけじゃないんで、僕の仕事って意外と手が空くんですよ。例えば月末にはお金が必要になるということがありますから月を越すと少し手が空きます。1年でいうと、夏が意外と空くんですね。乱暴に言うと、夏、暑いと着るものも売れるし、飲み物も売れるじゃないですか。レジャーも活発になりますでしょう。そうすると、平たく言うと消費が回ってお金が動いて、お金が入ってきますから、とりあえず金回りは良くなる。寒い時期も、着るものをまた買うじゃないですか。あったかいものを食べに行くし、温泉にも行く。

そうなると、僕は暇になるんですよ。資金繰りに困るのは夏や冬が終わった後なんです。だから、春か秋ですね。仕入れもつけでやってたりするので、夏のつけが秋に回ってくる。冬どうだったかの結果は春先に出ますね。その手の空いた時には、じゃあ本でも書こうかってことです。

バブル絶頂時に銀行を退職、融資を引き出す仕事へ


――税理士事務所に勤務する前、ちょうどバブル期に銀行員で、バブル絶頂の際にお辞めになったそうですが、当時の銀行についてどのように感じられていましたか?


小堺桂悦郎氏: 僕は、子どものころから、どっちかって言うと皆が右って言う時に、左もあるんじゃないのっては思う方だったんですが、銀行でも一斉に右だよって言ってる時に、「何かおかしいんじゃないの」って言うタイプだったんです。組織というものにどうもなじめない。だからバブルのころも、自分で融資のあれこれをやっていて、このまま行き過ぎてしまえば続かないぞというのを本能的に感じていました。

――バブルがはじけてしまうことを予測されていたんですね。


小堺桂悦郎氏: 難しいことは分からないけれど、「何かおかしいな」っていう勘はあったんですね。その勘を理論的に出せるようになれば、もっとすごいコンサルタントか評論家になれるんでしょうが、そこまでの理論はなかったですね。宮城にいたんですけれど、田舎にまでバブルの余波が来て、新幹線が通ってるだけで、駅前の土地が値上がりしていく。買い主は誰だと思って、見ると川崎だ、横浜だって、関東の人なわけです。



つまり、現地を見もしないで、金が余ってるから、新幹線の駅前の土地を、何平米なら相場はこれ位みたいに、見ないで買っちゃうわけです。いずれもっと上がるだろうと考えて投資している。そんなの続くわけないだろって思いました。景気って西から始まるんですね。最後は東北新幹線で上がって来て、仙台で終わる。東北人特有の気質なのか、昔から東北って最後に来るんです。それで銀行を辞めて、不動産の資格を取ってたんで、そっちに行こうかなって思ったんですが、その時に父親が病気だったこともあって、地味な税理士事務所に行くことにしました。

――税理士事務所で会計や税務だけではなく融資のコンサルティングをするようになったのはなぜだったのでしょうか?


小堺桂悦郎氏: 97年に始めましたが、その時は銀行が倒産してしまうくらい景気が悪かったでしょう。サラリーマンであろうが、自営業であろうが苦労していました。だから銀行も大変だけど、顧問先の経営者はもっと大変になる。それで、銀行交渉のアドバイスを始めました。また売り上げも何とか伸ばさなくちゃいけないので、マーケティングの本も読むようになりました。

――そのような業務を行う税理士事務所は少なかったのでしょうか?


小堺桂悦郎氏: 恐らく、当時の税理士事務所ではいないですよ。だから事務所の中でも浮きまくりです。税理士事務所は、平たく言えば帳簿整理をするのが仕事であって、そこの会社の業績が良くても悪くても関係ないんですよ。資金繰りや銀行交渉のアドバイスをするのは分野外ですし、チラシを書いたりマーケティングのアドバイスをしたら、悪く言えば逸脱行為ですから。同僚からしたらいい迷惑でしょう。「なんで小堺さんだけあんなことやってるの」みたいな話になっちゃう。税理士事務所っていうのは内科みたいなもんです。中小企業の経営状態がずっと窮迫していている状況で、今月不渡りが出るか出ないかなんて話にかかわると、手術室で死なせてしまうようなものだから、それはまずいよということになりますよね。

著書一覧『 小堺桂悦郎

この著者のタグ: 『コンサルタント』 『コンサルティング』 『可能性』 『ノウハウ』 『バブル』 『税理士』 『きっかけ』

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