会計を味方につける経営者を増やすため、中小企業の「応援団」になる
小堺桂悦郎さんは、銀行員や税理士事務所職員の経験を生かして「資金繰りコンサルタント」として独立し、中小企業の銀行交渉、融資を引き出す決算対策などをサポート。多くの経営者から信頼を得ています。また、簿記や会計が苦手な経営者に実践的な資金繰りのノウハウを解説する本で、ヒットを連発しています。小堺さんに、コンサルタントや作家になるまでのいきさつや、執筆にかける想いなどについて仙台の小堺様のオフィスにてお聞きしました。
コンサルティング業務は春、秋、月末が勝負時
――資金繰りコンサルタントとしての活動を始められてからどのくらいたちますか?
小堺桂悦郎氏: 独立したのは10年くらい前ですが、税理士事務所で資金繰りのアドバイスをし始めたのは97年ごろからですね。ですから15年位になっています。
――コンサルティングの対象企業が受けた、銀行からの融資総額は100億円以上になると伺いました。
小堺桂悦郎氏: 正確には記録を作ってはいないんですけど、年に10億で10年やったら100億位ですよね。1年で1億円の融資が10社あれば10億になりますからね。平均したら1件はもうちょっと小さくなりますが、たまに億単位の案件がありますからね。
――中小企業の苦境が伝えられて久しいですが、相談の対応にお忙しいのではないでしょうか?
小堺桂悦郎氏: 忙しい時は忙しいのですが、毎日相談が来るわけじゃないんで、僕の仕事って意外と手が空くんですよ。例えば月末にはお金が必要になるということがありますから月を越すと少し手が空きます。1年でいうと、夏が意外と空くんですね。乱暴に言うと、夏、暑いと着るものも売れるし、飲み物も売れるじゃないですか。レジャーも活発になりますでしょう。そうすると、平たく言うと消費が回ってお金が動いて、お金が入ってきますから、とりあえず金回りは良くなる。寒い時期も、着るものをまた買うじゃないですか。あったかいものを食べに行くし、温泉にも行く。
そうなると、僕は暇になるんですよ。資金繰りに困るのは夏や冬が終わった後なんです。だから、春か秋ですね。仕入れもつけでやってたりするので、夏のつけが秋に回ってくる。冬どうだったかの結果は春先に出ますね。その手の空いた時には、じゃあ本でも書こうかってことです。
バブル絶頂時に銀行を退職、融資を引き出す仕事へ
――税理士事務所に勤務する前、ちょうどバブル期に銀行員で、バブル絶頂の際にお辞めになったそうですが、当時の銀行についてどのように感じられていましたか?
小堺桂悦郎氏: 僕は、子どものころから、どっちかって言うと皆が右って言う時に、左もあるんじゃないのっては思う方だったんですが、銀行でも一斉に右だよって言ってる時に、「何かおかしいんじゃないの」って言うタイプだったんです。組織というものにどうもなじめない。だからバブルのころも、自分で融資のあれこれをやっていて、このまま行き過ぎてしまえば続かないぞというのを本能的に感じていました。
――バブルがはじけてしまうことを予測されていたんですね。
小堺桂悦郎氏: 難しいことは分からないけれど、「何かおかしいな」っていう勘はあったんですね。その勘を理論的に出せるようになれば、もっとすごいコンサルタントか評論家になれるんでしょうが、そこまでの理論はなかったですね。宮城にいたんですけれど、田舎にまでバブルの余波が来て、新幹線が通ってるだけで、駅前の土地が値上がりしていく。買い主は誰だと思って、見ると川崎だ、横浜だって、関東の人なわけです。
つまり、現地を見もしないで、金が余ってるから、新幹線の駅前の土地を、何平米なら相場はこれ位みたいに、見ないで買っちゃうわけです。いずれもっと上がるだろうと考えて投資している。そんなの続くわけないだろって思いました。景気って西から始まるんですね。最後は東北新幹線で上がって来て、仙台で終わる。東北人特有の気質なのか、昔から東北って最後に来るんです。それで銀行を辞めて、不動産の資格を取ってたんで、そっちに行こうかなって思ったんですが、その時に父親が病気だったこともあって、地味な税理士事務所に行くことにしました。
――税理士事務所で会計や税務だけではなく融資のコンサルティングをするようになったのはなぜだったのでしょうか?
小堺桂悦郎氏: 97年に始めましたが、その時は銀行が倒産してしまうくらい景気が悪かったでしょう。サラリーマンであろうが、自営業であろうが苦労していました。だから銀行も大変だけど、顧問先の経営者はもっと大変になる。それで、銀行交渉のアドバイスを始めました。また売り上げも何とか伸ばさなくちゃいけないので、マーケティングの本も読むようになりました。
――そのような業務を行う税理士事務所は少なかったのでしょうか?
小堺桂悦郎氏: 恐らく、当時の税理士事務所ではいないですよ。だから事務所の中でも浮きまくりです。税理士事務所は、平たく言えば帳簿整理をするのが仕事であって、そこの会社の業績が良くても悪くても関係ないんですよ。資金繰りや銀行交渉のアドバイスをするのは分野外ですし、チラシを書いたりマーケティングのアドバイスをしたら、悪く言えば逸脱行為ですから。同僚からしたらいい迷惑でしょう。「なんで小堺さんだけあんなことやってるの」みたいな話になっちゃう。税理士事務所っていうのは内科みたいなもんです。中小企業の経営状態がずっと窮迫していている状況で、今月不渡りが出るか出ないかなんて話にかかわると、手術室で死なせてしまうようなものだから、それはまずいよということになりますよね。
銀行の「本音」を中小企業経営者に伝えたい
――税理士事務所で培った資金繰りのノウハウを武器に独立することになるわけですが、ほぼ同時に本の執筆も始められています。きっかけはどのようなことでしたか?
小堺桂悦郎氏: 資金繰りについて、きちんと話さなきゃいけないと思ったわけです。よく本音と建前って言うじゃないですか。銀行はこうだからこうしなきゃいけないよって言われてその通りやっても、評価が返って来なかったりするんです。ひょっとしたら大事なことは、別なところにもう1個あるんじゃないのって思ったんです。そこには普通の人は目を向けないのかもしれないけど。僕は目を向けちゃったんですね。ただ、本はより正しく正確に伝えようとすればする程伝わりにくくなる。教科書的になっちゃうわけです。じゃあ分かりやすく書こうと思ったわけです。
モデルになった本はあります。神田昌典さんの『あなたの会社が90日で儲かる!』で、マーケティングの話を非常に分かりやすく書いてあったんです。マーケティングは僕も全然わからないんですけど、こういう書き方があるのかって思いました。じゃあ僕も自分の専門分野のことを、話し言葉で書いてみようという気になったんです。それで12年位前に神田さんの、税理士とか中小企業診断士とか、広く言えばコンサルタントのような人たちを集めたセミナーに行きました。神田さんは企画を出版社に持ち込みで出したということでしたので、僕も持ち込んでみるかと思いました。
――それより以前に、資金繰りについて文章を書かれていたことはありましたか?
小堺桂悦郎氏: 独立前でしたけど、ファックスレターっていうのを担当先20社位に出していました。銀行の情報をひとつふたつA4で1枚書いて、FAXで送るわけです。個人的にそれでお金を取るわけでもないし、自分の担当先に配るだけだから、新聞記事だろうが何だろうが良さそうなもの皆コピーしてまとめていました。税理士事務所は、1月、2月になると年末調整とか、確定申告で忙しいんですけど、当時僕はそういう通常の業務から離れていて、資金繰りのアドバイスをやっていたから、皆何か殺気立って忙しそうだけど、僕は暇なんですね。
そんな時に、神田さんがやってたことをそのまま真似しただけなのですが、レポートを1枚じゃなくて50枚位の小冊子にまとめてみようと思ったんですね。それを製本して十何部か作ったりもしました。会社の創業者っていうのは、個性が強いんです。学校のテストが優秀だから創業者になってるわけじゃない。それぞれの分野で独特の経験と勘でやってたりするじゃない。そうすると資金繰りについて言ったってわからない。それを紙に書いてあげたら「小堺さん、あれ良かったよ」って言われる。大したことを書いていないんだけど、紙だと何度でも見られるし、1回読んで分かんなくても、また違う書き方をすると伝わったりしますからね。紙っていうのは良いもんだなと思って、「じゃあ今月も暇だから1枚やる」という風にやって、段々ページ数を増やしていきました。
もうひとつ書くきっかけになったのは、2000年に、税理士事務所の団体で、シアトルに研修旅行っていうのがあったんですよ。アメリカには税理士はいなくて、会計士が税務をやっているので、アメリカの会計士の事情をセミナーで勉強するわけです。でも90分の講義で半分英語、半分通訳だから実質的に時間が半分しかないんですよ。しかも通訳の人の日本語っておかしいでしょ。それで退屈になってしまったんですけど、50万もするツアーで、事務所の金で行ったんで後からレポートを出さなきゃいけない。困ったなと思って、シアトルで買ったレポート用紙に言ってること全部書いてたんです。現地の写真を撮ったやつも載せました。このシアトル旅行の経験もひとつの転機になりましたね。
出版社の公募に挑戦、結果発表前に税理士事務所退職
――出版を目的として最初に原稿を持ち込んだのはどの出版社でしたか?
小堺桂悦郎氏: 当時、ビジネス書の企画募集をフォレスト出版がやっていたので送ったのが最初です。10月末が締め切りで、辞表を書いたのが11月の連休明けでした。結果発表が2月だったから、その結果を見ずに税理士事務所に辞表を書いたんです。
――まだ出版が決まる前にお辞めになったんですね。その時はどのような心境でしたか?
小堺桂悦郎氏: もう崖から飛び降りるようなつもりですよね。それだけ行き詰っていたんでしょうね。失敗したら失敗したでいい。どっちにしても税理士事務所のくくりの中じゃやり過ぎてたし、通常の税理士業務にはもう戻れない。会社が銀行交渉に失敗して倒産しちゃいましたとなった時に、やっぱり税理士事務所にいたままだと迷惑がかかる。税理士事務所からアドバイスされたってことになっちゃうじゃないですか。税理士事務所で働いていて、無資格だったから税理士になろうと思ったんだけど、全然勉強せずに36、7歳になって、一生経理のベテランとして生きていくのかとか、将来を考える時期でもあったんでしょうね。それと、ちょうど父親が病気だったから税理士事務所に入ったんだけど、辞める時は、父親が死んで七回忌も終わったところで、もう俺、自由にしてもらっても良いだろうと思いました。税理士事務所はしょせん終身雇用でも何でもないですから、失敗したらまたサラリーマンに戻りゃ良いやと。それで企画を出して事務所を辞めて、2月の結果発表で落ちたんです。
――その結果を聞いた時はいかがでしたか?
小堺桂悦郎氏: しょうがないな、じゃあもう1回出すかみたいな感じです。漫画家の人が持ち込みをするのと一緒で、宅配便でフォレスト出版に原稿を送りました。あて名は誰だか分かんないので、「フォレスト出版担当者様」って。そうしたら、その原稿自体は採用されなかったんですけど、『借りる技術返す技術』の企画が向こうから来たんです。「こんなのを出そうと思うんだけど、やる?」って言うから、二つ返事で「やります」って。せっかく仕事が来たんだから、自信がなくたってやりますよね。で、「締め切り1ヶ月だけど良い?」って。
2週間で執筆した『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』
――本1冊を1ヶ月で執筆するのはかなりハードですよね。
小堺桂悦郎氏: 8月22日に東京の当時のフォレスト出版で打ち合わせをして、締め切りが9月末でした。当時フォレスト出版のラインナップで税金とか経理の本を出してて、「次、じゃあ資金繰りをやろうぜ」ってなったらしいんです。当時は銀行が今より殺伐としてたから、税理士には書けないということで、著者が誰もいなかったらしいんですよ。それで僕に白羽の矢が立った。一生忘れないです。8月1日朝10時ごろに電話が掛かってきましたね。
――かなりの強行スケジュールになったわけですが、どうやって執筆を進めたのでしょうか?
小堺桂悦郎氏: どうもこうも必死に書くしかないじゃないですか(笑)。それだけですよ。
――編集者の方からのアドバイスはありましたか?
小堺桂悦郎氏: ないです。書きっぱなしですよ。途中でやりとりもないです。ほかの著者の場合はわからないけど、僕の場合はありませんでした。書き終わってからやりとりはありましたけど。もうこんなんで良いのかって言うくらいあっさり。企画もA4の1枚半分位しかないですよ。第1章何たらかんたら、第2章何たらかんたらって、3章位までしかないんです。編集者が、「ここから先、僕よくわかりませんから、お任せします」みたいな。だって、編集者は書き上がりがつまんなかったらボツにするだけでしょ?ああ、こんなもんなんだと思ってました。
――さて、それからは次々に話題の本を執筆されることになります。ヒットの要因はなんだと思いますか?
小堺桂悦郎氏: よく聞かれるんですけど、たまたまですよね。何か面白いこと言えりゃ良いんですけど、バットを思いっきり振ったら大当たりっていうだけです。中でも一番やけくそで書いたのは、『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』で、2週間位で書いたんです。
――『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』はインパクトの強いタイトルを含めあちこちで話題に上った作品でしたね。どのような方針でお書きになったんでしょうか?
小堺桂悦郎氏: 僕が書いた『バンザイシリーズ』っていうのがあって、それまで『借金バンザイ』、『粉飾バンザイ』、『税金バンザイ』を出していたんですが、この3冊を足して混ぜて、ちょっと甘口にしたっていう感じっていうのがコンセプトでした。話は8月位からもらって、締め切りが2月だったかな。例によって「ここから先はお任せします」みたいな感じで書いたんだけど、編集者が考えてたのと違うものになっちゃったんですね。編集者が考えていたのは、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」の中小企業版。2番せんじを狙ってたわけです。
でも途中で僕がちょっとまじめなのを書いちゃったんですよね。それまでもう何冊か本を出してるし、なし崩しで通るかなと思ったら却下されまして、3月29日に書き直しって言われて、締め切り4月12日でやりますかって言われた。書き直しは神楽坂で言われて、その日水道橋の東京ドームホテルでレポート用紙に慌てて書きましたね。今度はお任せにすると違うもの書くから、「なぜ何とかかんとか」っていう章タイトルは全部編集者が考えました。後に編集者の人が、業界紙でインタビューされてて、「著者っていうのは、どうしても書きたいものを書く。だめなものはだめだって、引き締めるのが編集の仕事です」みたいなこと言ってました。「この野郎」と思いましたけど(笑)。
1冊で完結する内容の本を書きたい
――小堺さんの本の特色として、読者特典として無料相談が受けられるというものがあります。始められたきっかけや、読者の反応はいかがでしょうか?
小堺桂悦郎氏: 僕の本はリアリティーを持って書いてあるんだけど、自分の会社に当てはまるかどうかってのはやっぱり素人の人はわかんないじゃないですか。だから、無料相談で、「本にこう書いてあるけど、うちの会社はそういう解釈で良いんですか」って言われますね。その折り合いは今もって頑張ってやらなくちゃって思っています。ただ、話は本だけで終わらせたいというのはあります。「詳しく知りたければ僕のセミナーに来てよ」みたいなものは、あんまりやりたくない。俗に言うコンサルティングビジネスでは、1段階が本で2段階目がビデオやテープだったりして、最後にセミナーに誘導するようなものがありますが、あれにはしたくないっていうのはありますね。本だけで一応完結しているものを書きたいです。
だから仲間のコンサルに「お前は見せ過ぎだ」って言われたことあります。もうちょっともったいつけないと、読者はその気にならないって。でも僕の本は、資金繰りが大変な人が読んでるわけだから、もったいつけてる間に倒産しちゃうでしょう。僕は、高校の時に応援団をやったりしてましたが、今も企業の応援団をやっているようなものです。ただ独立してやっていく上での一番の悩みを正直に言えば、ビジネス、ある意味商売です。でも対象としてるのはお金に困ってる人であるという矛盾、コンテンツビジネスとして情報提供だけに留めて実際に効果があるかどうかはわからんよっていうところで割り切って、線を引いちゃうのかどうかが今もって最大の悩みです。今は個別相談でその部分をやっているということですね。
――普遍的な話を広く伝えるというところに本の利点がありますね。
小堺桂悦郎氏: 『借りる技術返す技術』が出る前に、まだ本も出てないのに、「借りる技術、返す技術セミナー」みたいな感じで講演をやったことがあって、半日で3万円位でやって、参加者は20人とか10人でしたが、当然皆、真剣になって聞きますよね。10時から3時位まで講演やって、その後個別相談をして、決算書を見せてもらったら、その会社が儲かってるんです。「いや、念のために勉強しておこうか」って。その人の症状を改善するには5時間の話は要らない。セミナーとか講演だと、こんなこともある、あんなこともあるって微に細にわたって話すわけじゃないですか。そう考えると本は1500円くらいだから安いですよね。
電子書籍は小さくて軽いハードの発展に期待
――小堺さんは電子書籍は使われていますか?
小堺桂悦郎氏: iPhoneは持ってますよ。『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』が電子書籍になるということで、フォレスト出版さんから、「iPhoneお持ちですか」って言われて、「いや、恥ずかしながら持ってない」と言ったら、「じゃあ、会社のをお送りしますから、チェックしてください」って言われて、送っていただいたら、「これ、いいじゃん」って感じです。自分の本が発売されるんであれば、自分も持ってなきゃいけないだろうと思って1年前くらいに買いました。
――使い勝手の良いところや、ここがこうなるといいなと思われる部分はありますか?
小堺桂悦郎氏: 僕自身がまだまだなレベルなんですけど、自分の本がiPhoneで見られるっていうだけでも、また違った感じで読めて、本だと流しちゃうところで、悪く言えばつっかかるんだけど、異なる印象を受けることはあります。ただ、電子書籍で、「あれ、どこだっけ」って探すの、慣れないと大変ですよね。僕は自分の書いた本を読んで、「こういうこと書いてたんだ」とか思って、付せんをつけたり書き込みすることがあるんです。同じことを次の本で書かないようにしなくちゃいけないなとか。だって書いた方は忘れてますけど、読んでる人には覚えてる人がいますからね。あちこち講演で呼ばれたりしますし、僕を呼びたいなと思ってる人は本を読んでるわけですから、違うこと言っちゃまずいですし。そういう意味じゃ、やっぱりまだ僕は本の世代ですから、ぱらぱら見るのは本の方が良いですね。
会計をより分かりやすくする本を書き続ける
――ご自身の本を読み返すことは多いのでしょうか?
小堺桂悦郎氏: そうですね。自分の本は、面白いなと思うこともある反面、うわーっというのもありますね。その時の考えだからしょうがないんだろうけど、もうちょっとちゃんと書いておけばとか、ちょっと読みにくいなとか、もうちょっと丁寧に仕上げらんなかったかなと思うことはあります。ぶれてないところはぶれてないし、リアリティーもあるので、半々ですよね。
――電子書籍の可能性はどのようにご覧になっていますか?
小堺桂悦郎氏: 広がるんじゃないですか?道具はどんどん便利になるしね。僕はiPadには心ひかれませんでしたけど、iPad miniには心ひかれるんです。iPad mini位の大きさでもう少し軽くなったら新幹線の中で読むのには良いかなと思っています。前はiPhone一本にしたんだけど。僕、プライベートで山登りに行くんですが、全然通じなくて、こりゃだめだと思って2台体制に戻しました。でも2台にしちゃうと結局これパソコンになっちゃうんですよね。そうすると、iPad miniの方が良いんじゃないのかって思ってますね。あと、僕はど近眼で、なおかつ寄る年波で、遠視も入ってきたんですよね。そうすると文庫本はきついよね。どこでピントを合わしたら良いのか分からない。だからiPad miniの大きさはいいですよね。若い人だけじゃなくて中高年の人にも伸びるんじゃないですか。
――電子書籍は蔵書のスペースの問題でも利便性がありますね。
小堺桂悦郎氏: 僕は仕事柄、本をどうしても持ってしまうので、ある程度本棚スペースを取ってますけど、個人じゃ大変ですよね。それに最近、自分の本も一生懸命読み返していて、持って歩くのも面倒くさいなあって思っているんです。
――最後に、作家としての今後の展望などをお聞かせください。
小堺桂悦郎氏: 次は、決算書の見方に関する本を書きます。今までの同様の本とは違う切り口で書くつもりです。本当は次々と新しいこと書きたいんだけど、僕のいる分野って新しいことが実はあまりなくて、特別なノウハウも僕の場合はないんです。専門的にちょっと勉強した人だったら分かるけど、特別変わったノウハウっていうのは、何ひとつ使ってない。強いて言えば視点だけが違う。別な分野には出ないし、出ようがないと思っています。かんき出版さんから出た最新刊のタイトルが『おカネを借り続ける経営』ですが、僕は「書き続ける」ということですね。会計とか決算って言うと難しそうに思うじゃないですか。でも基本はいわゆる簿記で、借方、貸方というルールは大昔から変わってないんですよね。税法とか会計がちょっと変わったことは専門の人は関係があるけれど、一般の企業の経営者とかには大して関係ない。同じ分野の中で、前読んだ時は分からなかったけど、今度出た本だとよく分かりましたと言われるような本を出していきたいですよね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 小堺桂悦郎 』