実務家が実践の中で気づかない論理の追究
楠木建さんは1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了後、一橋大学商学部助教授・イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より一橋大学大学院 国際企業戦略研究科の教授に就任。競争戦略とイノベーションを研究テーマとして、著書に、『ビジネス・アーキテクチャ』『ストーリーとしての競争戦略』『知識とイノベーション』などがあります。本について、電子書籍についてのお考えを伺いました。
教育、研究、経営助言。全ては実践する経営者のために
――早速ですが、近況を伺えますか?
楠木建氏: 僕の中には3つの事業部みたいなものがあって、1つ目は教育をMBAの学生に対して行うことです。うちの学校の特徴というのは、英語で全部講義をやることです。小規模のMBAプログラムで、毎年60人ぐらいいますが、4分の3ぐらいが外国人。われわれのコンセプトというのはアジアを中心としたグローバル人材の育成なんですね。日本には三井、三菱、SONY、Panasonicでなくても、面白い会社は確実に出てきています。それはアジアの人々にとっても関心があるようですね。そういう人たちが日本の会社に入れば、日本のビジネスのグローバル化に貢献します。彼らが自分の国に帰ったとしても日本のビジネスとのチャネルができる。やっぱり来てもらって良さを分かってもらって日本のグローバル化に貢献してもらえるといいなというのがありますね。
――外国の学生にも日本の企業との関わり方を伝えていらっしゃるんですね。
楠木建氏: それから2つ目が研究でやっていることで、競争戦略についての僕の考え事を本に書いたり論文に書いたりするということですね。3つ目は、僕の考え方を使ってアドバイスなどをして、会社の経営のお手伝いをするということです。
ビジネスをしていると見落としていしまう「賢者の盲点」を探す
――研究だけではなく、どのようにして実践で生かすかも大事にされていらっしゃるんですね。
楠木建氏: 僕のやっていることはくまでも机上の考えごとなんです。机上でないとはどういうことかと言うと、実際に自分で商売をやっているということですね。その分類で言うと僕の仕事は机上ですよね。
―― 実践とはビジネスをしていることなんですね。
楠木建氏: 経営学という分野に限って言えば、誰も知らない大発見というのは絶対にない。これが自然科学であればiPS細胞ができたとか、ニュートリノ発見とか、たまに誰も知らない大発見があるんですけれども。商売とは、普通の人が普通の人に対して普通にずっとやっていることです。そんなことについて、大発見はないと思うんですよ。だとすると言われてみれば全部当たり前。だとすれば何でそんなに当たり前のことが現実の商売でできないのかということが問題なんです。当たり前のことを当たり前にできないのは、実践しているからこそ見落としちゃうことがあるからです。だからそれを机上で補完するんですよね。当たり前のことだけれども実践だとつい見落としちゃうような、「賢者の盲点」みたいなものを、自分が商売をやっていないから、机上だからこそ考えられる。僕はこういうようなスタンスで仕事をしているんです。だから、これを応用したら即座にボロもうけみたいなものは絶対にない。そういった意味で机上と実践の折り合いを自分なりに考えて仕事をしているというスタンスですね。
森を見過ぎて木を見ず、日本という土壌ばかりを見てはいけない
――今の日本企業の状況を、どのようにご覧になりますか?
楠木建氏: 重要なことは1つの企業をよく見ることでしょう。これは見方にも力量が必要で、ちゃんと見られる人と見られない人がいるんですね。「今の日本企業」と言うことは、森を見るようなものです。森ではなく、1本1本の木をちゃんと見るという見方というのは、僕の仕事の重要な1つのゴールですよね。だから『ストーリーとしての競争戦力』という本を書いたのも、1本1本の木を見るために役立つようなものになれば、というのが動機の1つですよね。
――楠木さんはどのようにして、1本1本の木を見る視点を養われたんでしょうか?
楠木建氏: 僕も話を単純化して「日本企業は」ってよく言います。ただ、それは傾向論もしくは土壌論ですね。日本という土壌の上に色々な木が生えている。その土壌を議論することに意味はあると思うんですよ。ただ、土壌は約束しないし、責任はないわけです。その土壌のどこにどのような種を植えて、どうやって育てて花を咲かせるのかというのは経営の責任なんですね。だから、土壌とか傾向に意味はありますが、実際にこの仕事を始めて色々な会社を見ると、当然一社一社違いますよね。だから自然と、やっぱり木を見なきゃダメだなという気持ちになりますよね。
――研究者の中では楠木さんのような考え方は珍しいですか?
楠木建氏: なるべく科学的な手続きなりフォーマットに乗って研究をするべきだっていう人は、やっぱり学者には多いですよね。その科学的な手続きっていうのは、なるべく大量のサンプルを観察して、そこに認められる普遍的な因果関係を発見しましょう、というスタンスですね。経営学を科学だとしたら、僕がやっていることは全くそれから逸脱しています。なぜかと言うと普遍的な法則なんかないっていうのが僕の立場ですから。個別の会社の違いを見ていくというのが僕のスタンスです。ようするにケース・バイ・ケース。それでも商売にとって役立つ論理を抽出することはできる。それが僕の仕事。理論よりも論理ということです。
医者で言えば「臨床」、経営ならば「現場」に役立つ知識を
―― 2010年、『ストーリーとしての競争戦略』、がベストセラーになって実務で経営をしている方に大きく反響がありましたね。
楠木建氏: 普通の経済学者は、アカデミックな手続きにのっとった学術論文を書いて、審査を受けて学術雑誌に掲載して、それが経営学者のコミュニティーで広まっていって、いい研究だと引用される。僕はあるときからそういう活動はしていません。僕のオーディエンスは学者のコミュニティーじゃなくて、実際に商売をしている人なので。そういう人にインパクトがあればいいと考えています。だからいまみたいな話からすると、経営学者じゃなくて経営論者。仕事上の興味としては、やっぱり「商売がもうかるために大切なロジックは何かな」ということを考えているということに尽きます。特に僕の場合は、「競争の中で長期的な利益を出すためにはどういう理屈が大切か」ということを考えていますね。
――楠木さんは他の研究者の方たちとは違うスタンスで活動されていらっしゃるんですね。
楠木建氏: 今は自然科学のアナロジーとしての経営学にはあまり興味がない。以前は研究というのはそういうものだと割り切ってやっていたこともありますが、仕事を始めてから7年くらいやってみて、「自分にとってはこの線はないな」と思って、手じまいにしました。なるべく大量のサンプルから因果関係を発見しようとするような学術論文も書きましたけれども、そういう論文はアカデミックのコミュニティーの中では読まれますけれども、一般には読まれない。そもそもが商売している人のために役に立ちたくてやっているはずなのに、商売をしている人には届かないんですよね。まるで、現実に患者を診ているお医者さんに使われない知識を蓄積している基礎医学をやっているような気がしたんで、もうちょっと臨床をしたいなと、患者さんに届くためにやりたいなという風に思ったんですね。ただ、こんなことをちゃんとした経営学者、要するに僕以外の殆どのちゃんとした人が聞いたら「何を言っているんだお前は」と思うと思いますね。ま、良し悪しではなく好き嫌いの問題ですね。天丼とカツ丼どちらがいいんだみたいな話で、僕はカツ丼がいいんだと(笑)。
小学5年生までアフリカ育ち、その影響でテレビはあまり見ない
―― 楠木さんは幼少期アフリカで過ごされたんですね。
楠木建氏: ええ、僕はアフリカで育ったんですが、小学校5年生にはもうこっちに戻ってきていたので、別に大人になってからの仕事上の影響っていうのはあまりないですよね。
―― 生き方の面ではどうですか?
楠木建氏: やっぱりアフリカは非常にのんびりとしていましたので、のんびりしたグウタラな性格になったと思います。宿題はおろか、授業すらまともになかったですからね。学校は寺子屋みたいな感じですね。だから日本に帰ってきて「周りの同級生のやる気が違う」と思いましたね。日本では部活もすごく一生懸命やるでしょう。全くああいうのはできませんでしたね。
―― 帰ってきてからご苦労はありましたか?
楠木建氏: いや子供ですからね、適応も早かった。でもテレビを見た時はびっくりしましたね。アフリカには当時はテレビ放送がなかったから。「オッ、これがテレビか、中に小人が入っているんじゃないの」っていうくらい。だから僕はテレビを見る習慣があんまりなくて、多分この30年間ぐらいでテレビを見た時間を全部合計すると、28分ぐらいだと思います。1年に、50秒ぐらい(笑)。1年に1分も見てないと思うんです。テレビはアフリカ時代の生活の1つの影響でしょうね。
読書は趣味のものを年間300冊
――楠木さんの情報源はどういったものですか?
楠木建氏: やっぱり本や雑誌を読んだり、論文を読んだりしますね。普通にそれは仕事でやりますよね。テレビはなくてもまったく困りません。
―― 学生時代のころはいかがでしたか?
楠木建氏: 読書が本当に好きでしたね。
――何冊位読まれますか?
楠木建氏: 仕事以外の趣味の本では、年間300冊ぐらい読むと思うんですけどね。仕事で読むものは、仕事なので「読書」には入らない。朝早く仕事を始めて、なるべく早く帰る。4時ぐらいに仕事が終わったら家へすぐ帰ります。娘の部活とどちらが先だ位の勢いです(笑)。お酒も飲まないので、読書以外にやることがないんですね。仕事へ行って、ジムへ行って、うちへ帰る。それで読書して、ご飯を食べて、読書をして、寝る、みたいな。平日はそんな感じです。土日は、仕事がある時とない時がありますけれども、ない時は基本的に読書ですね。あとはバンドの練習へ行きます。
―― バンドをやっていらっしゃるんですか?
楠木建氏: 弟とブルードッグスというバンドを組んでいて、70年代のロックをやっています。ライブは恵比寿のLive Gate Tokyoに出ています。
―― 仕事ではなくて読書として読まれる本は、どちらで購入されますか?
楠木建氏: 今はAmazonが多いですね。自分の楽しみで読む本は、半分以上Amazonで購入します。あまり系統立って読まないですけれども、割とレコメンデーションとかにつられますね。基本的にフィクションよりノンフィクションの方が好きです。やっぱりフィクションだと何でもアリなんで。現実に世の中で起きたことの方が、頭が動いていいですよね。僕は割と頭を動かしていたい方なんで、そういう頭が動く本の方がいい。そうすると何か頭が動いて、理屈が分かってスカッとする。多分これはスポーツをやるみたいなのと同じような爽快感なのかもしれないですね。腑に落ちると、モヤモヤしたものがなくなってスカッとするという感じですね。
―― レコデンメーションも活用されてるんですね。
楠木建氏: やっぱり考え事というのは注意だと思います。情報というのは幾らでもあるわけですけれども、そこに人間の注意が注がれて思考がスタートする。人間の注意量っていうのは一定ですから、単純に取り得る情報の量を増やしていくと、それに注がれる注意は減る。だから僕は情報の量を増やすということには全然関心がないですね。だって、一生かけたってね、100回ぐらい生まれ変わっても消化し切れない情報がすでにある。希少性がまるでない。だから、もう普通に成り行きで当たっていって、本が面白ければもうそれでOK。どこかに面白い本がないのかなって探したりとかはしないですね。ただウロウロしているだけでも、千冊ぐらい面白い本があるじゃないですか。それを読むだけでも3、4年かかりますからね。だから僕はもうおなかいっぱいですね。これはありがたいことですよね。尽きない喜びだと思うんですよ。
手元に本は残さない、90パーセントは古本屋に売る
――それだけたくさんの本を購入されると、ご自宅には書斎がありますか?
楠木建氏: 書斎はありません。本はベッドの上で読みます。書き物は食堂のテーブルを流用しています。収納する場所が限られているので、90パーセント本はすぐに売ります。だから殆ど手元には残さないですね。ちょくちょく見たい本はもちろん残しておきますけれど、9割ぐらいはそのまま処分してしまいますね。それでも壁面全部本棚ですね。居間や寝室の壁を全部本棚にして、そこに入れています。うちの妻がまた本をたくさん読むので、そちらの本がどんどんたまっていって、うちにある本はもう8割がた奥さんの本です。僕のはちょっとだけ置いてある(笑)。
電子か本かはインターフェースの問題、慣れたら何かのタイミングで切り替わる
――電子書籍の話もさせていただこうと思います。読書好きの楠木先生が考える電子書籍のメリットはどういったところでしょうか?
楠木建氏: 僕は経験がないのですが、電子書籍っていうインターフェースに慣れたら、僕の本はどんどん処分しちゃうっていうやり方からして、電子書籍の方が向いているんでしょうね。紙に対する思い入れは全くないです。ただ電子書籍を使ったことがないんです。何で使わないのかというと紙に十分満足しているんで。
――どうしたら電子書籍を使うようになると思いますか?
楠木建氏: 習慣の問題だと思いますね。合理的にどちらが便利だと比較して決めるものじゃなくて、習慣としてそうなっていくと思うんです。もしかしたらいつかのタイミングで僕も切り替わるかもしれません。ただ、僕は新刊書より、中古の比較的古い本をテーマごとで読んだりします。そういうものは電子書籍になっていないんですよ。基本的には絶版になっていたりするので、Amazonで中古を買うんです。Amazonは、そういう時に非常に便利ですね。だからあんまり電子書籍を買うことを考えたことがないんですね。
言われてみれば当たり前なのに見過ごされがちなビジネスの論理を伝えていきたい
―― 最後に今後、楠木さんが伝えたいことや、やってみたい取り組みをお伺いできればと思います。
楠木建氏: 自分で書く本のテーマですと、当たり前なのに、言われてみるまでなかなか分からない、そういった現実の商売に役立つような論理を考えたいなと思っています。あとは、「戦略読書日記」という連載をウェブでしていまして、今年の前半ぐらいには、それが本になって、プレジデント社から出ますね。それは、書評の形式を取っているんですが、それは形式だけで、中身はある本に触発されて僕が言いたいことを言うっていう、そういう本です。ただの書評ではなくて、それをきっかけに僕が大切だと思っていることを主張するという割とウザい本なんですけどね(笑)。タイミングとしてはこの本よりも早い発売になると思いますが、経営のセンスと論理についての本を新潮新書から出します。お読みいただければ幸いです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 楠木建 』