メディアや流通経路は関係なく「面白いもの」を作りたい
向山貴彦さんは、1970年アメリカのテキサス州に生まれ、山口県下関市に帰国後、フリーのクリエイター集団、スタジオ・エトセトラを設立。1999年、幻冬舎よりベストセラー『童話物語』でデビューしました。また2001年『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』を出版し、ミリオンセラーを達成、クリエイター、小説家、翻訳家として活躍されています。向山さんに、電子書籍について、本とのかかわりについて伺いました。
昔から書き続けている小説、昔と今の自分の合作も。
――向山さんといえば、『ビッグ・ファット・キャットシリーズ』や『ほたるの群れ』で大変に有名ですが、最近はどのような活動をなさっているのでしょうか?
向山貴彦氏: 最近は『ほたるの群れ』の続編を執筆しています。僕の場合、小説を一本書くのにひどい時には10年ぐらい掛かってしまうので、『ほたる』以外に並行して書いている小説が2、3本あります。一番長いもので、22年位書き続けているものがあるでしょうか。『童話物語』が確か考え始めて14年、書き始めて7年——。『ほたるの群れ』を最初に考えたのが小学6年から中学1年くらいですから、大体30年弱位。そんな風にいつも4つか5つ、頭の中の樽に入った状態のものがあるので、それを熟した順番に出していく、味噌屋みたいなやり方をしています。あとは、電子書籍の方でやりたいことがあるので、それも同時に進行しています。
――熟成したものから順番に出版されるんですね。
向山貴彦氏: もともと『ほたるの群れ』には中学校の時に友だちの間で回し読みしてもらっていた原型の小説がありまして。とても今お見せできるようなものじゃないんですけれども(笑)。それを40歳くらいになって見返してみると、今の僕が全く持っていないような要素がたくさんありました。ただ、中学生ですから当然のように力不足で、本当に書きたいようには書けていなかったんです。だったら今、もう一度中学生の時の自分が読みたかった話を書けないだろうか、と思いまして。当時の自分が本当に書きたかったものを、25年たった僕が書いているというのが『ほたるの群れ』です。変な言い方をすると、中学校2年の僕と40歳の僕との合作です。僕が書いている話の殆どは小中学生の時に芽が出てきたものを20年、30年育てているので、ほぼ例外なくそんな形になっています。
――昔の自分と今の自分の合作というのは、とても面白いですね。
物心ついたらお話を書いていた
向山貴彦氏: 僕はアメリカで生まれたんですが、当時、両親がベビーシッターを雇うお金がなくて、図書館に長時間預けられていたんです。そこに図書館員の親切なおばさんがいて、僕が退屈そうにしていると、よく余った紙切れとペンをタダでくれて(笑)。することがなかったので読んでいる本のマネをして書くということをよくやっていたんですね。3歳ぐらいの時からそうやってマネして、文章を書くようになって、それで日本に帰ってきてからもひたすらお話を考えるようになりました。中学生になったころには9年間ぐらいやっている計算になるので、大体書きたいと思う話が3つか4つできていました。そこから少しずつ増えていって現在に至る形です。
――では、もう3歳のころからすでにそういう芽ばえがあったのですね。
向山貴彦氏: ただ単に、一日中お話のことばかり考えているだけの子どもだったと思いますよ。
―― アメリカの図書館というのはどのような感じなんでしょうか?
向山貴彦氏: 日本の図書館との大きな違いがあるとしたら、非常に開かれていることだと思います。とにかく営業時間がすごく長い。特に僕が預けられていたのは大学の図書館だったので、深夜11時まで普通に開いていたんですよ。中には食堂もあれば、スナックコーナーもあって、そこで生活できるぐらいの場所だった。何よりも子ども用の本が極めて充実していて、パソコンのはしりみたいなものもすでにありました。とにかく子どもセクションっていうのが大人セクションに負けないぐらい気合の入った施設だったんです。できれば日本の図書館もそうなってくれるといいなと心から思っています。
――その頃に書いたものは残っていますか?
向山貴彦氏: この前、実家の整理をしていたら、僕が3歳ぐらいから書きためたものが全部出てきました。えらい恥ずかしいものの山が、段ボール箱で10箱とか15箱分とか。親が何でもとっておく癖があって、どうやら僕もその癖を受け継いでいるようで(笑)。だから自分の書いたものは殆ど残していて、発表している作品数がそんなに多くないくせに、倉庫の中にはたくさん原稿がありますね。
良い作品は寝かせても腐らない
――そこから色々なものが出てくるのですね。それがまるで味噌のようだと。
向山貴彦氏: そうですね、樽を幾つか置いておくと、それが時間の審判みたいなものを受ける。考えた時点ではその話が本当に面白いかどうかなんて自分では分からないのですが、10年とか20年とか寝かせておくと、いい作品はいつまでたっても頭の中から消えないですし、悪い作品はやっぱり腐っていくんですよね。だから、一番簡単にいいと思う作品を見つけるには、よく寝かせておくのがいいんだろうなと思います。
中学生の仲間が集まって作ったクリエイター集団「スタジオ・エトセトラ」
――スタジオ・エトセトラについてもお伺いしたいのですが、土台としては、中学時代のお友だちが中心となっているのですね。
向山貴彦氏: 山口県の下関市立山の田中学校というところで、通称「やまちゅー」あるいは「やんちゅー」というんです。その中学校に今のスタッフの大半がいまして、当時からその4、5人と、集まってボードゲームをやったりとか、何か作ったりしていました。創作といえるようなレベルのものではなかったのですが、その時からもうスタジオ・エトセトラと名乗っていた覚えがあります。僕はお話を書いていて、たまに絵を付けてもらったり、回し読みしてもらったり、学園祭用のビデオを撮ったり、まあそういうようなことをやっていたんです。ちゃんと形になったものは数えるほどですけど(笑)。 そして、東京の大学に入って、フッと気が付くと、別に示し合わせたわけじゃなかったんですが、みんな上京していて、プログラマーとかウェブデザイナーとかグラフィックデザイナーとか、そういったことをやっていた。それで「じゃあもう一回東京でやろうか」ということでスタジオ・エトセトラを再結成したんです。別に会社というわけでもなく、何かの営利団体でもないんですが、集まって何かやろうと。感覚は中学校の時と全く同じで、あの時よりは少し規模が大きくなった感じです。でも、だいたいはみんなで集まって遠足に行ったりとか(笑)。一般に公開していないスタジオ・エトセトラの活動もいっぱいやっています。一番一般に出ているのが「本」という感じでしょうか。
――そのお話自体がまるで小説のようですね。
向山貴彦氏: 一番古いスタッフで小学校4年生ぐらいからの付き合いなので、全部でもう三十何年とかになります。比較的最近加わったスタッフの猫蔵でも、もう16年ぐらいです。なので、仕事をしているというよりも、家族のように付き合いがあって、たまに一緒に仕事をしているという感覚です。
――今おっしゃっていただいたように皆さんプログラマーとか、それぞれ好きな道を進まれたということですが、その中で会社勤めをされている方もいらっしゃるのでしょうか?
向山貴彦氏: 会社に勤めている人間もいますが、今は殆どフリーばかりです。みんな本業はまじめにしているんですけど、その横でちょっと変わったことを時々やっている。それがスタジオ・エトセトラだと思うんです。スタジオはみんなの遊び場で、その中で面白いものができた時には世間に見てもらえればいい。そんな感じのスタンスなので、非常にルーズな団体です。どこまでがメンバーかもよく分かっていませんし、もう10年ぐらい行方不明の人もいますので(笑)。だから、その時その時、ここに集まってくる人がスタジオ・エトセトラだという風に考えています。
積み重なった夢の重み
――向山さんはなぜ作家の道を選ばれたのでしょうか?
向山貴彦氏: 実際、選んだことはないんです。物心ついた時にはお話を書いていて、そのままずっとお話を書き続けて、そして、今もお話を書いているだけです。ただ10代の後半ぐらいに長期間入院をしまして、そこの病院で、僕が退院する時に「絶対夢をかなえてほしい」というようなことを言われたりしました。その中にはもう「無理でした」と謝ることのできない人もいるので、そのくらいのころからさすがにやめられないなと思い始めました。
――選んだ、というよりそうなっていた、と。
向山貴彦氏: 小学校の時からずっと「作家になりたい」と周りに言い続けていたんですが、そんな夢はどちらかというとばかにされる方の部類で。授業をさぼって小説を書いていても、やっぱりからかわれました。今のうちのスタッフも僕が書いた小説の端っこに落書きとかいっぱいしてましたし(笑)。でも不思議なもので、小学校6年、中学校3年、ずっとそういうことを言い続けていると、中学の卒業式の頃には、みんなが本気で応援してくれるようになってまして。
――友人やお知り合いに夢を託されたのですね。
向山貴彦氏: ずっとからかっていたようなやつから、卒業式の時にまじめな顔で「一生本屋で探してるから、絶対本出せよ」と言われて。それはもう頑張るしかないな、と。そういうことが20年分ぐらい重なると、いまさらゴメン、やめましたっていうのは許されない状況になって、それで結果的にこういうことになっているんだと思います。
「打ち上げ」ができないほど全力を出し切る
――執筆される上で、何か大切にされていることはありますか?
向山貴彦氏: とにかく読者第一っていうだけです。「スタッフは2、3人死んでも読者が楽しんでくれれば」ぐらいの感じです(笑)。スタジオ・エトセトラには打ち上げという習慣がないんですよ。最後の1分まで作業をしていることが多いので、たいてい終わった時には打ち上げするような力が残っていない。2か月くらいたってからみんなで集まってお酒を飲んだりすることはあっても、終わってすぐに打ち上げをやったことはたぶん一度もないと思います。あと、大事にしていることですが、僕らの作品はできるだけ若い子に読んでほしいと思っているので、お小遣いで本を買ってくれる人のことをなるべく忘れないようにしています。
―― 制作現場というのはどのような感じなんでしょうか?
向山貴彦氏: ひどいですよ(笑)。たぶん一般にイメージされているような「仕事場」みたいなのはなくて、ソファでパソコンに文章を打ち続けて、疲れたらそのまま横になって寝て、また起きて仕事したりしています。『ビッグ・ファット・キャット』の時は締め切り直前になると、だいたい誰かが体を壊してました(笑)。本当に色々な人に迷惑を掛けながらいつも作品を作っています。そんな中でいつもなんとか作品を仕上げることができているのは、昔から人に恵まれているからだと思います。それだけは本当に自慢です。
本をお小遣いで買ってくれる読者のことを、いつも忘れない
――向山さんの作品も電子化して読みたいというユーザーがいらっしゃるのですが、本を電子化することについてのご意見をお聞かせください。
向山貴彦氏: 単純に思うのは「安くしたい」ということですね。昔、どこの出版社だったか覚えていないんですけれども、キャンペーンで「想像力と数百円」というキャッチコピーで文庫を売っていた出版社がありました(編集部注:1993年の新潮文庫のコピー)。今でもとても好きなフレーズです。数百円と想像力があったらどこでも行けるというのが、本来は本であってほしいと思います。 電子書籍で今回『ほたるの群れ』の一巻を100円で出させてもらったのですが、本当に100円で売ることが可能なんですね。もちろん利益を出すのはなかなか大変だと思いますが、紙の本を100円で出すのはおそらく不可能だと思うので、電子書籍には大いなる可能性を感じています。
――今、どうしても電子書籍というと子どもが置き去りにされているという感じですね。
向山貴彦氏: 今は不況ですし、お小遣いが少ない子もいっぱいいると思うので、そんな中で子供でも買える娯楽であってほしいと思っています。子供たちだけでなく、本来なら「本」は誰でも気軽に手にできる一番庶民的なメディアであってほしい。電子書籍にはそういう意味でも、とても期待しています。
電子書籍をもっと読みやすい形へ
――書き手として何か新しい試みというのはできそうですか?
向山貴彦氏: あまり詳しくは言えないんですが、電子書籍で全く違う形のものをやりたいとは思っています。電子書籍というメディアになっても、前提条件として「本はこうでなければならない」という思い込みを幾つか引きずっていると思うんです。その前提条件の2つぐらいを崩すことができたら、もっと電子書籍が読みやすくなるんじゃないかなと。まだ紙が電子になったという段階だと思うので、これからじゃないでしょうか、変わっていくのは。
――今後は電子書籍も含め、どんなことを読者へ伝えていきたいと思われますか?
向山貴彦氏: 何かを伝えたいというよりは、本当に面白いものを作りたいというだけで、メディアも流通経路もあまり気にしていません。紙じゃなければいけないとも思いませんし、デジタルが万能だとも思いません。僕がやりたいのは、ただ、聞いてくれる人が一人でもいる限り、お話をしたいというだけです。だから極端な話、世界が滅びて電子書籍や本がなくなったとしても、たき火を作ってそこに子どもが集まれば、きっとそこでお話をしていると思います。 子どもの時からずっとやっていることなので、お話を作れたらそれで幸せです。ましてや読んでもらえたらもっと幸せで、面白いといってもらえれば、もうこれ以上の幸せはないですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 向山貴彦 』