吉村作治

Profile

1943年東京都生まれ。66年、アジア初の早大エジプト調査隊を組織し現地に赴いて以来、50年以上にわたり発掘調査を継続、数々の発見により国際的評価を得る。05年1月には未盗掘・完全ミイラ「セヌウ」を、07年10月にはエジプト学史上非常に珍しい「親子のミイラ」が埋葬されている未盗掘墓を発見し、大きな話題となった。そして、09年2月には、ラムセス2世の孫王女の墳墓を新たに発見した。11年6月、第1の石蓋引き上げに成功した、古代エジプト最古の大型木造船「第2の太陽の船」を発掘・復原するプロジェクトにも、全世界からの注目が集まっている。大好評のもと終了した、『早大発掘40年展』と『新発見!エジプト展』の2つの展覧会に続き、新企画『吉村作治の古代七つの文明展』を、2011年6月から福岡市博物館を皮切りに開催し、現在、全国を巡回中。

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大事なのは人生を楽しむ「時のデザイン」ができること



日本を代表するエジプト考古学研究者である吉村作治先生。長年、テレビや書籍、その他多くのメディアで、エジプト考古学の魅力を紹介してくれています。世界をまたにかける先生の移動距離は軽く地球を200周したといいます。「動いていてもじっとしていても、疲れ方は同じ」そんな活動的な吉村先生のエジプトに対する情熱、仕事、人生観、そしてもちろん電子書籍についても、お伺いしてきました。

発掘人生初めての怪我


――早速ですが近況・・・(両手に松葉杖をついた先生が登場)先生、その怪我は!?


吉村作治氏: 私、今年でエジプト考古学に携わって47年目なんだけども。初めてね、怪我しちゃいました。今、第二の『太陽の船』というのを発掘しているのですが、それを保存処理をしてから復原をするという事をやっているんですね。大体10年位かけて行っているプロジェクトでして、大体半分位済んで部材を取り上げてそれを保存処理しようという段階だったのです。

その部材を取り上げる先頭に立って作業を行っていた時に、事故は起きました。小さなテントで、その下に幅が20メーター深さと長さが4メーター4メーター位の溝があるんですよ。ピットと言います。

そこに舟の部材が解体されて、埋設されています。その船の部材を空中に浮いているゴンドラに乗って上から取っていくんです。それの一番上に乗ろうとして岩盤の上から滑ったんですよ。それでそのままストンと落っこちちゃって。本当に奇跡的にですね、幸い舟も、部材も破損せずに済みました。足も、4メーターからの落下なら普通、足挫いたりしますが、右足のくるぶしの所を捻挫、それから、じん帯を損傷しただけで済んだんです。

――そんなときでも一番は発掘の部材ですか!木材の方には何もなかったという言葉に、本当に並々ならぬ愛情を感じます。


吉村作治氏: そう、それが一番大事なの。(笑)落ちながらどうしようかって、壊したらどうしようかとかね。考えましたけど。上手く避けられました。

――普通ならまず自分の命が第一じゃないですか。命に関わることですし。4メーターって言ったら。


吉村作治氏: 遺物の方が大事でしょ。命よりも。

――はー(感嘆)


吉村作治氏: それで、足を挫いてうずくまっている所をゴンドラが助けに来るわけですが、ともかく、「一つ目は僕が取り上げなきゃいけないっ」と思って。怪我したまんまですが、取り上げました。「残りは任せた」と現場の主任にお願いして、そのまま救急車で病院に運ばれたんですよ。

――本当に「転んでもタダでは起きない」んですね。エジプト魂を感じます。


吉村作治氏: 何のために行ったか分かんなくなっちゃうので。それよりも事故をして、自分がその場に居ないほうが残念です。47年で一度も現場で怪我したことなかったんですよ。

――今回のような怪我や事故は、現場では頻繁に起こるものなんでしょうか。


吉村作治氏: 現場という性質上、やはりそういうことはままあります。大体皆、穴に落っこちるんですよ。それを見て皆は「へへん、バカな奴だ」と思ってたのと同時に、そこで一人前の普通の考古学者として認められるようなところもあるんです。今まで「吉村作治は落ちない」という伝説があったのですが、今回の件で、ようやく僕も一人前の普通の考古学者になることができて気が楽になりました。(笑)

――吉村先生らしいポジティブジョークですね。




吉村作治氏: まぁ、まじめに考えると、慣れから来る油断でしょうね。われわれ研究者が遺跡の発掘現場に入る場合は、かなり気をつけているんです。たとえば生きている人間はばい菌とか細菌とかいっぱい持っています。我々研究者が菌を持って遺跡にうつしちゃいけないから、白衣にマスク、眼鏡と手袋をして。靴にはビニールをかけて行うという念の入りようです。

でもそれが、良くなかったのでしょう。今回の船の材料は木でできているのですが、木っていうのは湿気を高く保たないといけません。作業場では大体、85パーセントから90パーセントの湿気を保たせています。その状況下でビニールに覆われた地面を、ビニールの袋をかぶせた靴で歩くわけです。湿度が高いので、岩に汗かいてる訳ね。岩って冷たいでしょ?すると、温度が高くて湿度が高いから露の状態でそこに滑っちゃった。だからそこはやっぱり、慣れてるとは言えそういうことは知ってるんだから、気をつけないといけませんでしたね。

――では、普段から危険な状態で、作業されていたのですか。


吉村作治氏: そういうのを知った上でやったから、それは危険ではなかったんです。逆に、危険じゃないものって世の中にないから、全部危険とも言えます。13メーター下のピットでの発掘作業もたくさん経験してきたけれど、一度も落ちたことなかったんですね。もちろん、ちゃんと命綱をつけたり対策は講じていたのですが。4、5メーターっていう油断もあったんでしょうね。

――周りは大騒ぎになったのではないですか?


吉村作治氏: 僕が心配するぐらい、周りは大騒ぎでしたよ。でもね、僕で良かった。他の人だったらそんな上手く対処出来なかっただろうし。それに、事故をしてしまった人の損害賠償の問題も出てくるでしょ?自分自身には損害賠償申し立てられないですからね。それに一番大事なのは、今回の事故で、危ないってことが認識されて皆が気をつけるようになったことです。やっぱり、自らが証明するのが良いんですよ。他の人じゃまずいです。

――先生、笑い事にされてますが。


吉村作治氏: そうそう、笑い事。それで、帰って来たのが土曜日でしょ。家の近所で日曜日に診療をやっているところが一箇所だけ見つかったので行きました。そこで、エジプトの病院で撮ったレントゲン写真と新たに撮った写真と見比べて、骨に異常が無いか確認してもらいました。「異常なし」ということで、「ああ良かった」と思った途端、急に足が痛くなりました。(笑)

そしたら、次の日雪なんです。自宅と仕事場であるここエジプト考古学ビルを、丁度この松葉杖で雪の中、2往復しましてね。それは、自分でも偉いなと思いましたけど。また、明日に大阪行かないといけません。

著書一覧『 吉村作治

この著者のタグ: 『海外』 『生き方』 『可能性』 『研究』 『メディア』 『研究者』 『遺跡』 『時のデザイン』

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