デジタル化不能な「インテリジェンス」を武器とせよ
田中靖浩さんは公認会計士。しかしお仕事の内容は監査や決算書作成といった「会計士」の一般的イメージとは大きく異なります。経営コンサルティングやセミナーのほか、テレビ・ラジオ等への出演、落語家とコラボした講演などにチャレンジ。また、専門知識に裏打ちされた会計の入門書が高い評価を受けています。前例のないキャリアを歩んできた田中さんの仕事観、人生観に迫りました。
ITの発展で会計士がいらなくなる?
――田中さんは、会計士という枠を超えてご活躍ですね。
田中靖浩氏: 名刺に「公認会計士」と付いているので、当然、会計実務の仕事をしていると思われがちですが、それとは全く違う仕事をしています。なかなか理解してもらえないですね。
――外資系のコンサルティング会社のご出身とお伺いしました。
田中靖浩氏: そうです。国際税務のコンサルティングで一生懸命頑張っていたのですが、ただ残念ながら、計算が弱かった(笑)。電卓を叩いてばかりの毎日にイライラし、ストレスがたまって、胃かいようで吐血しました。人間にとって、お金にかかわるストレスと、時間にかかわるストレスは2大ストレスです。お金を仕事にする会計士はミスが許されない。勘定が合って当然。それでも「別の会計士から、あと100万節約できるって聞いたぞ」と怒られる。素人に「テレビで言ってたぞ」みたいなレベルで食ってかかられて、その裏を取らなければいけない。お金についてはエゴがむき出しになるので、ストレスフルな状況でした。あとは時間です。監査にしても申告書や決算書にしても、期限がある。執筆の原稿だったら「お腹が痛い」と言って延ばせますが(笑)。こうしたストレスを抱える仕事でありながら、会計の仕事はお金がどんどんもうからなくなってきている。私が会計士になったのは25年以上前ですが、当時から自分なりに業界が厳しい状況になっていくという読みがありました。かつ仕事が面白くなくなるので、できるだけ離れようと思っていました。今にしてみれば、正解でしたね(笑)。
――離れようと思われたのはどういった理由からでしたか?
田中靖浩氏: 私が仕事を始めたのが、ちょうどITが発達してきた時期です。Windowsはまだなかったですが、MS-DOSが一般的であり、MS-DOSプラス一太郎にLotusみたいな環境でした。すこしづつ優秀な会計ソフトが出てきて、「この先何十年たったら、会計の仕事はなくなる」と思いました。自分も会計関係のソフトウエア販売にかかわっていたのですが、最初は会計事務所が買うと思っていたところ、実際のユーザーはほとんど事業会社。ということは、会計事務所は首を切られたわけです。会計士の技術的ノウハウが、コンピューターに置き換えられていったわけです。
「バブル就職」真っただ中、就活をやめた理由
――既に確立されている業界から、外に出ることに不安はなかったのでしょうか?
田中靖浩氏: もちろん恐怖がありました。業界のみんなが「それがいい」という価値観をけっ飛ばして大丈夫なのかと。仕事に我慢できなかったことに、劣等感や不安もありました。最後は、もう意地だけです。大勢について行く気はないものの、1人になるのはやっぱりつらい。そのせめぎ合いです。自分を「迷うな、迷うな」と励まし続けていました。今でもそうですけど。
――会計士を目指したのはなぜだったでしょうか?
田中靖浩氏: 会計士になりたかったのではなく、独立したかった。大学を卒業した80年代後半は誰でも就職ができるバブル時期で、私がいたゼミでは多くの友人が金融機関に入りました。当時の金融機関、証券会社は最初のボーナスが100万円超えていた。
私はそんな時代だったからこそ就職活動をやめたんです。「今がピーク」という思いがあったからです。当時NTT株の初の売り出しもあり、世の中が株で浮かれていたんですが、土地と株が上がるのはチューリップ投機と同じで、いつか痛い目を見ると思っていました。それで、自分の力で生きていこうと決めた。
会計士を選んだのは、商学部で会計のゼミにいて、先生に「独立したい」と相談したら「会計士か税理士でも取ったらどうだ」と言われたからで、もともと職業に愛着はないんです。それどころか、会計を学んでみると、自分が一番不得意な分野だった。計算ができないし、そもそも銭勘定なんかどうでもいいと思っていた。でもいまは若い時期に勉強できて良かったと思っています。試験というハードルをクリアするために、苦手分野を勉強する機会があって。