辰巳渚

Profile

1965年福井県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部地理学科卒業後、株式会社パルコ、株式会社筑摩書房にて雑誌・書籍編集者として勤務。その後フリーのマーケティングプランナー・ライターとして独立。著書『「捨てる!」技術』(宝島社新書)は100万部のベストセラーとなる。2008年から家事塾主宰、2013年6月から、南青山にて「辰巳渚のくらしのこと学校」がスタートする。近著に『人生十二相~節目を生きる日本の知恵~』(イーストプレス)。
【HP】http://tatsumi-nagisa.com

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自身の感覚を、他者との「対話」で形にする



辰巳渚さんは、100万部突破のベストセラー『「捨てる!」技術』をはじめとした著書、「家事塾」等の教育事業で、ものと情報があふれる現代社会を心豊かに生きるための生活哲学を世に問うています。小さなころから本をこよなく愛し、雑誌、書籍編集者の経験もある辰巳さんの目に、ものと情報の関係を変える電子書籍はどのように映っているのでしょうか。本作りにおいて変わるもの、変わらないものについて考えました。

自宅そのものが「家事塾」である


――早速ですが、辰巳さんの近況を伺えますか?


辰巳渚氏: 今は茅ヶ崎に住んでいます。プライベートでは息子、娘も順調に育っているけれど、中3の息子が受験だし娘は小3なので、まだまだ子育てをしている状態です。仕事は、ちょうど今大きく動いている時ですね。家事塾を4年間やってきましたが、6月から新しい場を作ろうとしているところです。

――どういった「場」を作られるのでしょうか?


辰巳渚氏: 今までは、私が各地に行ってセミナーや講演をしていたのですが、南青山に場所を借りて、そこで私が皆さんに教える学校のような場所を作ろうとしています。「辰巳渚のくらしのこと学校」という名前です。6月4日にプレオープン、半ばには本格的に稼働しはじめるので、今後は仕事の仕方も大きく変わるかなと思っています。

――現在は南青山と茅ヶ崎を往復されているわけですね。本日は茅ヶ崎のご自宅にお邪魔しているわけですが、家具などにこだわりが見受けられて、素敵な空間ですね。


辰巳渚氏: ありがとうございます。10年かけて手を入れ続けた家なので、本当に大事に思っていますし、家が家事塾そのものだという思いでやっています。家は中古で買ったものですけれども、家具は一個一個、好きなものを買いそろえて、年に1回はリフォームをしているような状態です。



幼いころから本に携わる仕事がしたかった


――辰巳さんの幼少期について、特に本との関わりをお聞かせください。


辰巳渚氏: 私はぜんそくを持っていたので、動くと苦しくなってしまうこともあって、基本は家にいる子どもだったんです。家では大体本を読んでいて、本と共に育った感じです。母が「お友達が遊びに来ても本を読んでいる」と言って心配していましたし、学校の先生にも、「いつも本を読んでいるね」などと言われていました。

――どのような本を読まれていましたか?


辰巳渚氏: 小説です。親はあまり本を読まない人だったのですが、昔は児童文学全集などを買いそろえていた家庭も多かったんですよね。それで、そのような本を入り口に読んでいきました。小学校の時は名古屋の北の外れに住んでいたのですが、周りは田んぼばかりで、図書館も本屋もないんですね。だから本に飢えていたところもあって、好き放題に本が読める環境にいたいと思っていました。

――文章を書く方はいかがでしたか?


辰巳渚氏: 書くのは好きだったのですが、作文は自信があるのにいつも先生の評価が低かったんです。だからなのかは分かりませんが、小説家になりたいと願うよりも、本に関わる仕事をしたいと思っていました。当時、好きなことが本当に読書しかなかったからかもしれませんね。小学校の時に父が亡くなって、東京に引っ越して来てからも、本を仕事にしたいという気持ちはずっと持っていました。

――大学はお茶の水女子大学の地理学科に進学されますね。どうしてだったのでしょうか?


辰巳渚氏: 小説が好きなので国文学かな、とも考えましたが、国文学は勉強ができて真面目な女の子の行くところだったんですよ。自分は別に文学者の研究をしたいわけでもないし、方向が違うと思ったわけです。哲学科や心理学科などにも関心はありましたが、、結局、自分が何をしたいか分かりませんでした。その中で、地理学というのは、扱う内容が幅広いんですね。私が行った大学では文系なのですが、東京大学だと理系なんです。地理は地球上で人が生きている以上、全てのジャンルに関わっていて、歴史地理学、経済地理学、都市地理学など、上に何を持ってきても下に地理学が付けられる学問なんです。要は、何をしてもいいという束縛のない感じがすごく好きだったんです。私の専門は気候学で、都市気候学をやって、当時話題になり始めていたヒートアイランドが卒論でした。

マーケッターとして「伝えること」を学んだ


――大学卒業後は、パルコに就職されて、マーケティング雑誌『月刊アクロス』の編集に携わられましたね。


辰巳渚氏: パルコは当時、元気で面白そうな企業でした。セゾングループの中でも少し特殊で、文化的な香りも高いし、自由奔放なところがあったのです。本当は入りたい文芸系の出版社がいくつかあったのですが募集がなかったので、なんとかして入ろう、とまではジタバタしなかったんですね(笑)。月刊アクロスにはたまたま配属されたのですが、アクロスでの2年間の時期が私を作ったと言えるぐらいに大きい経験でした。

――具体的にはどのような部分で成長したと思われますか?


辰巳渚氏: 大学では、板書をきちんとノートに取るような勉強の仕方で、何かを学ぶこと、知ることの本質は教わってこなかった気がします。でも、パルコで携わったマーケティングは、社会学的・考現学的な立場と言うか、自分の目で見て不思議に思うことや、面白いと思うことを入り口にすればよかったんですね。経済学や歴史学など、すでに確定した学問を使って現状を分析することはできても、私たちが現在生きているフィールドからのつなぎ目がない限り、机上の空論だけになってしまう。逆に、体で感じたことを入り口に意味付けをしていけば、必ずそこに体系的な学問や理論につながるなんらかの道筋がある。そんな「考える」姿勢を初めて学びました。それと同時に、「何を言ってもいい場所」というのを初めて体験したんです。

――「何を言ってもいい」というのは、どういったことでしょうか?


辰巳渚氏: 例えば企画会議、いわゆるブレストを、当時はみんなタフでしたから徹夜でやるんです(笑)。その時、私がどんなことを言っても、「つまらない」とか「何の意味があるの?」というようなことを言わないで、「あ、面白いね」と受け入れた上で、「それはどうして?」と聞いてもらえたり「私はこう考える」と相手も意見を言ったりと、必ずリアクションがあるんです。それによってまた自分が考えていく。そのような場を初めて体験して世界が開けたんです。私はまあまあ勉強はできたので、そこそこテストの点は取れるのですが、世の中の仕組みも人の気持ちも、ほんとうのところ腑に落ちていないというか、わからなかった。自分のリアルな生活や感情と、そういう仕組みや人の気持ちとが、どうつながるのか、どこがフックとなりうるのか、わからなかったんです。けれど、既存の論から始めるのではなく、自分の目や耳や感情が動いたことから論を立てていけばいい、と教えてもらって、全ての感覚にかかっていた膜が取れた感じでした。なおかつ、『月刊アクロス』という雑誌は評価が高くて反響があるので、自分が考えて書いたものが、自己満足だけではなく実際に周りから評価されるということが自信になりました。共感してくれる人は必ずいるんだと思いました。

私には、編集者の適性がなかった


――その後は筑摩書房で書籍の編集者をされますが、どのようなお仕事でしたか?


辰巳渚氏: 最初は書き下ろしのシリーズ本に携わり、一時文庫に移った時期もありましたが、筑摩にいた期間は3年と短いんです。本に関わる仕事がしたいと思っていて、その意味では夢の仕事だったはずなのですが、やってみたら適性が全然違って、いわゆる編集者としての能力が備わっていなかったんです。よく、「著者は頭が悪くてもいいいけど編集者は頭が良くないとできない」と言われるんですけど、編集的な頭の良さや緻密さ、全体の進行を調整していくなど、あるいは著者とお酒を飲むとかコミュニケーションの面も含めて、全く能力がなかった。パルコでは「辰巳の考えることは面白いね」って言われていたのに、筑摩では企画がほとんど通らない。
最後の方でやっと分かってきたのは、当たり前のことですが、編集者は人に自分の言いたいことを言ってもらう仕事ではなくて、著者を伸ばすのが仕事だということでした。私が世の中に対して言いたいことを、誰かの口を借りて言わせようというのは傲慢ですよね。著者こそが表現者であって、編集者はその周りを、あらゆる面でサポートしてあげる。私はそうはなれなかったし、要は私はサポートされたい方だったということです(笑)。会社も、私のことを持て余したと思います。向かないことをしていたので、体調を壊したり、上司とケンカしたり……。退職したのも、独立ということでもなく、辞めざるを得なくなった感じです。会社も、引き留めてはくれましたけれど、多分ホッとしたのではないかと思います。

――会社を辞められてから、フリーとしてどのように仕事を取っていったのでしょうか?


辰巳渚氏: 食べていくために何でもしなきゃいけない中で、できることはライターの仕事、あとはマーケティング雑誌をやっていましたから、広告代理店とのつながりもあって、マーケット分析の仕事でした。それで、マーケッターとライターとの2本立てで食べていく道を探しました。仕事の依頼なんてもちろんないので、自分から売り込みに行きました。マーケティングの分析の方は、比較的評価されていたけれど、ライターの仕事はほんとうに売り込みばかりでしたね。それで、企画を立てて人に提案するという頭の回路が当たり前にあるので、私は今でも企画を立てて持ち込むというスタイルを取っています。

――驚異的なベストセラーになった『「捨てる!」技術』をはじめ、暮らしや家事について様々に論を展開されていますが、家事に目を向けられたのはなぜなのでしょうか?


辰巳渚氏: 別に私に主婦志向があったわけではないんです。私の親は過保護で、しかも私がぜんそく持ちですから、「お手伝いもしなくていい、勉強していればいいわよ」、という家庭で育ったんです。私も、家は好きだけど家事なんてお母さんの仕事という感覚でいました。でも、仕事のストレスで体を壊した時に家に閉じこもっていたことがあって、その時に、「ああ、この家で家事をしていることこそが自分を現実につなぎとめてくれるんだな」ということを、つくづく感じたんです。私も含めて、多くの人は、家事に対する意味付けを学んできていませんね。社会に出ることの方が価値が高くて、家にいるのは我慢しているとか、つまらないことのように思われています。私が家事をすることなしに育ったことで、逆に価値に気が付かされたという面があるのではないでしょうか。

目と耳、皮膚感覚にこそ個性がある


――本の企画になるような題材を見つけて、形にするためにはどうすればよいでしょうか?


辰巳渚氏: 何より、自分の目で、耳で、皮膚の感覚で、何かをつかみ取るということが大事だと思っています。あとは行動しなければ始まらない。企画を売り込むこともそうですが、私は、行動して100に1つ何かがうまくいけばそれは大したことだと思っていますから、ダメでもあまりめげないことです。全ては自分と社会との関係性の中で起きることで、私が面白いと思っていることが、たまたま相手と一致すればいいのですが、そうでないことは幾らでもある。たまたまタイミングが悪かった、組み合わせが悪かったなどということは仕方のないことです。私も、相手をなんとか説得しようとしていた時期もあるのですが、今はそれでは何も伝わらないと思っています。偉そうに言えば、私は、いろいろなことに早く気が付く自信があるので、気が付いてない人に対して無理に説得するのではなくて、気が付いてもらうための素材をたくさん出すという姿勢でいます。それによって、私が気が付いたことを面白いって言ってくれたらうれしいという感じですね。

――辰巳さんのそのような姿勢がよく表れているのが、本のあとがきにメールアドレスを載せて、内容に賛同する方だけではなく、違和感を持った方の声を募集していることですね。


辰巳渚氏: 違和感はとても大事なんです。平田オリザさんが、「会話が、知っている人同士の楽しいおしゃべりだとすれば、対話は、知らない人との価値や情報の交換と言える。知っている人同士でも、価値観が異なると、それは対話になっていく」ということをおっしゃって、なるほどと思いました。一人一人が違うのは当たり前で、むしろ価値観が違わなければ対話にならないということです。あと、養老孟司さんが「考えに個性なんかない」ということをおっしゃっています。学問でもアイディアでも考えは共有するからおもしろいと思ったり、理解したりしているわけです。言語だって共有しているから話せば通じます。そう考えると、本当にオリジナルな「考え」を持った人なんて病的な場合を除けば、たぶん、いない。では個性とは何なのかと言うと、体なのだ、と。例えば、他人の指を自分に付けるわけにいかない。体が固有であることこそが、個性というわけです。さっきのお話に戻ると、社会の仕組みや価値観を共有しながらも、「私の体」に立脚して、目で見るもの、体で感じるもの、昨日はなかったけれど今日はある感覚についてきちんと受けとめて、それを相手に伝えれば、みんなそれぞれ違う体に基づいて現実を見ているから、「あ、自分はそれはこう思う」「自分には見えていなかった」といった違いが必ずあるはずなんですよ。その違いをすり合わせていくのが対話であり、本などの情報によって学ぶ作業なんですよね。そこに、発信することの面白さもあり、できることの範囲もあるのだと思います。

手作業によって養われる感受性


――今は、本はどういった時に読まれますか?


辰巳渚氏: 一番読むのは移動の間です。読むのはほぼ小説で、駅や空港の書店で買うことが多く、資料として読むものはネットで買う、とはっきり分かれています。資料はネットでキーワードに引っかかった本をまとめて買ってしまうこともあります。小説は家でゴロゴロしながら読むこともあって、子どもにもいつも、「お母さんまた本読んでる」と言われます。私はよく、家事は自分をニュートラルにする作業だと言っていますが、小説やエッセイの読書も脳のクリーニングと言うか、まともな自分に戻る感じがしますね。

――電子書籍は利用されていますか?


辰巳渚氏: ないです。官公庁の統計のようなものはデータで蓄積することはありますけれども、本自体をデータで持つということはありません。音楽もデータではあまり聴かないのです。データ整理自体が面倒臭いことと、昔の人間だからかもしれませんが、アルバムであることが大事な感じがして、好きな曲だけ好きな時に聞くっていうのはあまりスタイルとして合わないんです。CD1枚を流して、アルバムの曲順まで含めてしっかり聴いています。それと、本もそうですが、ピンポイントですぐ取り出せるのがいいとは思っていなくて、本を探す時間や、CDのケースをパカッと開ける作業などが好きなんです。やっぱり体の感覚、作業も含めて本を読むという行為だと思うのです。脳への入り方も違う感じがして、例えば『舟を編む』に、本の「ぬめり感」と言う表現がありましたが、紙の質なども本を読む時にきっと大事なんだと思います。ただ電子データを決して拒否しているわけではありません。本には小説のように楽しんで読むものと、ビジネス書、専門書などのように、情報のために読むものがあって、そういうものはデータになっていると助かりますよね。

――辰巳さんは市場分析など大量のデータを処理する分野がご専門でもありますね。今後活用されていかれますか?


辰巳渚氏: そうですね。ただ、月刊アクロスにいる時、編集長にグラフをいちいち手で書くことを仕込まれたんです。1か月分の新聞の中からデータ系のものを集めて、自分なりにグラフや図表にしてサマリーを載せる欄を新人のころにやらされていたんですね。すごく時間がかかるわりに誌面は少ない仕事でしたが、先輩は、「この欄を任せられるのは、編集長が見込んでいるっていうことだよ」とはげましてくれましたが、どうだったんでしょうね(笑)。要は、データをどのような形にすると伝わりやすいだろうかと考えることが大事なんですね。例えば出生率なら、低下しているだけじゃなくて、女性の就業率と合わせてみると説得力が出るんじゃないかなど、データを関連付けて読み込んだり、データの取捨選択をしてどう見せるかを工夫したりする練習になったのです。手作業でやるということにも意味があるんじゃないでしょうか。今だと、どうしてもコピペすれば済むということになるのですが、手でやることは、学問的にもこれから評価されていくジャンルなんじゃないかという気がします。もちろん、手で書く訓練を積んだ上で、実際にはたくさん仕事をするわけですから、デジタルも上手に使えばいいとは思います。でも、プロセスにどれだけ労力をかけるかで、観点なり個性なりが生まれていくと思うので、最初の基礎の部分、断片的に見えていたものを統合していく作業は省略できない。そういう手間を惜しまずにやるからこそ、怠けるところは上手に怠けてやっていけるのだと思います。

本作りは編集者との二人三脚


――電子書籍で出版が簡単になるとも言われますが、本の中身を手間をかけて作るという編集作業の重要性は変わらないと思われますか?


辰巳渚氏: 私の考えは明快で、「編集者なくして本はできない」です。編集者とは本当に素晴らしい仕事だと思いますけれど、あまり評価されていない。家の設計者に近くて、家を売り買いする時にも、図面を引くのにお金を払うという発想をする人はあまりいない。家幾ら、土地幾らで、設計費はその中に上手に織り込んでいくというのが通常のパターンですよね。でも目に見えない作業こそが大事なんです。自分は編集者としてダメダメで申し訳なかったと思うのですが、自分が書き手となった時、編集者がいてくれるから企画自体もスタートするし、ほどけていってしまう自分の考えをつなぎとめ整理してくれる感覚があります。そもそも、世の中であまり常識になっていないようなことを言おうとする時に、編集者が揺るぎなく面白いって言ってくれることは本当に大事なんです。書き手の心理として、人を喜ばせたいから書くというのがありますが、まず喜ばせたいと思うのは信頼している編集者なのです。つまり、本の中身の質を高める意味でも、またモチベーションを持ち続ける意味でも、編集者なくして本はありえない。二人三脚のように、編集者がいるからこそ自分を超えたところに行けるんだと思います。おそらくいきなり書き手として入った方はそこがなかなか分からないですよね。書き手も、一冊は誰でも書けると思うのですが、継続して文筆の仕事をしていこうと思ったら一人でいいから信頼できる編集者の友人を持った方がいいと思います。

――辰巳さんにとって理想の編集者はどのような方でしょうか?


辰巳渚氏: やっぱり対話ができる相手です。打たれ強くもあって欲しいですね。先ほど言ったように、価値観は違っていてもよいし、でも違うところを面白がって、本が売れてくれたらなおさら喜びあえる人が理想です。また、人に伝えられなければ意味がないと思いますから、作るだけではなくて売るということに関しても情熱を持っていて欲しいですね。人が本に接触する機会は作っていかなければならない。積んでおくだけで売れていく本なんて、数万冊に一冊あるかないかだと思います。



――最後に、作家としての今後の展望をお聞かせください。


辰巳渚氏: この数年、家事塾を立ち上げていくのに本当に労力を使って疲れ果てていたんですけれど、ようやくその時期が終わって、自分の中でまた生み出していく時期が来たなと言うか、久しぶりに本を書きたいという気持ちになっています。この7月には、自分なりのこの10年の集大成というか、今後の活動の軸になる本が出版されます。『人生十二相』というタイトルで、イーストプレスさんが版元です。人生を一度きりと捉えず、小さな人生が12個あるのだ、と捉えてみよう、という提案をしています。そう考えたら、うまくいかないことがあっても、次の人生をうまくやっていこう!って元気になるじゃないですか(笑)。その本が出たら、今年は、あと10冊でもいいから書きたいぐらいの気持ちです(笑)。書きたいことはたくさんストックされているので、そのストックされたものを出してしまわないと、また次に行けないですから、それを出し尽くすのが今年だと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 辰巳渚

この著者のタグ: 『ライター』 『考え方』 『価値観』 『マーケティング』 『独立』 『フリーランス』 『家事』 『違和感』

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