無駄の中にこそ、知の可能性がある
フランス文学者の鹿島茂さんは、バルザックやユゴーら、フランスの19世紀の作家に関する著述を中心に、様々な社会事象への言論活動を展開。特に書評の名手としてその発言が注目される存在です。また古書や美術品のコレクターとしても著名で、私蔵するコレクションは定期的に美術館で公開されています。研究・評論、そしてコレクションのために大量の文献にあたる鹿島さんの仕事観、また電子書籍へ望むことなどをお聞きしました。
読書は、遠くにある場所を想像させてくれる
――群馬県立館林美術館で、鹿島さんのコレクションである『バルビエ×ラブルール展』が開催されていますね。
鹿島茂氏: 去年もやりましたが、前よりも大規模なレベルで展示してます。美術館もすばらしいです。見渡す限りの緑の中にアバンギャルドな建物が建っている。その建物を見るだけでも価値があります。7月14日からは、練馬区立美術館で第3回鹿島茂コレクションとして、19世紀から20世紀初頭のファッションプレートの展示も始まります。
――展示されるのは全て鹿島さんのコレクションなのでしょうか?
鹿島茂氏: 完全に個人コレクションですね。僕はお金持ちだったら、多分、何も書かなかったと思います。コレクションしている方が楽しいですから。貧乏コレクターで、仕方ないから教師をしたり、物書きをしたりしているんです。
――小さなころから古書などはお好きだったのですか?
鹿島茂氏: 家は酒屋をやっていたんですが、子どものころは本らしい本が1冊もなく、雑誌くらいしかない家でした。テレビもないし、何も娯楽がないから、やっぱり活字に対する飢えというのが強くなったようです。だから今だに雑誌は好きです。集めてるのも19世紀の雑誌みたいなものですから。
――小さなころはどのようなものを読んでいましたか?
鹿島茂氏: 漫画ですね。それを読み終わったら何もないから、新聞を読んでました。子どものころから日経新聞の『私の履歴書』などを読んでました。活字は遠いところを志向するという本質があります。話し言葉だと近くしか目が向かないけど、活字だと見も知らぬ遠くの人と会話して、ますます遠くに行きたいという思いが強くなります。小学校の時は、地図帳で、適当に分かりにくいような地名を出して「ブダペストってどこにあるんだ」とか、探しっこするというようなゲームを自分たちで編み出してやっていました。
著書一覧『 鹿島茂 』