文学・歴史・科学を縦断する大著を構想
――鹿島さんご自身は本をどのような想いで書かれていますか?
鹿島茂氏: 僕は基本的には自分が読みたい本を書くということしかないんです。人がやったことを水増しすれば、簡単かもしれないけど、面白くないし、意味はないと思いますね。
――鹿島さんの書かれるテーマは非常に幅広いですね。アイデアはどのように出るのでしょうか?
鹿島茂氏: 一番いけないのは、白紙を前にすることなんです。無から生じるものは無だけです。自分の書いたものを批判しながら進むのが一番良くて、まず、何でもいいから書けば「ここはこうじゃない」というのが必ず出てくる。これは、全ての仕事のコツです。後は、完全にやりきってしまうと燃え尽きて次が続かない。懸垂でも腕を伸ばしきってしまったらできないでしょう。まだやり残しがあるぞという感じでやった方が次の仕事につながります。
全然関係ない仕事でも取り合えず受けてみることがいいんです。そうすると仕事の範囲が広がる。私の専門じゃないからできませんって最初から断ってしまうのは良くない。全くマイナスだけでプラスなしっていう仕事は存在しないということは経験則で言えます。逆に全部プラスでマイナスなしっていう仕事もない。例えばサラリーマンが地方に飛ばされて、鬱屈をため込むことがあっても必ずプラスになることはあるんです。
本も、100パーセント良い本というのはまれです。むしろ何か書く場合に100パーセント使えるような本を集めるとろくなものにならない。たった1行が必要なために買うというようなことをしないと、本当に良いものにはならない。河盛好蔵さんという僕の恩師は、「歴史とか文学の研究をしようと思ったら、資料集めに10年かけろ」と言っていました。大した資料が集まらないと良い研究にはならない。要は「無駄をいとうな」ということだと思います。無駄の中にいろいろなヒントがあるんです。あまりに合理性を追い詰めていくと、煮詰まってしまった時に、出口が見えない。無駄を残しておくとその無駄の中に新しい可能性が出ることありますからね。
――最後に、鹿島さんの今後の展望をお聞かせください。
鹿島茂氏: 文学とか歴史、科学を縦断した壮大な本を書きたいと思っています。最近、いろいろ考えた挙げ句に出した結論が、人間の進歩を加速してる原因は、3つしかないということです。1つは、面倒臭いことは嫌いだという合理主義。もう1つは、自分のやりたいことをやるという個人主義。それからもう1つは、最終的に人から褒められたいっていう認知願望。人間は不思議なもので、たった1人だけでも良いから、自分がやったこと認めてくれる人がないと虚しくて何もやらない。その認知欲動が満たされないことによって、現代の様々なフラストレーションが起こってくる。全ては最終的に人間の心理に行き着いてしまう。そういうことを書きたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 鹿島茂 』