大企業へ転職、組織の中で葛藤
――将来が開けてきた感覚がありましたか?
古川武士氏: それが、1年目は充実感があったものの、2年目になった時に、燃え尽き症候群と言うか、つまらなくなってしまったんです。エネルギーを出している時は突出して結果も出るし、1年目が終わった時も目標の230%ぐらい出して、売り上げも10年目や20年目の先輩もいる20人の営業マンの中で、2番目ぐらいだったんです。でも、次の目標を見つけられず、燃えるものがなかった。
ITの会社は、元請けがあって、末端でPCのサポートや保守などを請けるような構造があるんです。ゼネコンと電気屋さんや水道屋さんのような関係です。で、その末端をやっていたわけですが、ゼネコン的な仕事もやってみたくなって、NEC、富士通や日立など、主たるシステムを握っているところに劣等感もあったのと、学生のころから大企業に入りたいという憧れも元々ありましたので、転職活動を始めました。自分の市場価値はどんなものかなと試したくなって、リクルートエージェントなどに登録したら、求人票をドバッと持って来られて、「いいのと悪いのとを分けてみてください」、「通らないかもしれませんけど送ってみますか?」などと言われて送ってみたら、返ってきた中に大企業である日立製作所があり内定をいただきました。
――会社を辞めることに、どういった迷いがありましたか?
古川武士氏: 自分の中の、就職活動の時に果たせなかった思いと、もっと大きな仕事がしたいという思いとが重なり、でも、中小企業でやっている方が自分らしさが出ると思ったのと、取締役の人からもかわいがってもらっていたこともあり悩みました。でも元々の憧れと、いきなり出向させられたというのもあって、見返してやろうという反骨精神みたいなものもあり、次のステージに行くことにしました。
「雇われない生き方」への目覚め
――日立製作所に勤められてから、独立されるまでの経緯をお聞かせください。
古川武士氏: 3年間日立にいて、大きな仕事をやらせてもらったんですが、大企業ですから組織営業のような感じで、物事が決まらないのです。40億のシステムを一人の責任ではできなくて、意思決定に上司の上司の上司まで絡む。しかもお客さんとのつき合いも30年など歴史があったりして、前の会社で何もないところから自分でとってくる充実感を味わってきたものからすると、伝統歌舞伎の世界に入ったような感じだったのです。
前の会社では、野生みたいなものを出せたんですけど、日立にいる時は組織の中でがんじがらめでした。結果も出てはいたのですが、心がさびていく気持ちもあって、違うなと思いました。採ってくれた部長も期待してくれていて、なかなか踏ん切りが付かなかったのですが、これ以上は人生が無駄になるような臨界点に達してしまいました。野生がうずく瞬間をもう一度味わいたいと思って、最初はベンチャーに転職しようと思ったんですが、サイバーエージェントの藤田さんが書いた『渋谷ではたらく社長の告白』を読んで、自分にも起業ができるのではないかと思いました。
――藤田社長の本からはどのような示唆を得たのでしょうか?
古川武士氏: 起業は、初めからちゃんとしないと無理だという感じがあったんですけど、探りながらサバイバルするのがネットの世界で、何もできあがっていなくても起業できるんだなというのが分かって、それなら独立すればいいと思ったんです。雇われない生き方の方が、自分には絶対にいいと思って、転職ではなく独立しようと思いました。
――不安はありませんでしたか?
古川武士氏: ようやくこれで自分のやりたい道や方向性が、しっくり来たという感じで不安はなかったです。学生時代から起業したいという気持ちがあって、社会人1年目の時にも大前研一さんのアタッカーズビジネススクールに通っていたりもしていました。その小さい芽がその時ムクムク育ってきた。当時、ちょうどコーチングがブームで、本を読んでみたら、人を動機付けるなど、目標達成に導くということは自分に合っているし、しかも個人で、自宅起業でできるのでリスクも少ない。よし決めたと会社を辞め、コーチングスクールに通って独立しました。
著書一覧『 古川武士 』