「英語で仕事をしたい」と外資系投資銀行へ就職
――本は小さい頃からお好きだったのでしょうか?
花輪陽子氏: 小学生の時、学校に隣接して大きな図書館ができたので、そこに入り浸って本を読んでいました。神話や伝記をよく読んでいたことを覚えています。あとは手塚治虫さんの『火の鳥』も好きでした。私はマンガ家や小説家にあこがれていたのですが、思春期に入ると本を読まなくなってきて、高校の時には、受験もありましたからあまり読めませんでした。でも、その時すごく日本史にはまって、教科書とか参考書は5種類ぐらい持っていて、持っていくのは重いので、1冊にまとめたノートを作っていました。あとは美術などのビジュアルの参考書もよく読んでいました。今も電子書籍で、『もういちど読む山川日本史』を懐かしく読んでいます。復習するのにちょうどいいですね。
――大学は青山学院に進まれますね。
花輪陽子氏: 英語系の学校に行きたいと思っていて、ミッション系の学校を集中的に受けました。学部は英語講義も多い国際政治経済学部を選びました。その学部には帰国子女が半分近くいたので、英語でも経済の授業も多かったですね。
――卒業後は外資系の投資銀行に入社されましたが、どのような理由からなのでしょうか?
花輪陽子氏: 英語を使った仕事をしたくて、大学で経済を学んだので、金融に行こうかなと思たんです。外資に行きたいというあこがれで、仕事内容をよく知らずに会社に入ってしまいました。外資系の金融機関はTOEICの点数なども採用時に重要視されるのですが、私が入社した会社は、日本の企業と外資のジョイントベンチャーだったので、普通の外資よりは英語の審査が易しかったのかもしれません。最初は日本語しか使わない部署だったんですが、英語を使う部署に異動してすぐにニューヨークに電話しなければいけないことになり、その時は大変でした。でも会社の業務は比較的楽で、18時ぐらいに帰れていました。メールや電話が全部英語だったのですが、仕事を覚えてからは、繰り返しで使う英語も決まっていて仕事も早く終わるようになりましたね。
過剰な買い物と「夫婦同時失業」で見えてきたもの
花輪陽子氏: 当時、ITバブルで景気が良かったこともあって、お給料がどんどん増えていきましたが、自分の支出もどんどん増えてしまいました。会社が丸の内にあった時期があって、18時に終わると交通の便もいいので毎日買い物をしたり、趣味にはまったり。楽しかったんですが、入ってくる以上にクレジットカードでお金を使ってしまった。気付くとリボ払いの残高が200万円になってしまっていた時がありました。そして、2009年にリーマンショックで、新婚3か月目に、夫の会社が黒字倒産したんです。そして、その2か月後に、私が働いていた部署がなくなって、リストラされてしまいました。前から午前中働いてきた同僚が午後になったらいなくなったっていうようなことがたびたび起こっていて、午後に仕事をしている最中に電話で呼び出された瞬間に、「あ、これは」とすぐ分かりました。
――その時はどのようなお気持ちでしたか?
花輪陽子氏: 比較的冷静ではいられたんですが、「なぜ私が」という思いもありました。でも立ち直りが早い性格なので、2、3日で気持ちを切り替えました。会社の借り上げの社宅から出なくてはならず、物件を探したり、失業保険を申請したり、やることが結構ありました。また、当時ファイナンシャルプランナーの資格を取るために勉強をしていて、試験があと2か月後だったので、早く切り替えることができた。夫も、すぐに次の就職先が決まったので、その安心感もあって頑張っていくことができました。一人だと、もっとしんどかったと思います。
――そのような苦しい経験があったことで、その後のお仕事につながった点はありますか?
花輪陽子氏: 失敗が糧になりました。多分、その失敗がなければ本を書くことはできなかったと思います。最近、ニコニコ生放送で家計番組を持つようになって「月収20万以下でも賢く生きる方法」というテーマでお話ししています。私も失業して、生活レベルをすごく落としたことがあったので、お金が少なくても生活できますし、お金を使ってしまう側の心理も分かる。20代で使ったお金を貯めていれば、多分ワンルームマンション一室ぐらい買えたと思うんですけど、そういう生活ではなかったことで、その後の仕事が豊かになったのかなと思います。
編集者とのやり取りで、企画の精度を上げる
――その後本を出されますが、作家デビューの経緯をお聞かせください。
花輪陽子氏: 失業して1年ぐらいして本を出すんですが、その1年間は、ファイナンシャルプランナーの資格を取ったので、ボランティアで仕事をしたり、あとは他の人のセミナーに出たりしていました。活動をしているうちに知り合った人から個人で本を書いたり講演をするにはどうしたらいいかということを色々教えてもらいました。それまでは、出版社にどうアプローチしていいか分からなかったのですが、出版セミナーにも参加をして、そこにいた編集者さんと仲良くなって、いくつか企画を見てもらうことができました。その中で一つの企画が運良くすんなり通りました。力を入れて販売してくださって、出版社の方には感謝の気持ちでいっぱいです。新人だったのに、初版で1万5千部も刷っていただいて、本屋の新刊コーナーにドンと置いていただいて、それがきっかけでお仕事をいただけるようになりました。
――本の企画を出す際には、どのようなアピールをされたのでしょうか?
花輪陽子氏: 企画書では、分かりやすい見出しを考えるのが大切だと思います。サンプル原稿や過去に雑誌に書いた記事など参考資料も付けたり。最初の企画は、本当に力を入れて書きました。それを色んな人に見てもらって、フィードバックをもらって、直したり、新しい企画を考えたり、精度を上げていきました。いい編集者と出会えば本当に1発で決まることもあるので、やはり編集者との出会いが大切です。
――編集者は花輪さんにとってどのような存在でしょうか?
花輪陽子氏: コンテキストを作る人だと思っています。まずコンテンツ、素材があります。これは料理に例えると魚やお野菜など、生の素材です。それを見事な切り口でさばいて、みんなが食べられるような形にするお仕事が編集者の仕事だと思っています。特に、私のような仕事の場合、内容をそのまま伝えてしまうと一般の人には伝わらない。それは魚を生で丸ごと出すようなものなので、それをうまく食べられる形にしてくれるのが編集者の方です。
例えば、政府系の文章は、間違いはないように書いてあるんですけど、時にちょっと分かりにくい。でも、そういった情報も、文章の書き方、見せ方によってすごく分かりやすくなる。素材と編集が両方いいと、いい本になるのだと思います。