文庫は坂の上から読者の背中をボンと押して、
下まで行ってしまう勢いが大切。
上田秀人さんは時代小説家として活躍する傍ら、歯科医としての顔をお持ちです。文庫のシリーズやハードカバーを執筆しつつ忙しく日々を過ごされる上田さんに、作家転身のきっかけ、幼少期の読書体験などについて、また書籍の電子化についてのご意見を伺いました。
麻酔を打っている間にも2行書く。
――早速ですが、近況などをお聞かせください。
上田秀人氏: 僕は小説家ですが、歯科医でもありますので、執筆は仕事の合間におこなっています。仕事場に8時前ぐらいに出勤して、1時間ぐらい書いています。9時半から開院なので、診察の合間にも書いています。
――時間を見つけて書かれるのですね。
上田秀人氏: 患者さんに麻酔を打って、効くまで待っている間にも2行ぐらい書く。そうしないと締め切りに間に合わない。昔、書き手になったばかりの時は、うまく切り替えることができずに、1、2時間つぶしてしまうことがあったのですが、ここ2年くらいは作家のスイッチのようなものができまして、それこそ診察室の扉を開けると勝手にスイッチが切り替わるような状態になっています。
父が公務員、母が開業医の家庭に育ち、歯科医の道へ。
――幼少期は、どのようなお子さんでしたか?
上田秀人氏: 僕は父親が公務員、母が内科の開業医の家庭に育ちました。年の離れた兄が1人いますが、僕が物心ついたころには、兄は高校生でした。母は内科医だったので昼間も忙しく不在でしたし、父は公務員で夕方のバスでキッチリ帰ってくるんですが、それまでは家に誰もいなかったので、本を読むしかありませんでした。当時はテレビもほとんど普及していませんし、子どもの番組はまずありませんでした。父がNHKの大河ドラマが大好きで、原作のハードカバーをいつも買っていたので、幼稚園から小学校にかけては、『天と地と』や、勝海舟についての本を読んでいました。小学校1年か2年ぐらいの時に、『千夜一夜物語』の原書訳の、18禁の本を読んでいて親に怒られた覚えがあります。当時は作家になることなど考えておらず、小学校のころの将来の夢の欄には「新幹線の運転手」と書いていました。
――作家になろうと思われたきっかけは?
上田秀人氏: 母が医者で、兄も医学部でしたから、この世界に入るのは当然の感じがありました。歯科医をやっているうちに結婚もして子どももでき、その子が4、5歳になってくると、ある程度はお父ちゃんが何をしているのかは分かってくるので、父親の仕事を見せたいなという思いが出てきました。
歯科医の仕事は、子どもに様子を見せられない。それがジレンマになった。
上田秀人氏: 父が公務員で、大阪市立大学の付属病院の薬局に勤務していたのですが、そこから保健所勤務の方に転じさせられたときに、自分の仕事を見せたかったのか、僕に学校を休ませて、職場に連れていってくれた。だから自分も同じようなことを考えたのですが、実際に入れ歯を作るのは僕ではなくて技工士さんですので、患者さんの入れ歯を見せて、「これお父ちゃん作ってんで~」と言うわけにいかないし、歯医者は自分の仕事を子どもに見せられないわけです。それで「何か見せられるものがないかな」と思った時に、カード会社の会員誌の中で紹介されていた、山村正夫さんの私塾を見つけ、手紙を書きまして、入れていただきました。2年半ぐらいでデビューして、気がついたらこの仕事をするようになっていました。同期でデビューしたのは4人ぐらいで、その中に室井祐月さんや島村匠さんもいましたので、僕らの年は当たり年だったようです。
――なぜ歴史をテーマとして選ぼうと思われたのですか?
上田秀人氏: 僕は歯医者ですから、最初は腐乱死体の歯形照合の推理モノを書いていたのですが、面白くなかったのです。教室は、1期が3ヶ月で年間4回、短編を提出します。その中から山村先生が10編ぐらい選んだものを各編集者に見せて、講評をしてもらっていたのですが、その10編に選ばれたことがありませんでした。1年半ぐらい経って「才能がないのだったらどうしようもない。東京までの電車賃も時間もかかるから、これでダメだったらやめよう」と思って書いたのが龍馬暗殺の話だったんです。それが初めて編集者の目にとまり、賞に応募して最終候補に残った時に、山村先生から「しばらくこういう方面を書いたら?」と言われました。その次の作品が佳作をいただいて、デビューに至りました。
――デビューまでの2年半、今振り返るとどのような時期だったと思われますか?
上田秀人氏: 選ばれる10人は大体決まってくる。島村匠さんも同期ですが、その10人の中に彼は絶えず入っていた。ものすごくうらやましかった。僕にとっては、その環境がよかったんだろうなと思います。作品に対する姿勢を学んだと言うか、いい勉強になりました。自分の作品の中でバスや電車に乗るシーンがあって、同期の作家が短編のためだけに、リアルさを出すため作中と同じようにわざわざ飛行機で遠方まで飛んで、そこから深夜バスに乗って、乗り換えてまたバスに乗ってなどということをやっていたのを見た時に、「ああ、この人は偉いな」と感じました。そういう風に仲間から大事なことを勉強させてもらったと思っています。
著書一覧『 上田秀人 』