学術と一般世間の仲介役として
――小島さんは、どのようなことを心がけて書かれていますか?
小島毅氏: 学術論文の場合とそうでない場合は、文体から分けています。書いて出版するということは人に読んでもらうことを前提にしていて、学術論文でもそれを発表するのは単に自己満足ではなく、それを同業者たちに読んでもらい批評してもらい、皆の共有のする情報の中に入れてもらって研究全体を少しでも深めてもらおうっていう意図があって、そのメッセージとして書いているわけです。研究論文以外のものは、研究者だけではなくて、想定されている読者層の人たちに分かってもらうための文章を書いています。
――一般向けのご著書では、源義経や足利義満を主人公にした、日本史について書かれた本もありますね。どのような意図があるのでしょうか?
小島毅氏: 自分の本職ももちろんそうですが、それ以外の日本関係の本でも、私が研究者の論文や本を読んで、今はそういう風に考えられているのかと思っても、世間一般では、40年前50年前の研究状況でものを言っている。学術風にやっているマスメディアでの特集も、政治家が言っていることも同様に、認識が学会のレベルに全然追いついていない。そこで私が学会と一般の方の仲介役として、今研究ではこういう風になっているということを分かってもらう、という意図があります。もちろん、私は日本史を専門的に勉強した人間ではないので、私の理解は間違っているかもしれない。でも自分の研究している世界に落とし込むと、ある理解ができるわけで、世間ではそうではない誤解がまかり通っているから、自分なりに理解したことを他の人々に共有してもらいたいと思います。
――一般向けの本の企画は、編集者と協力して立てていくのでしょうか?
小島毅氏: 編集担当の方が、なんらかの形で私が書いたものに触れて、違う形で提示して欲しいという風に話を持ってきてくださることがあります。編集者は仲介者というか開発者というか、企画を立てて書き手の人にあたりを付けることには、目利きの能力が必要だと思います。『義経の東アジア』は反響が大きくて、初版が出てから5、6年経ってから、「あの本を読んだんですが」と話を持ってこられる方もいます。あとは、出版社の方は売るプロですから、いかに広めるかということも重要です。編集者は書名も営業担当者と調整して決める必要があるでしょうし、営業の方の意見の方が良い場合もあるのかもしれません。
専門研究を書籍、テレビで発信
――今後のご著書の構想など、今後の展望をお聞かせください。
小島毅氏: 40代の頃は『義経の東アジア』に始まって、色々なところを駆け回っていましたが、自分自身の研究テーマを、落ち着いた時間があったらまとめたいなと思っています。今まで書いてきた関係の本の続きなどもやりたいのですが、日本史関係のもので色々荒らしまわり過ぎて、「お前、評論家じゃなくて研究者だろう」と言われかねない状態なので、ちょっと反省して、堅い研究をしようと思っています。5年間続いた共同研究の成果として『東アジア海域に漕ぎだす』(東京大学出版会)という、全6冊のシリーズを皆で作りました。日本と中国と韓国というような国家単位ではなく、寧波という町を前面に出して、人々の生活文化の目線で、西暦10~19世紀の時期をあつかっています。研究論文集ではないので、これをぜひ中学、高校の先生方や大学生に読んで欲しいなと思っています。私個人としても、海によって日本が大陸から隔てられると同時に、両者がどうつながっていたかっていうことを、さらに研究を進めていって書こうと思っています。
もう1つはBSフジの「beポンキッキーズ」という番組の中で、『論語』をメインの教材に取り上げたコーナーがあって、加地伸行先生の現代語訳をもとに、私がアドバイザーの役割で協力しています。このようにので、テレビの方でも色々やっていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 小島毅 』