あらゆるものは図解できる
――多種多様な分野で、図解を駆使した解説をされていますね。
久恒啓一氏: あらゆるものを図にするということは、新しい創造のようなところがあります。図解は究極の要約です。例えば、吉田松陰は多くの本を読んだ人ですが、彼は「読んだ本を必ず要約する」という方法で学び、それから本同士の関係を考える、という方法で勉強をしていたそうです。この本とこの本の関係はこうだ、と考えていけばどんどん世界は変わります。これこそが勉強の最も正しいやり方だと私は思っています。歴史の教科書は文章で書いてあるだけで、年号を覚えたとしても、関係が分からないから理解できないのです。でも、図解すればなんでも分かりやすくなります。漫画家なら、手塚治虫は『ファウスト』などで世界の古典を漫画にしましたし、石ノ森章太郎も『マンガ日本経済入門』『マンガ世界経済入門』などを描いていて、彼らの教養がものすごく深いのがわかる。北条正子や三国志の登場人物、あるいはギリシャ神話の神々を作ったりする人形師も、ある表現手段を手に入れたことで、世界を読み解くことができるかもしれない。同じように、私も図解という方法を用いて『図解でわかる! 難解な世界の名著のなかみ』を書きました。
――専門家が書くよりも一般の人によく伝わるということもありますね。
久恒啓一氏: 私は10年以上前に、日本の経済白書を図解して解説する仕事をしたことがあります。専門家が専門用語を使って解説するだけでは、一般の人に経済の文章を理解させることはできないのです。経済雑誌も、サラリーマンは読んでもよく分からない。経済雑誌から頼まれて、図解で白書を解説しました。1番目が私で、2番目が堺屋太一経企庁長官、3番目が竹中平蔵慶応大教授といった順番になっていました。専門以外は概略が分かればよろしい、という考え方だから、詳しく突っ込むのはそれぞれの専門家にまかせてしまえばいいのです。
「図解」は考え方のOSである
――図解は、様々な職業の研修にも使われているとお聞きしました。
久恒啓一氏: JICA(国際協力機構)で海外に派遣される専門家の研修を行ってきました。「あなたのミッションを図解して下さい」というと、最初は書けないのですが、図解しようとする、その過程で自分の仕事が明確になってくるのです。最近、「日本は途上国が税関を作るためにODAで協力しているが、税関のことが上手く説明できない」という話を財務省の方から聞きました。そこで私が行き、先生たちに税関が何をやっているかということを、図解するように教えます。つまり、図解が国際協力になっているわけで、なにも、英語がペラペラになるまで訓練する必要はないんです。
――図解することそのものが言語になっているということですね。
久恒啓一氏: グローバルな人材を育てなくてはならないとよくいいますが、どうすれば育てられるかという点に関しては、解決策としては、英語をもっとやれということくらいで、そのほかには確固たる解答がありません。日本能率協会マネジメントセンターから「グローバル人材についての通信教育を手伝ってほしい」と言われた時に、私はグローバル人材に必要なことを3つ挙げました。1つは、今はアジアの時代だという視点です。日本の貿易相手国は中国が2割位、香港、台湾、シンガポールが3割位といった具合に、5割をアジアが占めています。アメリカに関しては1割強で、2007年の段階で中国に抜かれている。だからこそアジア、ユーラシアダイナミズムを中心とした深い視界が必要です。2番目は、英語だけではなく図解という国際言語を使うべきであるということ。図解は日本が開発した新しい国際言語なのです。3番目が、グローバルリーダーになるためには真の日本人にならなければだめだということです。日本人らしい日本人としての成熟がなければ、皆が言うことを聞きませんので、後藤新平や新渡戸稲造、福沢諭吉らのことをよく勉強すべきだと私は思います。切磋琢磨すること、志、そして怒とうの仕事量、文武両道。今後、日本型グローバルリーダーの条件というテーマで本にしようと思っています。
――今、図解の技術が最も必要と思われるのは、どういった業界ですか?
久恒啓一氏: 教育界です。教育委員会、教育センターなどによく呼ばれるのですが、それは先生に教えるためなのです。先生たちは文章で勉強しているから、言葉を覚えていても、言葉同士の関係を理解していない。だから、図解できないのです。自分たちが考える力がないのに、学生が教えられるはずがないのです。図解はOSです。新しいOSを入れるとアプリケーションも変わりますよね。
30歳からの地道な自分作り
――久恒さんが図解と出会われたきっかけを教えてください。
久恒啓一氏: 学生時代にものがしゃべれなくなったという経験があります。本ばかりを読んでいて、本の内容に関してしゃべっても、もちろん自信につながるわけでもなく、ある時、「それはお前の意見か?」と言われました。その後、1年間ものを言えずに過ごしたのです。
就職はあまりしたくなかったのですが、大学に残ってもやることもなくJALに入りました。でも、入社した頃は誤字脱字、計算間違いなども多く、自分の考えがないという状態でした。当時は「自分は路傍の石だ。仕事もできないし、もうだめだ」と思っていたんですが、30歳の時から、地道に努力していくしかないということで仕事を一生懸命やり始めたら、少しずつ運が向いてきたのです。そして、仕事の中で苦しみながら、図を使ってやったら上手く行ったことがありました。私は30代半ば位に、図を発見したことになりますが、秀才は皆、図に弱いんです。それが私の新しい武器、バズーカ砲のような強力な武器になり、仕事ができるようになって、次第に良いポストをもらえるようになりました。
――30才くらいで自分の将来に迷いがある人も多いと思いますが、アドバイスされるとしたらどのようなことを言われますか?
久恒啓一氏: 若い人は早く世に出ようとしてあせっている人が多いようですが、人間は成熟していくものです。早熟はだめというか、若い時に世に出た人は後で倒れています。ただし、仕事を選んじゃいけない。よく「自分に向いた仕事がやりたい」などと言いますが、そんなのあるはずがないし、「自分探し」という言葉もありますが、探して見つかるものではない。だから、「自分」を一歩一歩やるしかない。30歳で1回絶望して、その段階から一歩一歩踏みしめて、10年経てばものすごいものになる。嫌な仕事はあるけれど、それをやることが重要なのです。やっているうちに、だんだんと人がミスするところが分かるようになる。それも、全部自分で経験して苦しんだからこそ、身にしみているからわかるのですが、秀才は経験してないから分からない。凡人は凡人なりに「凡人を極めていこう」というスタイルが良いのではないでしょうか。
著書一覧『 久恒啓一 』