情報に奥行きをもたせる
――SRという技術が一般化した未来というのは、どのようなものになると思われますか?
藤井直敬氏: 僕は、人を少し進化させるんじゃないかなと思っているんです。世界や環境などを認知する、その感じ方を拡張できるというか、その感じ方が変わってくると思う。言葉にはまだうまくできなくて、僕の心の中のイメージなのですが、特に視覚能力が拡張されると僕は思っています。視覚情報には奥行きがあると僕らは思っているけれど、基本的に二次元で十分なので、実はSRでは奥行き情報の殆どない平らな絵を見せているんです。そこに空間の奥行きではなく、情報の奥行きを持たせるということを考えています。今ここにある現在と、奥にある過去と、さらに別の過去や別の情報のレイヤーといったものが、自分の目の前の奥に埋まっているという感覚。その感覚をどう表現すればいいのか分からないけれど、おそらく新しい感覚なのではないかと思います。聴覚は、うるさいところでも相手の声が聞こえるといったように、自分の好きなところに焦点を合わせられる。視覚も注意を向けるということはできますが、その奥にさらに何かが隠れているということもあります。今はその情報の奥行きといったものがないので、そこをなんとか作りたいと僕は思っています。
――藤井さんの原動力とは?
藤井直敬氏: 自分の中でもまだうまく言葉にはなっていないのですが、何千年も前から人は何も変わっていないので、「人を変えたい」と思い続けています。人の悩みはずっと変わっていない。戦争もずっと続いているし、家族がどうだとか、ウチの馬鹿息子がどうだとか、そういった悩み事を何千年もずっと抱えている。見たり聞いたり感じたりする能力をもう少し拡張して、そういった問題をなんとか解決したいと僕は思っているのです。親子喧嘩とか、国の喧嘩の中の一部で一生が終わるのは、それはそれでも構わないとは思いますが、あとに残るものがないような気がします。人全般を研究の対象として、その結果人が変わるというのであれば、それはすごく面白いし、自分の存在意義をそこに見いだせるかもしれない。医者は基本的には壊れたものを直すだけだから、たぶんそれはできないと思います。病気が治ったからといって、病気になる前に抱えていた悩みまではなくせません。多くの悩みは対人関係などの社会的な悩み。そこを解消するというところが、僕が社会性の研究をする理由の1つとなっています。サイエンスが人を幸せにできるかというのはまた大きな問題なのかもしれませんが、SRという俯瞰的な新しい知覚を得ることによって人がステップアップして、社会的な問題に対して「それはもういいよ」と言って解決できるかもしれない。はっきりと何ができるかは現段階ではまだ分かりませんが、そういった問題に少しだけでも貢献できたらいいなというのが、僕の望みです。
――表紙などに書かれてあったかと思いますが、「自分ってなんなんだろう」というところが出発点なのでしょうか?
藤井直敬氏: 自分に興味がなくても、いきなりサイエンスという人もいるのかもしれないから、一概には言えないかもしれないけれど、少なくとも生物学、バイオロジーをやっている人たちは、ある程度は自分、もしくは人に興味をもって「なんでこうなんだろう」というところから始まっていると僕は思います。誰もいないところに切り込んでいく、という点ではある意味探検という感じでしょうか。
――今後の展望をお聞かせください。
藤井直敬氏: SRというもので、少しは人の興味をひけるようになってきたので、それを世の中に出したいと思います。もはやサイエンスではないのかもしれないけれど、SRを使った人たちが、どう変わっていくのかというのを見たいと思っています。僕は48歳になって人生の折り返し点は越えていると思っているので、どうやって自分の人生を締めていくのかなというのを考えるようになりました。だから、動けるうちにできることをしようかなと思っています。それと自分より若い人、才能がある人たちに何か機会を与えたい。今僕が持っている武器で一番大きいものはSRだから、それに関連して、若い人たちが何かできるプラットフォームといったものを提供したいと思っています。SRに興味を持って、何かを一緒に作ってみたいというヒトがいたら連絡して欲しいです。
もし、何か後世に残していくものが作れたら、少しは安心して死ねるかなと思います。個人的には、何のインパクトも社会にも残せないまま死ぬのか、と思うとちょっと耐えられない。例えば子どもを産んで、子どもが立派に育ってくれるというのも、次の世の中に貢献できているということ。資産を残しているわけだから、そういったことでもいいですよね。人それぞれが満足できる形で何かを残していけばいいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
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