「脚本は自分で書くもの」
――卒業後は運輸省に入省されますが、なぜだったのでしょう。
上山信一氏: あの頃の就活は凄くいい加減で、まず企業は大変そうだから公務員にしようと思った(笑)。それに鉄道マニアだから運輸省に行きました。入ってみたらそういう連中が運輸省に結構いたのです。鉄道だけじゃなくて、飛行機の時刻表とかも大好きです。基本的に重たいものが無理して激しいスピードで動くのを見るのが大好きで、一番好きなのはアメリカのディーゼル機関車。超大編成の貨車を引いていく機関車を踏切で目の前でかぶりつきで見るのが好きです。日本の倍ぐらいの巨大な機関車が、超大編成でかつ高速で目の前を走るのは迫力があります。ばい煙も凄く美味しい(笑)。
――運輸省時代には、プリンストン大学に留学されていますね。
上山信一氏: 大学時代、政治学をやったので権力の中枢がどうなっているか見たかった。それで居心地のよい大阪や京都を出て東京に行って霞ヶ関に就職しました。さらに米国のエスタブリッジメントの世界を知っておかないといけないという気持ちがあって、プリンストン大学に留学しました。その頃アメリカでは航空規制緩和をやっていて、それを目の前で見た。そして日本に戻ったのですが、日本では規則とかルールとか、法学部的世界をまだやっている。もともと法学部で面白くないと思っていた法解釈の部分を凝縮したようなのが仕事です。しかもこの仕事が社会的にどれぐらい価値があるのか疑問を持ってしまう。もう経済原則に任せた方がいいのではないかと思い始めました。今の法律とかルールの中では誰かがやらなければいけない仕事かもしれない。だけど、付加価値がないというか、別にその仕事がなくなっても世の中は回っているのではないかと思ったのです。
それと、少しいただけですが、霞ヶ関とか永田町とかのことがなんとなく分かった気がした。大臣といっても普通のおじさんなどがその役割の中でしゃべっているだけで、その人じゃなくても、他の人でも同じことをしゃべれる。議会にしろ役所にしろ、シナリオは既に書かれていて、壮大な劇場であるということに気が付きました。それなら自分で脚本を書く方が楽しいと思って、運輸省を辞めて、第二新卒のようなつもりで、マッキンゼーに行きました。
――国家公務員を辞められることに、周りの反応はいかがでしたか?
上山信一氏: 当時はあまりキャリアアップみたいな概念もないし、決して華麗なる転身ではなかった。そもそも転職自体が異常事態だったので、「よほどのことをしたに違いない」と色々な人に怪しがられました(笑)。でも、親戚の中には、「仕事は1人でする」とか「自分で会社をやっている人が偉くて、雇われているのはカッコ悪い」という大阪人の文化があったので、「役所を辞めた」と言ったら、「よかった」と言われました。でも「次はどういう会社をやるの?」と聞かれ、「外資系に行きます」と言うと、「まだ根性がなっとらん、早く会社作れ」と。
フィールドワークしたものしか書けない
――コンサルタントとしてどのようにキャリアアップされようと考えられていたのでしょうか?
上山信一氏: 私はもともと、欲があまりないんです。政治家とか見てると、やっぱりいい意味で欲のある人が多いです。ちょっとでもいいチャンスを見つけて大きな仕事がしたいとか、偉くなりたいとか、どの職業でもそういう人がたくさんいる。けれど、私はわりと淡白なんです。全く欲がないといえばうそですし、自分で仕事はできないけれど、「何がなんでもこれをやらなければいけない」というこだわりはありません。
――だからこそ、色々な分野の方々に請われて活躍されているのですね。
上山信一氏: でも無理はせずに、自信がないものは断ります。留学にしても寒いところの有名校は最初から受けなかった(笑)。臆病なのかもしれない。でも好奇心だけは結構強くて、とにかく色々なことをやりたい。立派な会社に入って社長になるには最低でも10年ぐらいは必要でしょうが、きっと私は10年間ずっと1つの事業をやりつづけるのは嫌なんだと思います。コンサルティングは専門分野がハッキリしないからフィールドが自由にとれて、テーマ、対象物がどんどん変えられるっていうのがいいです。
――執筆分野も幅広いですね。
上山信一氏: 日経ビジネスオンラインの連載では、空港、アイスクリーム、僧侶、美術館、米など。色々なことをやっているように思うかもしれませんが、当事者でも、研究者でもないから書ける。ジャーナリストに近いかもしれないが、ジャーナリストよりももっと組織の中に入っていく感じです。作家の中だと猪瀬直樹さんが近いんだと思います。
ちなみに私は作家のようにフィクションは全然書けません。詩や小説は絶対に無理ですし、自分でやったこと、調べたことしか書かないから評論も書けません。研究者の論文の多くは、色々な人が書いたものを集大成させた上で論文にするのですが、あれも面白くない。私は自分で関わった話か、フィールドワークでインタビューして聞いた話を書く。書く作業は、書きたいからじゃなくて、やった作業を蓄積して深め、体系化していく儀式みたいなものです。自分が色々なアイデア出して上手くいったことを蓄積していきたい。それを紹介したい。マッキンゼーの時は、守秘義務があるからどんなことをしたかは言えない。それがフラストレーションでした。それでも若い頃は、偉い人たちの前でプレゼンするとそのフラストレーションは解消される。自分がシニアになってくると、それも面白くなくなってきます。プレゼンや講演に興味がなくなり、むしろ若い人たちに、自分がやった経験を書いて幅広く知らせる方が面白くなってくる。それでテレビも、誘われて一時はいろいろ出てみたりもしましたが、言いたいことの1割も言えず、窮屈でした。それで、ずっと本を書いてきたのです。