少年時代に培った、文化人類学・民俗学への興味
――小さい頃はどのようなお子さんだったのでしょうか?
月本洋氏: あまり覚えていないのですが、確かなことは女の子ではなかったということくらいでしょうか(笑)。勉強は好きなほうだったので、別に苦痛ではありませんでした。一番好きだったのは社会でしたね。
――読書はお好きでしたか?
月本洋氏: 家に本がたくさん並んでいて、その影響かは分かりませんが本は読んでいました。でも、家にあるのは別に読みたい本ではありませんでした。でも、その小難しい本の中には、私にも読める本もありました。
幼稚園の頃から、世界地図や日本地図などを見るのが好きでした。小学校低学年の時は民話や伝説とか、文化人類学や民俗学的なものに関して、面白さを感じていました。今でも地図が好きで、日本や東京の古地図が好きです(笑)。
定年になったら、論文を書くことなどは考えず、人類学・民俗学をやりたいと思っています。柳田國男などには、今でも興味あります。地理とか、地名の由来なども好きです。角川書店が『日本地名大辞典』を出していましたね。
機械や実験が苦手
――理系に進まれたのは、どういった理由があったのでしょうか?
月本洋氏: 各教科の中では数学が得意でしたので、文理的には理系ということになります。でも、物理も化学もあまり好きではなかったです。英語も好きでした。もともとは文系の人間だったので、高校の時には、文化人類学や哲学科に進みたいと思っていました。でも親に「やめてくれ」と反対されて、工学部に進むことにしました。理科系の中でも一番哲学に近いことやっているのが、東大の中で言うと、工学部の計数工学科でした。コンピュータでの認識機械論や、心理工学などの研究をしていて、いわゆる計算機で人間の知能を真似しようということを当時からやっていましたが、それがつまらなくて私は失望してしまいました。
――どういったところがつまらないと感じられたのでしょうか?
月本洋氏: 「こんな簡単なことで、人の心や知能が模倣できるわけがない」と思いました。工学系は細かいことはバサッと切り捨てて、心にしても、「外からそう見えればいい」という割り切りが必要なのです。産業的応用や、進歩の方が重要だったのです。
私がコンピュータに行ったのは、実験とか製図がないからだったんです。だから全然工学系じゃないし、そもそも私は機械音痴なのです。今でも実験は学生やほかの先生に任せているところがあります(笑)。