「自律的」な人工知能を目指す
月本洋さんは、人工知能の研究者。人間の知、心の本質はどこにあるのかを深く掘り下げ、人工知能の可能性を追求されています。研究の射程が言語学、脳科学、心理学等、学際的に広がる月本さんの知的な興味の変遷を伺いました。また、著作や論文など、研究成果を表現することへの想いを、従来の学問分野の枠組みの問題点などを踏まえてお聞きしました。
工学ではなく、脳科学や言語学や心理学などを踏まえたもの
――人工知能に関する研究として、どのようなことを行っているのでしょうか?
月本洋氏: 例えば、この間JAXAがイプシロンを飛ばしましたが、人工知能を搭載すると従来100名ほどの作業員が必要だったのが5、6人で済むようになった、という話がありましたが、私が研究している人工知能はそれとは異なります。私の研究している人工知能とは、脳科学や言語学あるいは心理学などを踏まえたものです。人工知能という言葉には曖昧なところがあって、高度なプログラムを「人工知能です」と言うことも可能ですが、私の研究の場合は、「自律的な言語理解」というものを目指しています。
――「自律的」という概念とはどのようなことをいうのでしょうか?
月本洋氏: 今ある人工知能は、要するにプログラムされた通りに動くものなので、会話はできていますが、プログラムから外れてしまうと途端に答えられなくなってしまいます。自動翻訳も、普通の文章を入れる場合はいいのですが、専門用語が入ったものを入れると途端にめちゃくちゃになります。人間でも専門外だったらそれと同じことが起こりますから、「応用できなければ人工知能とは言い難い」という私の意見に対する反論にも、一理あると思います。しかし人間ならば地震が起きた時など、何か非日常的な事態が起こってもそれなりに対応できますが、今のロボットやコンピュータはダメなんです。自律的というのはまさにそういう意味で、私が目指しているのは、その場の状況によって適当なことを言える、適当に理解できるといった知能なのです。
――ご自著の中では、赤ちゃんの例を出して書かれていましたね。
月本洋氏: 人間が胎児から、人の真似しながら成長する仕組みを組み込んで、発達するロボット。そこまで行くと人間を作った方が早いという話にもなりますが(笑)、その発達過程の本質を把握して植え込むために、プログラムなどの色々なアプローチがあります。その発達過程では、物から心が発生するのですが、それが最も重要なところだと思います。私が現在やっているのは、その辺の事情を踏まえて人間の知能を解明することです。工学的なことは、かなり先の話になってしまうので、私が生きている間にそこまではいかないでしょう。
学問分野は細かく分かれすぎている
――月本さんの本(たとえば『心の発生』)は、専門外の人にも分かりやすいという感じがしました。
月本洋氏: 一般の方は、神経科学用語が出てくると、もうイヤになってくるでしょう。いわゆる普通の心理学者は「心ありき」で来るんです。哲学者は「なぜ物である人間が心を持てるんだ」ということを、デカルトから延々とやっている。神経科学の第一義は病人を治すためなので、そういったところには焦点を当てていません。帯にも書いてあったと思いますが私の『心の発生』は、そういう意味で、人工知能と哲学・言語学・心理学・脳科学と色々なところを幅広くやっています。ただ、自分の専門外の分野も調べたので、調べ方が足りなかった部分もあるかもしれません。
――工学を研究する上でも、様々な分野とのつながりといった部分が重要なのですね。
月本洋氏: 学問は、細かく分かれすぎていると思います。心理学だけでも、「心理学会」と名のつくものが20以上あります。各人想いがばらばらですが、心の概念が共有できないと学会も作れない。「対話で相手の神経症を治す」とか、そういう哲学的、文学的な、フロイトの精神分析などの本を読むと分かりますが、検証不可能なことが多くて、似非科学的なところがあります。その弟子のユングが発祥となって、今の臨床心理学があるんです。それに対して一番対局となるものが、「心は全部神経で説明できる」という考えです。対極だから、お互いに議論ができない。その「神経で説明しよう」というのは認知科学なのですが、日本だと、心理学と認知科学は、そんなにはっきり分かれていない。例えば、心理学会と認知科学会の両方に所属している人は結構います。しかし、アメリカでは別れていて、認知科学と心理学はほとんど交流がない。認知科学は理系なんですが、心理学の方は文系なんです。細かく分かれている状況は、脳科学でも同じです。言語学も分かれていますね。人工知能を研究しようとすると、その細かく分かれたいくつかの分野を横断せざるを得ないのです。
少年時代に培った、文化人類学・民俗学への興味
――小さい頃はどのようなお子さんだったのでしょうか?
月本洋氏: あまり覚えていないのですが、確かなことは女の子ではなかったということくらいでしょうか(笑)。勉強は好きなほうだったので、別に苦痛ではありませんでした。一番好きだったのは社会でしたね。
――読書はお好きでしたか?
月本洋氏: 家に本がたくさん並んでいて、その影響かは分かりませんが本は読んでいました。でも、家にあるのは別に読みたい本ではありませんでした。でも、その小難しい本の中には、私にも読める本もありました。
幼稚園の頃から、世界地図や日本地図などを見るのが好きでした。小学校低学年の時は民話や伝説とか、文化人類学や民俗学的なものに関して、面白さを感じていました。今でも地図が好きで、日本や東京の古地図が好きです(笑)。
定年になったら、論文を書くことなどは考えず、人類学・民俗学をやりたいと思っています。柳田國男などには、今でも興味あります。地理とか、地名の由来なども好きです。角川書店が『日本地名大辞典』を出していましたね。
機械や実験が苦手
――理系に進まれたのは、どういった理由があったのでしょうか?
月本洋氏: 各教科の中では数学が得意でしたので、文理的には理系ということになります。でも、物理も化学もあまり好きではなかったです。英語も好きでした。もともとは文系の人間だったので、高校の時には、文化人類学や哲学科に進みたいと思っていました。でも親に「やめてくれ」と反対されて、工学部に進むことにしました。理科系の中でも一番哲学に近いことやっているのが、東大の中で言うと、工学部の計数工学科でした。コンピュータでの認識機械論や、心理工学などの研究をしていて、いわゆる計算機で人間の知能を真似しようということを当時からやっていましたが、それがつまらなくて私は失望してしまいました。
――どういったところがつまらないと感じられたのでしょうか?
月本洋氏: 「こんな簡単なことで、人の心や知能が模倣できるわけがない」と思いました。工学系は細かいことはバサッと切り捨てて、心にしても、「外からそう見えればいい」という割り切りが必要なのです。産業的応用や、進歩の方が重要だったのです。
私がコンピュータに行ったのは、実験とか製図がないからだったんです。だから全然工学系じゃないし、そもそも私は機械音痴なのです。今でも実験は学生やほかの先生に任せているところがあります(笑)。
研究においては便利なツール
――電子媒体は、使われていますか?
月本洋氏: 全然使っていません。古い人間なのか、その必要性を感じません。ガラケーで十分だし、iPadもiPhoneも持っていません。
――学的研究においては電子媒体を使われたりしますか?
月本洋氏: 研究の際には便利なので、PDFで転がっているのを読んだりはします。ここから先は有料、などという仕組みがあるのがよく分からないと思いながら使っていますが、昔は文献複写を依頼しなくてはなりませんでしたから、そういった点では手間はかからないし、ずいぶんと楽になりました。でも検索の時に、上手くキーワードをひっかけないと出てこないので、探し方という点においては、難しさはありますね。
――電子書籍に足りないところ、要望などはありますか?
月本洋氏: ブラウジングがダメですよね。三次元のホログラフィーで電子ブラウジングができれば私も使うと思います。三次元テレビなども騒がれていましたが、あと2、30年でできるんじゃないかと思います。
――最近はどのような本を読まれていますか?
月本洋氏: 本を書くために本を読むようになってから、あまり本を読まなくなってしまいました。学生の論文や、作文のチェックもしなきゃいけない。だから、もう文字を読むのにうんざりしています(笑)。でも、本は好きです。最近は東洋文庫の『イザベラ・バードの日本紀行』を読みました。
テーマによって論文と本を書き分ける
――本を書かれるようになったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
月本洋氏: 私が一番初めに書いた本は、オーム社の『実践データマイニング 金融・競馬予測の科学』でした。オーム社は、もともと電機大学の出版局の雑誌部門が独立したものなのです。私の知り合いの、当時の人工知能学会の大御所の先生に「本を書きたい」と話して、紹介してもらいました。もともと文化系に強いので、文章を書くのは好きなんです。理科系の人は、文章を書くのが好きではない人が多い気がします。
――本を書かれることの意義はどのようなところにありますか?
月本洋氏: 書くことは自分の考えを整理することにつながります。書いているうちに前後の矛盾などが分かってきます。自分自身も、言ってみれば一種の他人ですから、自分と対話して書くということは重要です。
言語学と哲学は、論文よりも本の方が価値があるんです。理科系は論文の方が価値があって、心理学も分野によって違いますが、論文の方が価値がある傾向があります。言語学はチョムスキーの生成文法と認知言語学が戦っていて、研究する枠組み自体が決まっていない。そういったように基本的に枠組みがまだ決まってないから、本の方が価値があるのです。論文を書ける人は、何かの論文だと10ページなどといったように枠組みが決まっているから狭くなって、ここの話だっていう細分化したものが論文になるのです。心理学も狭い実験心理学ならば論文を書けますが、全体を見た論文は書けません。論文の方が価値がある分野は論文を書いて、本の方が価値がある分野では本を書く。
「擬態画」としての漫画研究
――今後の展望をお聞かせください。
月本洋氏: 今は数学の問題を考えていまして、それが片づいたらもう少し株の予測に力を入れようと考えています。そのほかに、最近は漫画の研究をやっています。『日本人の脳に主語はいらない』という本を書きましたが、擬音語・擬態語、オノマトペに関しては、日本語が一番多いんです。そして、それが一番多く登場するのは漫画です。漫画の三大構成要素は、絵と台詞とオノマトペ。日本の漫画を、アメリカのアメコミやフランスのバンド・デシネと比べると、大人向けというか、大人でも読めることに特徴があります。
――日本の漫画の独自性は、世界的にも評価されていますね。
月本洋氏: 日本のサブカルチャーが世界を席巻していることで、グローバリズムに目を向けなければいけないと言うけれど、逆に日本人しか持っていない特性があるがゆえに、世界に出て行けたのだと私は思っています。我々が独自に持っている価値が、世界的に評価されているのですから、それを大事にしなければいけません。日本人がなぜあのような漫画を作りだしたのかというのを考えていまして、京都大学や認知言語学会で脳に絡めて話したんですが、脳科学者から見ると、なんとなくあさっての話だなと感じるかもしれません。漫画の擬態語を言語だとすると、日本の漫画の顔の描き方、例えば目が大きい、鼻がない、目を×にしたり、キティちゃんのように口を無くしたりして、ものすごいデフォルメをかけるのを「擬態画」と私は呼びたいんです。アメリカもフランスも、漫画は写実になります。谷岡ヤスジなども凄まじい描き方をしますが、あれは擬態行為が強すぎて、外人にウケるかどうかは分からないのではないか。そういったことを、これから本にしようと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 月本洋 』